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第十話 特級呪物

今朝見た通りの餅が、今朝見た通りの色で、椀の底にベッタリこびり付いている。

白状すると、俺は今まで一度も餅を口に入れたことがない。

見ればうまそうにもあるし、どこか気味が悪くもある。

前足で上に乗っている菜っ葉をかき寄せると、爪に餅の皮が引っかかってネバネバ。

誰かの答弁みたいで気持ち悪い。

嗅いでみれば、釜の底に張り付いた焦げた飯のような匂いがする。

食うか、やめるか――と辺りを見回す。

幸か不幸か誰もいない。

お手伝いさんは相変わらず季節感ゼロの顔で羽根つき、小供は奥座敷で「何とおっしゃる兎さん」を歌っている。

チャンス到来、食うなら今だ!

この機を逃せば来年まで餅の味を知らずに暮らすことになる。

その瞬間、俺は猫ながら一つの真理を悟った。


「滅多にないチャンスは、何でもいいからゲットしろ!」だ 。


――正直言うと、俺はそんなに雑煮を食いたいわけじゃない。

むしろお椀をじっと見れば見るほど気味が悪くなって、食欲が失せていく。

この時、もし、お手伝いさんが勝手口を開けたなら、あるいは小供の足音が近づいてきたなら、惜しげもなくその場を立ち去っただろう。

そして来年まで雑煮のことなんて思い出さなかったはずだ。

ところが誰も来ない。

いくら迷っていても誰も来ない。

「さっさと食え」と催促されているような気分になってきた。

俺は椀の中を覗き込みながら「誰か来てくれ」と念じたが……やっぱり誰も来ない。

とうとう俺は雑煮を食うはめになった。

最後に体重を椀の底へ落とすようにして、ガブリと餅の角をかじってみた。

思いっきり食いついたのだから、普通なら噛み切れるはず

だが――ビビった!

もういいだろうと歯を抜こうとしても抜けない。

もう一度噛み直そうとしても動かない。

餅は特級呪物だ、と気づいたが時すでに遅し。

まるで底なし沼に落ちた人が足を抜こうと焦れば焦るほど沈むように、噛めば噛むほど口が重くなる。

歯は動かない。歯応えはあるが、それだけでどうにもならない。

美学者である迷亭が、ボスを評して「君は割り切れない男だ」と言ったことがある。

なるほど、この餅もボスと同じで、どうしても割り切れない。

噛んでも噛んでも、3で10を割るように、未来永劫、解決の期は訪れない――そんな気がした。

――妖怪ネバネバとの格闘の最中、俺は二番目の真理に行き着いた。


「ダメなヤツは直感でわかる」


真理を二つも悟ったのに、餅が歯にくっついているせいでちっとも嬉しくない。

歯が餅に吸い込まれて、抜けそうに痛い。

早く食い切って逃げないと、お手伝いさんが来る。

小供の歌も止んだようだ――きっと台所へ走ってくるに違いない。

尻尾をぐるぐる振ってみたが効果ゼロ。

耳を立てたり寝かしたりしても駄目。

考えてみれば、耳と尻尾は餅と何の関係もない。

要するに振り損、立て損、寝かし損。

気づいたので即やめた。

そして、ようやく「前足で払い落とすしかない」と思いつく。

まず右前足で口の周りを撫で回す。……当然払い落とせるわけがない。

今度は左前足を伸ばして口を中心に円を描いてみる。……バトルアニメの呪文ポーズじゃ餅は落ちない。

コレじゃダメだと左右交互に動かすが、依然として歯は餅にぶら下がったまま。

「面倒だ!」と両足を一度に使う。

すると何と後足二本で立てた。

……ホワッツマイケルかよ!

もう猫じゃない気分だが、そんなこと気にしていられるか!

餅が落ちるまでやるしかない――と意気込んで、メチャクチャ顔を引っ掻き回す。

前足の動きが猛烈すぎて、バランスを失って倒れかかる。

倒れかかるたびに後足でバランスを取るから、じっと立っておれずに台所中をピョンピョン飛び回る。

まさにマイケルのビッグステージ。ムーンウォークが冴えわたる。

我ながらよく器用に立っていられるものだと思った瞬間、三番目の真理が頭を過ぎる。


「追い詰められたら、普段できないこともできる。これを火事場の馬鹿力という」


真理の力を得た俺は必死に特級呪物と戦っていたが、足音が奥から近づいてくる。

「ここで人に見られたら大変だ!」とさらに躍起になって踊り回る。

だが力が少し足りなくて、とうとう小供に見つかってしまった。

「猫が餅食って踊ってる!」と子供の大きな声に続いて、この声に真っ先に反応したお手伝いさんが羽根も羽子板もブン投げて飛んでくる。

奥さんは「卑しい猫ねえ」と言い、ボスまで書斎から出てきて「この馬鹿野郎」と怒鳴る。

さらに、みんな揃ってゲラゲラ笑い始めた。

腹は立つわ、苦しいわ、ダンスはやめられないわで――困った。

人間の薄情さはこれまでにも散々見聞きしたけど、この時ほど恨めしく思ったことはない。

ついに力尽きた俺は四つ這いに戻って眼を白黒させ醜態をさらす羽目に。

俺の墓碑名には何と刻まれるのかと余計な心配をしていると、さすがに見殺しは気の毒と思ったのか、ボスが「まあ餅を取ってやれ」とお手伝いさんに命じた。

お手伝いさんは「もっと踊らせましょうよ」という目で奥さんを見る。

奥さんも、もっと猫のダンスを見たいので黙っている。

「取ってやらんと死んでしまう。早く取れ」とボスが再び命じる。

お手伝いさんは残念そうな顔で餅をつかみ、ぐいっと引いた。

ズルっとイカのハラワタの様に全身の骨ごと引き抜かれるんじゃないかと思った。

痛いの痛くないのって、餅に深く食い込んだ歯を思い切り引っ張るんだから、たまったもんじゃない。

この時、俺は「苦労無くして楽はなし」という四番目の真理を身をもって知った。

ようやく痛みが引いてキョロキョロ辺りを見回した時には、皆はすでに奥座敷へ引っ込んでいた。

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