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おれたちはサクラ色の青春  作者: 藤香いつき
スクール・フェスティバル
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06_Track8

 おれは、母親の顔を思い出せない。

 どんな声で名前を呼んでくれたのか、どんな匂いで抱きしめてもらったのか。何ひとつ記憶にない。

 

 でも、小さい頃、面会に来てくれたことだけは憶えてる。

 あのとき、約束したはずなんだ。

 ——おれが、櫻屋敷を継げるくらい賢くて、()()()()()()()、一緒に暮らせるって。

 

 

「——違うよ」

 

 日が傾いた屋上に、静かな声が落ちた。

 それは、ハヤトのものじゃなかった。

 やわらかで、穏やかで。聞いていると、ほっとするような話し方。本人を見ているとざわつく心が——なぜかいつも、ほだされる。

 

 開け放たれたままのドアに目を向ければ、サクラが立っていた。

 濡れた視界に見えた端整な顔は、静謐(せいひつ)を携えてこちらを見ている。

 目が合うと、仄かに目許(めもと)を緩めた。困惑にも見えたが、もっと別の……おれには分からない感情を浮かべたようにも見えた。

 

「……私と君に、血の繋がりはないよ」

 

 静かな否定に、頭のどこかで火花が弾ける。

 

「あんたが知らないだけだっ!」

 

 反射的に出た声の強さに驚いたのか、肩にあったハヤトの手が外れた。離れた途端、ハヤトのことは意識から抜け落ちた。

 体ごと振り返り、向かい合ったサクラだけが世界を占めていた。

 

「施設でおれのデータを確認したらっ……後見人に、あんたの父親の名前があった」

「……それは、私も知っているよ」


 激昂を抑えこんで証拠を挙げたが、サクラの表情は変わらない。一切の動揺なく話す顔が、胸をざわざわと揺らしてくる。

 知らずしらず力が入る拳に、爪が薄く食いこんだ。

 

「おれは、櫻屋敷家公認の隠し子ってことですか? ——だったら昨日のバンドは、おれを見に来てくれたんですか、本妻まで連れて」

「……違うよ。繰り返しになるが、私と君に血の繋がりはない」

「嘘だ」

「嘘ではないよ」

 

 穏やかだが、確然と応える。サクラは距離を詰めるように歩を進めた。

 

「そうか……。ずっと、そう思っていたのか」

 

 独り言に似た囁きで、確認する眼差(まなざ)しが落ちてくる。

 こんなにも深刻な話をぶつけているのに、その瞳は微塵(みじん)も揺らがない。薄い吐息を(こぼ)して、声色を変えることなくサクラは話した。

 

「君の母親は、櫻屋敷家の使用人だった」

「……知ってます」

「使用人といっても、数少ない住み込みの者でね。家族に近しい存在だったから、私の母は彼女を『妹のようだ』とよく話していた」

「………………」

「君が思うような不貞はなかった。それは断言しよう」 

「……うそだ」

「嘘では、ないよ」

 

 静謐を崩さない顔が、諭すように声を掛けてくる。

 

「……だって、おれは、聞いたんだ」

 

 うなるように低く唱えても、サクラは動じない。

 

「君の持つ情報がどこから得たものか分からないが……DNA鑑定をしてみるか?」

「っ……そんなの、あんたらが誤魔化したら真相なんて分からないだろ! それにっ……だったら、おれの父親は誰なんだ!」

「……君の父親の名前を、彼女は明かしていない。……だが、財界の者と密かに付き合いがあったと、調べはついている。君のことは、相手の認知なく産んでいるから、相手も君の存在は知らないだろう」

「そんなはずない、適当なこと言うなっ……おれは、おれの母さんから聞いたんだ! おれが男で、櫻屋敷を継げるくらい賢かったら——サクラ先生を超えるくらい賢かったら、一緒に暮らせるって!」

「なんの話をしている……? 君の母親である彼女は、君を産んで間もなく亡くなっているだろう?」

「……は……?」

 

 淀みなく話すサクラの顔が、一瞬だけ乱れた。

 目の端に浮かんだ思いが、「知らなかったのか……?」

 戸惑いを含んで表情を曇らせた。

 

 初めて動揺を見せたサクラの姿よりも、その言葉が——。

 サクラが口にした事実が、冷たく胸に刺さる。

 

「……なんで、そんな嘘……」

「この事実は、すぐにでも確かめられる。戸籍に記載されて——」

「嘘だ!」

 

 (ひらめ)く感情のままに叫んでいた。

  

「絶対に嘘だ! おれは小さい頃、母さんに会ったんだっ……!」

「……面会記録は確認しているが、君に会っているのは叔母(おば)のみだ」

「叔母……?」

「君の記憶に残っているのは……母親の言葉ではないね……?」

 

 細い息が、サクラの唇から、長く()れていく。

 

「君の母親である彼女は、自分の両親の許を離れて櫻屋敷に住み込みで入った。家族と折り合いが悪かったと聞いている。絶縁状態だったが……彼女が亡くなった折に、櫻屋敷にいたことを知られたらしい」

「………………」

「のちに、君の叔母に当たる者が……櫻屋敷の家に脅迫に来ている。『隠し子』という、君に吹き込んだ情報をもって口止めを要求したが、こちらは誰も相手にしていない。その日が、君への面会日になる。……おそらく、金銭を用意してもらえなかった腹いせに、君に当たりに行ったんだろう。そこで、」

 

 迷うように、サクラは言葉を切った。

 ためらいと(いたわ)りの浮かんだ瞳を、一度だけ閉じて、ゆっくりと開き、

 

「——()()、二度と君に会わないことを条件として手切れ金を用意した」

 

 ……何を、言っているのだろう。

 サクラが口にする言葉は、まるで誰か知らない子の物語のように意識の表層を流れていく。

 

 ただ、それでも。

 突として物語に絡まったサクラの意思に、尋ねずにはいられなかった。

 

「サクラ先生が……?」

「そう、私が、手を回した」

「……待ってください。その時点のサクラ先生は……せいぜい中学生くらいのはずですよね?」

「そうだね」

「……おれのこと、知ってたんですか?」

「元より、君の後見人は私だ。表向きは父の名を借りたが、私が管理している」

「……え……?」

「……だから、君の叔母が吐いた暴言の記録も見ている。『君がもっと賢ければ、あるいは男の子だったなら、桜屋敷の跡取りの可能性もあっただろうに——君がその程度だから、誰も櫻屋敷の子と信じないのだ』といったことを(わめ)いていた」

 

——あんたがその程度だから、認めてもらえないのよ。

 耳の奥で、誰かが怒鳴(どな)った。

 激昂していた脳は、いつのまにか冷えきっている。

 

「……君は、子供心に傷を負ったのだろう。ゆえに、記憶を改竄(かいざん)し……母親との約束として、前向きに捉えたのかも知れないね……」


 急に、足下が抜けるような喪失感があった。

 サクラの出した答えを、血の気の引く思いで受け止めた。

 

 指先が……震える。開いた唇も、声も、はっきりしない。

 おぼつかない響きで、


「……じゃあ、おれは、なんのために……」


——なんのために、ここまで頑張ってきたんだろう?

 

 口にできない思いとともに茫然(ぼうぜん)としていると、サクラの顔が淡い微笑みに染まった。


「……私は、大きな誤解をしていたようだね?」


 ふいに、訳の分からないことを呟いた。

 

 誤解していたのは——おれだ。

 おれが、ひとりで、馬鹿みたいな妄想に囚われて。

 

——将来、一緒に暮らそうって約束してる。一緒に暮らすためにも、おれ、頑張ってエリート目指すんだ! 母さんを幸せにするんだっ。

 

 都合のいい幸せな夢を、この胸に描いていた。


「誤解してたのは……おれです。おれが、……おれ、離れていても、母さんはおれのことを……愛してくれてるんだって……必要としてくれてるんだって、思ってた。……だから、いつも頑張ってこれたのに……」

「………………」

「おれ……ひとりだ。……ほんとの身内にも、手切れ金で見捨てられてる。……はじめから、誰もおれなんて……必要としてなかった……」

 

 西日に染まる校舎の影が、ゆっくりと長く伸びていく。遠くから聞こえたチャイムの音が、誰のものでもない日常を刻んでいた。


 頭に押し寄せる絶望が、胸を痛ませるけれども——振り払えない。もう、希望なんてない。

 

(おれの今に、なんの価値があるんだ?)

 

 おれの母さんはいない。

 いつか来る、幸せな未来のために生きてきたようなものなのに——。

 

 もう何も、残っていない。

 

 

 

 

 

 

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