第三話 車屋のクロ
翌日、俺はいつものように縁側で昼寝をしていた。
空は快晴、ぽかぽか陽気で最高のコンディション。
ところが珍しくボスが書斎から出てきて、俺の後ろで何やらゴソゴソし始めた。
細目を開けて覗いてみると……おお、イタリアの有名画家気取りで写生しているじゃないか! しかもモデルは俺。いや、もう笑うしかない。
でも主人は真剣そのもの。俺の輪郭を描いて、顔に色をつけている。
だが、その色が問題だ。黄でも黒でも灰でも褐色でもない。混ぜてもない。
説明不能な「謎の色」。
しかもよく見れば目を描いてない。
寝てる俺を描いたから仕方ないにしても、これじゃ生きてる猫か死んでる猫かさっぱり分からん。
皆の衆!カミングアウトしよう。俺は猫として特別イケメンじゃない。毛並みも顔もいたってフツメン。
顔面偏差値だって50はある。
いくらなんでもボスの絵ほど妙なルックスじゃないぞ。
これじゃ俺のアイデンティティ崩壊だ。
それでもボスの熱心さには感心せざるを得ない。
だから俺は長い間、我慢して動かずにいた……が、膀胱が限界突破寸前、下腹の筋肉がムズムス。もう一分も耐えられない。
仕方なく大きなあくびをして、のそのそ裏へ這い出した。
するとボス、失望と怒りを混ぜた声で怒鳴り散らした。
「動くな!この馬鹿野郎!」
……出たよ。ボスの悪口レパートリーはこれ一択。“馬鹿野郎”。便利な言葉だな。
俺からすれば、今まで我慢して付き合ってやったのに小便に立っただけで馬鹿野郎呼ばわりは酷すぎる。
昼寝の時、快く背中に乗せてくれたことすらないくせに……
結局、人間ってやつは自分の力を過大評価していい気になってやがる。
人間よりちょっと強い存在が現れて、パワハラしなけりゃ、どこまで思い上がるか分からない――俺はそう思った。
人間の道徳心のなさ、なんて話はさておき、俺は衝撃的な出会いをした。
裏庭の茶園は広くはないが、陽当たりもよくて俺のお気に入りスポットだ。
小供がギャアギャア騒いで昼寝できないときや、退屈で腹の調子が悪いときは、ここでリフレッシュするのが俺のルーティン。
その日も昼飯後の快眠を終えて、運動がてらに茶園を散歩していた。
茶の木の根を一本一本嗅ぎながら歩いていると――枯れた菊の上に、巨大な黒猫が堂々と寝ているじゃないか。
ゴーゴーとイビキをかきながら、他人の庭で前後不覚に眠りこけるその姿。
大胆すぎて逆に尊敬するレベル。
……ハルヒだって、もう少し慎み深いぞ。
彼は純粋な黒猫。午後の陽光を浴びて毛並みはきらきら輝き、まるで炎が宿っているように見える。
体格なんて俺の倍はある。
まさに猫界の魔王と呼ぶにふさわしい。
俺が見入っていると、風に揺れた木の葉が落ちた瞬間――魔王は、カっと目を開いた。
琥珀よりも美しい瞳が俺を射抜く。
「お前は何者だ」
閻魔大王の様に声は太くて荒々しく、犬が尻尾撒いて逃げる猫界隈のボスキャラ。
俺は内心ビビりながらも冷静を装って答えた。
「俺は猫です。名前は……ありません」
心臓バクバク。だが、このままバックレるとヤバいと思った。
「何、お前みたいなのが猫だと? 猫が聞いて呆れるぞ。どこに住んでるんだ」
「教師の家にいます」
「そんなこったろうと思ったぜ。えらく瘦せてるしな」
彼は威張り散らしてマウントを取る。
どうも良家の猫ではなさそうだが、肥満ぶりからして御馳走をたらふく食っているらしい。
「あなたは一体誰です?」
「俺ぁ車屋のクロよ」
出た。近所で名を知らぬ者のない乱暴者。強いが学がなく、誰からも敬遠される存在。
……ジャイアンかよ。
俺は試しに質問した。
「車屋と教師、どっちが偉いんです?」
「車屋に決まってるだろ。お前んとこのオヤジなんざ骨と皮ばかりだ」
「さすが車屋の猫、強そうですね。御馳走も食えるんでしょう」
「なあに、俺はどこへ行っても食い物に困らねえぜ。お前も茶園ばかり回ってないで俺について来い。一月もすりゃ見違えるほど太れること請け合いだ」
「そのうちにお願いします。でも教師の家の方が車屋より大きいと思うんですが」
「何言ってやがる! 家が大きくても腹が満たせるか!」
怒ったクロは耳をピクピクさせながら、荒々しく立ち去った。
うーん、猫のプライドってのは難しい。
家の大きさと飯の量、大切なのはどっちなんだ?
こうして俺は、車屋のクロとお知り合いになったのである。




