Be my valentine!
はらはらと舞う白は花びらではない。
鮮やかな桃色の桜を誘うかのように、風に乗る雪が踊っている。
学園に雪が降ったその日は、奇しくもバレンタインであった。
「チョコが欲しい! 欲しいほしいほしい!」
本日の授業を終えた2B。騒がしい声は言うまでもなくヒナだった。自席で祈るように手を合わせている。
「お前は朝からうるせぇんだよ……」
最後部の座席から、ハヤトの鬱陶しげな目が刺さる。ヒナは動じずに祈りを捧げている。
朝から繰り返される光景を、クラスメイトの大半は苦笑しながら見守っていた。
そんななか、数少ない善良な——つまりヒナの圧倒的な味方であるクラスメイトの麦が、そろりとヒナの席へ寄る。
「あの、ヒナくん」
ヒナは祈りの手から顔を上げた。
「うん……?」
「今日のサークル活動で、僕たちガトーショコラを作る予定だから……よかったら部活のあと、寮に差し入れを持っていくね?」
にこっと笑う麦。クラスメイトの一部は(チョコを食べたいという話じゃないのでは?)と疑問に思ったが、口には出さない。
ヒナの眉じりが、ほんのり下がる。
「おれが欲しいのはそういうことじゃなくて!」
「え……?」
「いやっ、ありがとう!」
「うん……? ぁ、大丈夫だよ。何度も作ったことがあるから、失敗はしないよ。楽しみにしててね」
「わぁい」
そんなこんなで。
帰宅準備を整えたクラスメイトたちは、互いに手を振り合い別れ、それぞれの予定に沿って移動していく。部活動しかり、サークルしかり、研究しかり……。
部室に向けて階段を上がっていくのは、軽音部組の4人。
「今日って本当にバレンタイン? おれ、まだチョコ誰からも貰ってない。おれだけ昨日にループしてる?」
ぶつぶつとうるさいヒナに、ハヤトが細い横目を送った。
「そんなもんどうでもいいだろ。企業の策略に乗せられてんじゃねぇよ」
「——いや、おれは聖人バレンタイン氏の遺志を汲んでチョコを欲している! 本来の意義である愛に生きようと思っている!」
「くだらねぇ……」
「くだらなくないっ!」
騒ぐ二人のあいだ、後ろで竜星と話していた琉夏が割り込んだ。
「こんなこと言ってるけどさ~。ハヤトは去年、チョコ貰ってたよなァ? 靴箱にだっけ?」
余計なことを。目つきの悪いハヤトの鋭い視線を受けても、琉夏は平然として笑う。
燃料投下されたヒナが眉を吊り上げた。
「はぁんっ? なんだその漫画みたいなやつ! ハヤト、どういうことだ!」
「だからお前はうるせぇって……」
詰め寄るヒナから顔を離そうとするハヤトの後ろで、竜星が腕を組む。
「エリート校やからなぁ……異色なハヤトに惹かれるコもいるんやろなぁ~?」
「ハヤト、お前ってやつは! いたいけな女子を騙しやがって!」
「騙してねぇ!」
琉夏の笑い声が廊下に響いていく。バレンタインといえども、日常と変わらない騒がしさで彼らの部活動は始まろうとしていた。
§
「失礼しまーす」
一足早く部活動を終えたヒナは、サクラがいる準備室を訪れていた。本日までに提出の必要がある書類を渡し損ねていた。ドアからポストに入れてしまってもよいのだが、サクラが在室であると桜統のSNSで把握している。なので、顔出しくらいはする。
空き部屋を適当に整えただけの、簡素な部屋。教科書や資料集の並んだ棚が周りを囲うせいか、すこし暗い。カーテンの掛かった窓のそば、机の上のパソコンからサクラは顔を上げた。立ち上がることはなかったが、ディスプレイをオフにすると、いつものように微笑んだ。
「どうかしたかな?」
「これ、忘れてました。お願いします」
提出した書類を確認するサクラ。その横に立ったヒナは、ふと激しい違和感に目を引かれていた。
「……サクラせんせ? それ、なんですか?」
思わず尋ねていた。生徒との相談用のテーブルの上に、色取りどりの小箱がいっぱい。
まさか。
「チョコっ?」
目を向けたサクラが答える前に、ヒナの脳裏で解答がひらめいていた。
「あぁ、そうだろうね」
驚愕のヒナとは正反対で、サクラの反応は薄い。ヒナは勢いよく首をサクラへと戻した。
「こんなに貰ったんですか!」
「いや、受け取りは拒否しているよ。だが、高等部の個室の方に匿名で置いていく者がいたようでね……。ポストが埋まっていたから回収してきたんだよ」
赤やピンク、桜色、金やブルーも。まぶしいほどカラフルなラッピングを、ヒナはまるで親の仇を見るかのように睨みつけていた。
「くっ……やはり今日はバレンタインなのか。受け入れたくない事実を受け入れなくてはいけないのかっ……!」
突きつけられる現実。ヒナは部活中に知ったのだが、琉夏は登校の途中で数名からチョコを貰ったらしい。下校時にも貰う可能性がある。許すまじ。
(なんでおれは貰えてないんだ! 秋の校内祭ではそこそこ人気あったのに!)
世は無常。泣き顔が可愛い高校生——なんぞ、とっくに世間から忘れられている。
「うあーうらやましいっ! サクラ先生、そんなに貰ってどうするんですか!」
本音がもれるヒナ、熱量を上げていく。サクラは変わらず淡々としている。
「今日は茶道部に顔を出すよう頼まれているからね。既製品は部員と共に食べてもよいかと考えていたが……手作りはどうしたものかな」
いやいや、その茶道部の生徒たちも絶対チョコを渡そうと企んでるだろう。と思ったが、ヒナは黙っておいた。口にするのも羨ましすぎるので。
「……手作りを捨てたら呪われますよ」
「知らない者の手作りには抵抗があるね」
「その情報、前もって部活中にでもぽろっと漏らしておけば、来年は既製品だけになるんじゃ……?」
「なるほどね、試してみよう」
「くそっ! 来年も貰う前提だ! むかつく!」
「……私に向かって暴言を吐いたか?」
「独り言ですすみません失礼しましたー!」
うっかり口をついて出た悪態から、ヒナは流れるように腰を折って準備室から逃げ出ていた。
サクラの笑顔はたまに凍えるほど目が怖い。
(ふー、危なかった)
間一髪で危機を脱したヒナは、寮へと帰るべく昇降口へ。
靴箱をのぞいてみたが、当然のごとく何もない。夢も希望もこの世にはない。
(あーっ、くそ! こうなったら購買でチョコ買い占めてやるっ!)
やつあたりのために向かった購買には、バレンタインだからか普段よりも種類豊富にチョコレート菓子が並んでいた。
ヒナは財布を開いた。自分の所持金を確認してみる。……よし、やめよう。ひとつにしよう。
一番安い、ひとくちサイズのチョコを手に菓子棚から離れたヒナ。無人レジの近くで見慣れた金髪と出くわした。
「おっ? ハヤト?」
「あ?」
意外なところで意外な遭遇。ハヤトも部活を終えたらしい。
文房具を手にしたハヤトは、ヒナに気づいて鋭い瞳を少しだけ緩めた。
「おぉ。……お前もなんか買いに来たのか?」
「あ、うん。チョコを買い占めてやろうと思ったんだけど、現実的な金額を考えてやめたとこ」
「あとで麦の手作りが食えるだろ」
「そういうことじゃないんだよ」
「?」
眉根を寄せたハヤトだったが、ヒナの遠い目に理解したらしい。
「まだ言ってんのか」
あきれたように吐息して、ハヤトはレジに向かう。ヒナも別のレジに移った。
せっかく会ったのだから、一緒に帰るか。そう思ったヒナは購買の出口でハヤトを待った。同じタイミングで会計したかと思ったのに、ハヤトは少しばかり遅かった。
「わりぃ、待たせたか?」
「いや、全然」
少し待ったが、寒くはなかった。クリスマスプレゼントで貰ったコートは防寒ばっちりで、ヒナは毎日の登下校を快適に過ごしている。
ハヤトが横に並ぶのを待って歩き出そうとしたヒナだったが、その前に突き出されたハヤトの腕によって止められていた。
「ん?」
ぱちっと丸い目でハヤトを見る。ヒナを見下ろすハヤトの顔は、なんだか険しい。
「やる」
突き出された拳は、当たり前だが殴るためではなく。何かをくれるらしいと察したヒナが手を出せば、ころりと小さなチョコレートを落とした。
掌に乗ったひとくちサイズのチョコレート菓子。とっても身に覚えのあるパッケージ。
「えっ、くれるの? おれに?」
「やるっつったろ」
「おー! ありがと」
あっさり受け取ったヒナに、ハヤトが片眉を上げた。
「……それ、チョコだからな?」
「え? ……あ、うん。分かってるよ? おれも買ったし」
「は?」
ヒナはコートのポケットに手を入れる。先ほど購入したチョコレート菓子を取り出して掲げてみせた。
「………………」
まったく同じ物を並べられ、ハヤトは小さく舌打ちした。
「なんだよ。買ってんじゃねぇか」
「んん? おれ、チョコ買いに来たって言ったよな?」
「やめたって言ったぞ」
「買い占めは、やめた」
「あっそ」
ハヤトは寮への道を歩き始めた。ヒナを置き去りにする勢いで……と思ったが、ぴたりと足を止める。
「ん? どうした?」
追いかけようと早足になったヒナも、つんのめるように足を止めた。
ハヤトがヒナを振り返る。
「ふたつも要らねぇよな?」
「へ?」
「チョコの話だよ。ひとつ寄越せ」
「え、くれたのにっ?」
「返せって言ってねぇよ。お前が買ったほうをくれって言ってんだよ」
「いや、なんでだよ!」
ヒナは、しごく真っ当な突っこみをしたつもりだった。これでは貰った事実がなくなる。さっきの感謝を返せ。不満をぶつけるつもりでハヤトを見上げたが、目の先にあった彼の顔が……妙に大人しい。
ヒナの『なぜ渡さなくてはいけないのか』に対して、ぼそっと低い返答があった。
「……すきだから」
は?
疑問に首をひねってから、ヒナは察した。
「——ああ! そういやハヤトってチョコ好きなんだっけ?」
「あー……まぁ」
ふわりと瞳を泳がせたハヤトが、吐息まじりに肯定を返した。
なるほど。一度は渡したけれど、やっぱり食べたくなったのか。
「なんだよもう……仕方ないなぁ」
ヒナは笑いながら、ハヤトの手にチョコレートを渡した。
「ほら、どーぞ」
「……これ、俺が買ったほうじゃねぇか?」
「違うって、おれが買ったほう……ん? あれ? どっちだっけ?」
「おい」
「別にどっちでもいいよな?」
「よくねぇ」
「いや、なんでっ?」
「………………」
ハヤトの結ばれた唇には、不足な気持ちが見える。
不思議そうに見返すヒナ。ハヤトは諦めたように手中に目を落とすと、チョコレートの包みを開いて口へと放り入れた。
「あ、おれも食べよっ」
舌の上で溶ける甘くほろ苦いチョコレート。うっすらと雪の残る道のりが、普段よりも特別に思える。
機嫌よく弾むヒナの足が寮へと差し掛かるころ、二人のブレス端末が同時に振動していた。
「麦だな」
ハヤトの推測どおり、2Bのチャットルームには麦からのメッセージが入っていた。
『ガトーショコラができました。寮横カフェテリアに持っていくから、よかったらみんなどうかな? 都合がついたら来てね』
メッセージを読み取って、ヒナはハヤトに目を投げる。
「——ってさ。琉夏と竜星、もしかして帰っちゃった?」
「いや、その辺にいるだろ。帰っていても戻ってくんじゃねぇの?」
「あはは。そうだな。竜星も甘いもの好きだし……琉夏はみんなでいるのが好きだし?」
弾む足のまま、ヒナは寮を過ぎてカフェテリア専用の入り口へと向かう。
「期待してたのとはちょっと違うけど、これもいいな。クラスみんなで、バレンタインパーティ!」
にかっと笑うヒナの顔に、ハヤトは鼻で笑った。
「まぁな」
「あのな? お前、気のない返事してるけど、おれの予想ではハヤトが一番食べるからな? 遠慮しろ?」
「お前に言われたくねぇ」
「いやいや、おれが言わずして誰がお前を止めてくれると思う? ……あ。ってかさ、念のための確認なんだけど、ハヤトって今年は女子からチョコ貰ってないよな? おれと仲間だよな?」
「………………」
「え? あれ? なんで黙っちゃうんだ?」
「知らねー」
「あ、おいっ! まてまて! ちゃんと証明しろっ! スクバの中を見せてみろ!」
無視して先行くハヤトを、ヒナが跳ねるように追いかけていった。
冬の桜をからかうように、ちらちらと雪が舞う。
本日はバレンタイン、金曜日。
おやすみの前に、ヒナはカフェテリアで偶然にもサクラと極上のチョコレートを頂くことになるのだけれども……。
そんなことをまだ知らないハヤトは、とりあえずの現状に、
(俺のしか貰ってねぇのか。まあ、サクラ先生は立場上は渡せねぇよな。麦のは別枠として……)
ヒナが誰からも貰っておらず、加えて誰にも渡していないことに、「よし」と。
謎の安堵を胸に、満足していた。




