第十六話 オバチャンとのお相撲バトル
ある日、美学者である金縁メガネの亭迷が、余程、暇なのかボスの家にやってきて、いつものようにボスをからかって遊んでいた。
おれは定位置であるボスの膝でコクリコクリと夢心地。
と、門の鈴が派手な音を立てるに続いて「御免なさい」と女の声がした。
思わぬイベント発生にボスと金縁メガネは、お互い顔を見合わせる。
ボスの家に女の客は珍しいなと見ていると、40歳くらいの高級な和服姿の婦人が入ってきた。
顏のど真ん中にはカジキマグロのような鷲鼻がそびえ立ち、その両脇には細長い吊り目の狐フェイス。
……お稲荷様かよ。
彼女をお稲荷様と呼んでも狐様と呼んでも、双方から水平チョップを喰らいそうなので「ハナ子」と命名した。
ハナ子は、「金田の妻でございます」と初対面の挨拶を済ませると、「結構なお住まいですこと」と部屋の中をフルスキャン。
ボスは「ウソ松め!」とでも言いたげに煙草をプカプカ。
一方、金縁メガネはというと、天井を見ながら「あれは雨漏りかな?木目かな?変な模様が見えるぞ」とボスを挑発。
ボスが「勿論雨漏りさ」と答えると、「結構なお住まいですなあ」とすまし顔。
ハナ子は礼儀を知らない奴らだと、相当ムカついているのだろう、そんなビミョーな空気に全員サイレントモード。
黙っていても埒があかないので、ハナ子が話を切り出した。
「すこし知りたいことがあって覗ったのですが……」
ボスは「はあ」と気のない返事。
これじゃマズいと思ったのかハナ子は慎重に話を続ける。
「実は、私は御近所で……あの向こう横丁の角屋敷なんですが」
「あの大きな西洋館の家ですか。そういえば「金田」と表札が出てますな」とボスは、ようやく彼女の正体を知ったようだが、対する態度はコンティニュー。
「実はお話を伺いたかったのですが、会社が大変忙しかったもので」と、どうだとばかりな態度をとるが、ボスには迷亭のおかげでその程度のマウント耐性は身に付いている。
ボスとしては初対面でいきなりマウントを取る女の態度が気に入らない。
「会社も一つじゃないんです。二つも三つもあるんです。それにどの会社でも重役をやっているものですから」と、さらにマウントを重ねるハナ子夫人。
しかし、ボスは博士や大学教授というステータスに弱いが、実業家には滅法強い。
中学教師の方が上だと信じている。
そうでもしないと、ボンビーな自分が惨めに思えてくるからだ。
だからボスにとっては学者社会以外のことには無関心で、特に実業界など何処で誰が何してようが、どうでもよいのである。
ハナ子としては、世の中にこんな変人がいようとは露知らず、金田の妻ですと名乗ってマウントが取れなかったことなど過去に一度もなかったに違いない。
まさか、こんなショボい教師に相手にされないとは、思ってもみなかったんだろう。
ボスは「金田って人を知ってるか」と金縁に聞くと、「知ってるとも、金田さんは僕の伯父の友達さ。この間なんか園遊会においでになったよ」と真面目な顔つきで返事する。
ボス「へえー、君の伯父さんの名前は?」
金縁「牧山男爵さ」
そこにハナ子が高い鼻を突っ込んでくる。
「あら、あなたは牧山様の何でいらっしゃいますか? 少しも存じ上げませんで失礼致しました。主人は牧山様にはいつもお世話になっておりますと伺っております」と急に丁寧な言葉遣い。
ついでにお辞儀つき。
金縁は「エヘヘ」と曖昧に笑う。
ボスは呆気にとられて二人を見ている。
「たしか娘の縁談につきましても、色々牧山様にご心配をお掛け致しましたそうで」
「……へえーそうですか」
思わぬ展開に金縁メガネの額には一筋の汗。
「実は縁談がひっきりなしに舞い込むのでございますが、こちらも身分というものがありますゆえ、滅多なところに嫁にやれませんものですから……」
「ごもっともで」と金縁メガネは胸をなでおろす。
「それで、あなたに聞きたいことがあるんですが」とボスに向かって、ふんぞり返るハナ子夫人。
「あなたのところに水島寒月という男が、よく出入りしているそうですが、どんな人でしょう?」
偉そうな態度にボス苦虫をかじる。
「寒月が何か?」
「御令嬢との縁談話で素行調査をしたいのでは?」と金縁メガネが機転を利かせた。
ハナ子「それが聞ければいいんです」
ボス「では御令嬢を寒月の嫁にと」
ハナ子「いえ、そういうことでもありません」
ボス困惑。
ハナ子「他にも縁談があるので、無理に貰ってくれなくてもいいんですが……」
ボス、ムカつく。
「それでは寒月でなくとも」
ハナ子少々ケンカ腰。
「でも隠すことでもないでしょう」
金縁メガネ、二人の間でキセルを軍配のように持ってハッケヨイと振り回す。
「じゃあ寒月が是非とも嫁に貰いたいとでも?」とボスが正面から突っ張りを食らわせる。
「そうとは言ってませんが……」とハナ子よろめき思わず腰を引く。
「そう思っている、とでも?」と、もう一発。
「いえ、話はそんなに運んでおりませんが……寒月さんだって、嬉しい話かと」と土俵際で持ち直す。
そこにトドメの一発。
「寒月がその御令嬢に惚れたという証拠でも?」
ボスは、あるなら言ってみろと背を反らす。
「まあ無きにしも非ずでしょう」と3発目を華麗に躱す。
今まで行司をしていた金縁メガネ、ハナ子の一言で取り組みに参戦。
「寒月がお嬢さんに恋文でも出したんですか?こりゃいいネタだ」と喜色満面。
「そんなものじゃありません。もっとすごい話です。お二人とも御存じないのですか?」
と粘り腰。
「君、知ってるか」とボス、文字どうり狐につままれた様な顔で金縁に訊く。
「知らないなあ。知っているなら君だろ」と、行司が横からうっちゃりを決めた。
「いえ、お二人とも御存じのはず」とハナ子、さらに追い討ちをかける。
「お忘れでしたら、私からお話ししましょう。去年の暮、向島の阿部さんの御屋敷で演奏会があったでしょう。その帰りの晩、吾妻橋で何があったのでしょう……詳しいことは申しません。当人の迷惑になるかもしれませんから。あれだけの証拠があれば充分だと思いますが」
……いやいや、短パン履いたメガネの少年探偵かよ。




