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第三十九話 猫の文法

夢中でカマキリと友情を確かめ合っていたら、もう日が傾いていた。

部屋に戻ってみると既に客の姿は見えず、ボスは風呂上り後の晩飯をのんびりと食っている。

今夜は焼き魚が一匹。金もないのに2,3品のおかずつき。

俺は何かおこぼれにあずかろうと、お膳の傍で、じっと座る。

こういう時は、もの欲しそうにしちゃダメだ。

慌てる乞食は貰いが少ないっていうだろ。猫も同じ。

ボスは焼き魚をチョイと突っついたが、不味そうな顔つきで箸を下ろす。

奥さんはといえば、黙って箸を上げ下ろししながら、熱心にボスの顎の上下運動についての研究をしている。

突如、何を思いついたのか、ボスは奥さんに訳の分からない命令を下した。

「おい、ちょっとその猫の頭を叩いてみろ」

「叩いて、どうするんですか」と奥さん不思議な顔。

「何でもいいからちょっと叩いてみろ」

こうですかと、奥さんは平手で俺の頭をポンと叩く。

当然、痛くも痒くもない。

「鳴かんじゃないか」

「ええ」

「もう一回やってみろ」

奥さんは「何回やったって同じじゃありませんか」とまた平手でポン。

やっぱり何ともない。

俺は亡霊の誘いを無視して、黙って座禅を組む芳一のごとく、じっとしていた。

俺にはボスが何を考えているのかサッパリだ。

ボスは二度も思い通りにならなかったようで、じれったそうに「おい、ちょっと鳴くように叩いてみろ」と言った。

亡霊に両耳を持っていかれるよりはマシではあるが物騒な物言いである。

奥さんは面倒くさそうに「鳴かして何になさるんですか」と問いながら、もう一発ポン。

……なるほど、目的はわかった。

ニャーと一声鳴いてやりさえすれば、ボスは満足するらしい。

自分でやればいいのに、わざわざ奥さんの手を借りるっては馬鹿らしい。

だいたい自分の都合で俺の頭を叩くなどニャン権無視も甚だしい。

俺は時を知らせる寺の鐘じゃないんだぞ。

これ以上奥さんの手を煩わせるのも気の毒なので、注文どうりに「ニャー」と鳴く。

するとボスは奥さんに向かって「今のニャーは感投詞か、副詞か?」と訊いた。

奥さん、あまりにも急な問いなので目を白黒。

……鳴いた俺でも判らないぞ。

突然、ボスは大声を張り上げて

「おい!」

奥さんビックリ仰天、思わず「はい」

「その『はい』は感投詞か副詞か、どっちだ?」

「どっちって、そんなのどうでもいいじゃありませんか」

「良くない、これは国語教師の頭脳を支配している大問題だ」

「あらまあ、猫の鳴き声がですか、だいたいそれは日本語なんですか」

「それがむずかしい問題なんだよ。比較研究と云うんだ」

「そう」

俺はバカじゃないから、こんな問題に興味はない。

「それで、どっちだか分ったんですか」

「重要な問題だからそう急には分らんさ」と不味そうに魚をむしゃむしゃ食う。

ついでにその隣にある豚とイモの煮っころがしを口に放り込む。

「これは豚だな」

「ええ豚でござんす」「ニャー」

ボスは「ふん」と軽蔑まみれの面持ちでゴクリと飲み込んだ。

俺はその夜、奥さんから3切れの豚肉と塩焼の頭をプレゼントされた。

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