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第四十二話 悪役令嬢の結婚相手

そのとき玄関を荒々しく開く音がしたかと思うと、頼むとも、御免とも云わず、大きな足音が近づいてきて、座敷の障子がバッと開いて、多々良三平君の顔がその間からあらわれた。

三平君、今日はいつもと変わって、真白なシャツに新品の上着を羽織り、右手に四本のビールを重そうに引っ下げ、ネズミの齧った鰹節の傍に置くと同時に挨拶もせず、どっかり腰を下ろして、膝を崩すという俺様ムーブをかました。

「先生胃の調子がどうですか。こうやって、うちにばかりいなさるから、いかんたい」

「まだ悪いとも何とも言ってないぞ」

「いわんばってんが、顔色はよかなかごたる。先生顔色が黄色ですばい。近頃は釣がいいです。品川から舟を一艘雇うて――私はこの前の日曜に行きました」

「何か釣れたのか」

「何も釣れません」

「ボウズでも面白いのか」

「気分転換で英気を養うたい。どうですあなたがた。釣りに行った事がありますか。面白いですよ釣りは。大海の上を小舟で乗り廻わすのですからね」と誰彼となく話しかける。

「僕は小さな海の上を大船で乗り廻してあるきたいんだ」と金縁君が相手になる。

「どうせ釣るなら、鯨か人魚でも釣らなきゃ、つまらないです」と寒月君が続く。

「そんなもの釣れないですよ。文学者は常識がないですね。……」と三平君は呆れ顔。

負けずに寒月君は「僕は文学者じゃありませんから」と返す。

「そうですか、何ですかあなたは。私のようなビジネス・マンになると常識が一番大切ですからね。私も近頃、常識というものが身について来ました。ああいう人たちと付き合っていると、どうしても、そうなってしまうです」

「どうなってしまうのだ」とボス。

「煙草でもですね、安物をふかしていては幅が利かんです」と云いながら、吸口に金箔のついた煙草を出して、スパスパ吸い出した。

「そんな贅沢をする金があるのかい」

「金はなかばってんが、今にどうかなるたい。この煙草を吸ってると、信用が違います」

「寒月君の玉磨きよりも手数がかからない分、楽でいい。安直で便利な信用だね」と金縁が寒月にいうと、寒月が何も答えない間に、三平君は

「あなたが寒月さんですか。博士にゃ、とうとうならんですか。あなたが博士にならんものだから、私が貰う事にしました」

「博士をですか」と寒月君は、スットボケ。

「いいえ、金田家の令嬢をです。実はお気の毒と思うたですたい。しかし先方で是非貰うてくれ貰うてくれと云うから、とうとう貰う事に決めました、先生。しかし寒月さんに義理が立たん思って心配しています」

「どうか御遠慮なく」と寒月君が云うと、ボスは「貰いたければ貰ったら、いいだろう」と曖昧な返事をする。

「そいつはおめでたい話だ。だからどんな娘を持っても心配することはないんだよ。だれか貰おうと、僕が云った通り、ちゃんとこんな立派な紳士のオムコさんが出来たじゃないか」と金縁君が例のごとく調子づく。

ボスは、先程から気になってチラチラ見ていた三平君の持参品を指さした。

「何だいそのビールは」

「お土産でござります。前祝にと角の酒屋で買うて来ました。一つ飲んで下さい」

ボスはパンパン手を打ってお手伝いさんを呼び、栓を抜かせる。

ボス、奇人金縁、奇行種独仙、寒月、東風の五人は恭しくコップを捧げて、三平君のモテっぷりを祝した。

……二人ともハッピーエンドってことで、いいんだよな。

三平君はおおいに愉快な様子。

「ここにいる諸君を披露会に招待しますが、みんな出てくれますか、出てくれるでしょうね」

「おれはいやだ」

ボス即答。

「なぜですか。私の一生に一度の儀式ですばい。出てくんなさらんか。少し不人情のごたるな」

「不人情じゃないが、おれは出ない」

ボス頑固。

「着物がないですか。羽織と袴くらいどうでもしますたい。ちと人中へも出るがよかたい先生。有名な人に紹介して上げます」

「真っ平御免だ」

「酒もありますばってん胃病が治りますばい」

「治らんでも問題ない」

「そげん頑固ならやむを得ません。あなたはどうです来てくれますか」と金縁に話を振る。

「僕かね、是非行くよ。出来るなら媒酌人をやりたいくらいだ」

……おいおい、あんた独身じゃないか。

「仲人はもう鈴木君に頼んでごたる」

「なるほどそこいらだろうと思った。これは残念だが仕方がない。仲人が二人出来ても多過ぎるだろう、ただの人間としてまさに出席するよ」

「あなたはどうです」と奇行種を誘う。

「僕ですか、一竿風月閑生計、人釣白蘋紅蓼間」(一本の釣り竿で自然を楽しみながら、のんびりと水辺に咲く白い浮草や紅いタデの花の間に身を置いて、心ゆくまで釣りをします)」

「何ですかそれは、漢詩ですか」

「何だかわからんです」

「わからんですか、困りますな。寒月君は出てくれるでしょうね。今までの関係もあるから」

「ぜひ出る事にします」

「ありがたい。君はどうです東風君」

「そうですねご両人の前で詩を朗読したいです」

「そりゃ愉快だ。先生私は生れてから、こんな愉快な事はないです。だからもう一杯ビールを飲みます」と自分で買って来たビールを一人でグイグイ飲んで真っ赤になった。

短かい秋の日はようやく暮れて、火鉢のなかを見れば火はとっくの昔に消え、煙草の吸殻がバラバラになっている。

さすがに世間からズレた連中も、ようやくシラケたらしく「随分遅くなった。もう帰ろうか」と先ず奇行種独仙君が立ち上がり、つづいて「僕も帰る」と口々に玄関に出ていった。

ボスは夕飯をすまして書斎に入り、奥さんは、少し肌寒くなったので肌着の襟元をギュッと合わせ、何度も洗って古くなった普段着を、黙々と針で縫って繕っている。

小供は枕を並べて寝ている。

お手伝いさんは風呂に行った。

さて俺は三平君のビールでも飲んで景気をつけるとするか。

次回完結です。

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