第十三話 ミケ子の病気
それから四、五日は何事もなく過ぎた。
白い水仙はだんだん萎れ、梅の蕾が少しずつ開きかかる。
そんなものを眺めていても退屈なので、一度ミケ子を訪ねてみたが会えなかった。
最初は留守かと思ったが、二度目に行ったときには病気で寝ているのだとわかった。
障子の向こうで、例の師匠とお手伝いさんが話しているのを、俺は影に隠れて聞いていた。
「ミケは御飯を食べるかい」
「いいえ、今朝から何も食べません。あったかくして寝かせております」
……何だか猫らしくないぞ。人間並みの扱いじゃないか。
自分のハードな境遇と比べて羨ましくもあるが、俺が愛する猫が厚遇されていると思えば嬉しくもある。
「どうも困るわね。御飯を食べないと身体が弱るばかりだから」
「そうですとも。私でさえ一日食事をいただかないと、翌日は働けませんから」
お手伝いさんはまるで猫の方が自分より高貴な人物であるような返事をする。
実際この家では、人間より猫の方が大切なのかもしれない。
「御医者様へは連れて行ったの?」
「ええ、あの医者はヤブですよ。私がミケを抱いて診察室へ行くと、風邪でも引いたのかって私の脈を取ろうとするんです。いえ病人は私ではありません、これですってミケを膝に抱き上げたら、ニヤニヤ笑って『猫の病気はわしにも分らん。放っておけば治るだろう』って言うんです。あんまりじゃありませんか。腹が立ったから『見ていただかなくても結構です。これでも大事な猫なんです』ってミケを懐に入れて帰ってきました」
「ほんにねえ」
――「ほんにねえ」なんて、俺の家では聞けない言葉だ。やはり篤姫様の何とかの何とかでなくては使えない、とても雅な響きだと感心した。
「何だかシクシク言ってるようだけど……」
「ええ、きっと風邪を引いて喉が痛むんですよ。風邪を引くと、誰でも咳が出ますからね……」
「それに近頃は肺病とかいうものがあってねえ」
「ほんとにこの頃は肺病だのペストだの、新しい病気ばかり増えて油断も隙もありません」
「新しいものにロクなものはない。貴方も気をつけないといけないよ」
「そうですねえ」
お手伝いさんは大いに感動していた。
「風邪を引くといっても、あまり出歩きもしないようだったのに……」
「それが近頃、悪い友達が出来ましてね」
まるで国家機密でも語るかのように、大得意だ。
「悪い友達?」
「ええ、あの表通りの教師の家にいる、薄汚い雄猫ですよ」
「教師というのは、あの毎朝気味の悪い声を出す人?」
「ええ、顔を洗うたびに鴨が絞め殺されるような声を出す人です」
――鴨が絞め殺されるような声、これはうまい例えだ。
俺のボスも毎朝風呂場でうがいをするとき、妙な声を遠慮なく出す癖がある。
機嫌の悪い時はガアガアやり、機嫌の良い時は元気づいてさらにガアガアやる。
つまり機嫌の良し悪しに関わらず、勢いよくガアガアやる。
奥さんの話では、ここへ引っ越す前まではそんな癖はなかったそうだ。
ある時、ふとやり出してから今日まで一日も欠かさず続けているという。
ちょっと厄介な癖だが、なぜこんなことを根気よく続けているのか、俺たち猫には到底想像がつかない。
それはさておき、「薄汚い猫」とは随分な酷評だな。
たった5分でBADボタン100連発食らったレベルの大ダメージだ。
俺は耳を立ててさらに聞いた。
「あんな声を出して何の呪いになるか知らないけど明治維新前は誰でもそれなり作法を心得たものよ。屋敷町であんな顔の洗い方をする者は一人もいなかったよ」
「そうでしょうとも」
「あんな主人を持っている猫だから、どうせ野良猫さ。今度来たら少し叩いておやり」
「叩いてやりますとも。ミケの病気になったのも全くあいつのせいに違いません。きっと仇をとってやります」
――とんだ冤罪だ。こいつは迂闊に近寄れないぞ。
とうとう俺はミケ子に逢えずじまいで帰った。




