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第四十一話 寒月君結婚する

翌日、家に帰ってみると、金縁メガネの迷亭と、その連れである自称、哲学者の独仙という中年男と碁盤の上に白黒の石を並べていた。

これは囲碁というボードゲーム。

俺は、遊んだことがないのでよくわからないが、狭い碁盤の上に、ギュウギュウに石を並べる陣取り合戦らしい。

そんなものに勝った負けた生きた死んだと脂汗流して騒いでいる。

高々30センチ四方の領土争いに血道を上げるなど、猫の俺には理解しがたい人間の性だ。

ところで独仙君は常に顔が長いだけでなく御立派なアゴヒゲを蓄えて、まるでヤギを思わせるツラ構え。

貧乏臭い着物をだらしなく着崩していて、哲学者というより、浮浪者という方が正しい評価だ。

言動も古風かつ浮世離れしていて、人類の奇行種そのもの。

変人vs奇行種。

観察する価値もない戦いだ。

ボスはと言えば、黄色い顔をして座っていて、前には寒月君と東風君が並んでいる。

そして彼らの前には、3本の鰹節がごろりと等間隔で整列中。

……おいおい、バナナならぬ鰹節の叩き売りかよ。

ボスと東風君は妙な顔をして視線を鰹節の上に注いでいるなか、寒月君は口を開いた。

「実は四日程前に実家から帰って来たのですが、いろいろと用事で駆けまわっていていたせいで、こちらに顔を出せなかったのです」

「そう急いでくることはないさ」とボスはいつもどうりの愛嬌のない物言い。

「そうですが、このおみやげを早くお渡ししないと心配ですから」

「鰹節じゃないか」

「ええ、故郷の名産品です」

「名産だって東京にもそんなのは有りそうだ」と主人は一番大きな奴を一本取り上げ、鼻先でクンクン嗅いでいる。

……匂いで、鰹節の良しあしが判るもんかね。

「少し大きいのが名産たるゆえんかね」

「まあ食べてください」

「もちろん食べるが、何だか先が欠けてないか」

「だから早く持って来ないと心配だったんです」

「なぜ?」

「なぜって、そりゃネズミが齧ったから」

「そいつは危険だ。食うとペストになるぞ」

「大丈夫、そのくらいなら害はありません」

「どこで齧られたんだ?」

「船の中です」

「船の中? どうして」

「入れる所がなかったから、バイオリンといっしょに袋のなかへ入れて、船へ乗ったら、その晩にやられました。ついでに大切なバイオリンの胴を鰹節と間違えて少々齧られました」

「そそっかしい鼠だな。船の中に住んでると、そんなに見境がなくなるのか」と主人はボートピープルが聞いたら怒りそうな事を言って鰹節を眺めている。

「所詮ネズミだから、どこに住んでてもそそっかしいのでしょう。だから下宿へ持って来ても、またやられそうなので夜は布団の中へ入れて寝ました」

……おいおい、4日間も布団の中で熟成されていたということかよ。

「ちょっと汚くないか」

「だから食べる時にはちょっと洗ってください」

「ちょっとくらいじゃ奇麗になりそうもないな」

「それじゃタワシでゴシゴシ磨いたらいいでしょう」

「それはそうと寒月君、今でも学校でガラス玉を磨いてるのかね」と金縁メガネは、陣取りゲームを中断して、鼻を突っ込んできた。

「いえ、帰省していたもんですから、しばらく中止してました。玉磨きも飽きましたから、もうやめようかと」

「それじゃあ博士にはなれないぞ」とボスは少し眉をひそめたが、本人はいたってお気楽極楽。

「博士ですか、エヘヘヘヘ。それはもういいんです」

「それじゃあ結婚が延びて困るだろう」

「結婚って誰の結婚です?」

「君のさ」

「私が誰と結婚するんです?」

「金田の令嬢さ」

「へええ~」

「へえって、先方と約束したんじゃないのか?」

「約束なんかしてません、向こうが勝手に言いふらしてるだけです」

「こいつは驚いた。なあ迷亭、君もあの一件は知ってるだろう」とボスが金縁に話を振る。

「あの一件って、鼻事件か。あれなら、君と僕が知ってるばかりじゃない、公然の秘密として天下一般に知れ渡ってるぜ。君が博士になるかならないかで、四方八方へ影響が及ぶぞ」

「へへへへ、いろいろ御心配をかけて済みませんが、もう博士にはならなくてもいいのです」

「なぜ」

「なぜって、私にはもう女房がいるからです」

「いや、こりゃ驚いた。いつのまに秘密結婚をやったんだ? 油断ならない世の中だな」

「子供はまだですよ。結婚して一ヶ月もたたないうちに子供が生れたら、大変だ」

「いつどこで結婚したんだ」とボスは警察署での取り調べような質問をする。

「いつって、実家へ帰ったら、もう、家で待ってたんです。この鰹節は結婚祝に親類から貰ったんです」

「たった三本というのはケチだな」

「なに沢山のうちを三本だけ持って来たのです」

……ということはネズミが齧ったのを4日間かけて、あちこちにバラまいて来たのかよ。

「じゃ御国の女だね、やっぱり色が黒いんだね」

「ええ、真黒です。私にはピッタリです」

「それで金田の方はどうする気だ」

「どうする気もありません」

「そりゃ少し義理が悪いだろう。なあ迷亭君」

「そうでもないさ。他へ嫁がせれば同じ事だ。どうせ夫婦なんてものは闇の中で鉢合せをするようなもの。要するに鉢合せをしないでもすむところをわざわざ鉢合せるんだから余計な事なのさ。余計な事なら誰と誰の鉢が合ったって構わんだろ」

「金田の方は断わったのか」とボスは、まだ金田を気にしている。

「いいえ。私の方でくれとも、貰いたいとも、先方へ申し込んだ事はありませんから、黙っていても大丈夫です。へへへ……家の近くをうろついている探偵が十人も二十人もいますから、今頃、一部始終残らず知っていますよ」

 探偵という言葉を聞いたボス、急に苦い顔をして「ふん、そんなら黙っていろ」と吐き捨てた。

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