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ある日の放課後、上葛 麦は図書館に併設された自習室にいた。
桜統学と呼ばれる学習——研究のため、麦は普段から図書館に足を運んでいた。
麦が自習室で勉強していると、同学年の生徒たちがぽそぽそと話す声が耳に届くことがある。
——座席、空いてる?
——空いてない。
——あそこは?
——隣が2Bだよ。
——カミヤハヤト?
——違う、ラ・レーヌ・ドゥースの子。
——あぁ、おまけの子。
他クラスの生徒が麦を話題にするとき、使われるのは見下したような呼び方ばかりだ。
Bクラスは学年で優秀な生徒が集まっているが、純粋なテスト順位で決まるわけではない。生徒の希望する進路や内申点も加味される。テスト順位の低い麦は、内申点の高さから入ったとされているが……親の七光と思っている生徒も多い。
実際、麦の家は桜統学園に多額の寄附をしていた。麦自身も、自分がBクラスに入れたのは奇跡ではなく、大人たちの意図が絡んでいるのだと感じていた。
(……今日は、もう帰ろう)
かすかに聞こえた他人の言葉に心を沈ませて、麦は自習室を後にした。
図書館の外に出て、傾いた太陽が透ける桜の下、麦は静かに歩いた。
今日の麦は、朝から気持ちが落ちていた。
先日のホームルームで話し合ったクラス企画が、昨日の代表委員会で否認されたらしい。
教室での喫茶が認められなかった。飲食店は前例がないのもあって、衛生面に懸念が残る——と。喫茶でなければいけない理由もなく、別案を出すよう指示されたと壱正が述べていた。
どうして喫茶がしたいのか——そこを突っこまれると、確かに弱い。女子を招致したいから、とは言えない。果たして素人の喫茶にどれほどの(女子)集客力があるかも分からない。
無難に作品展示にしてしまおうか、というのがクラスの流れだった。
(カフェをするの、すこし楽しみだったけど……仕方ないよね……)
花びらが落ちたアスファルトを眺めながら、とぼとぼと正門に向かう。
麦は喫茶に用意する焼き菓子を、クラス企画の話が出た日のうちに見繕っていた。もちろん父親にも話を通して、承諾を得ていた。
クラスでは目立たない自分が珍しく役に立てそうで、ドキドキとした高揚感を覚えていた。
——なのに。
「むーぎーくんっ!」
落ち込む麦の肩を、ポンっと誰かが叩いた。
振り返った先には、クラスメイトのヒナが笑って立っていた。
「ぁ……ヒナくん……」
「図書館から出てきた? 麦くん、もう帰るとこ?」
「うん……」
「おれも、部活が終わったとこなんだ。麦くんもまだ図書館にいるかなって思って捜しに来たんだけど……会えたなっ!」
「……僕を捜してたの?」
「クラス企画のこと、話したくて。よかったら、夜ごはん、一緒に食べられないかな?」
「えっ……」
「無理なら、いいんだ。でも……今朝から、麦くん元気なかったから……もしかして、おれと一緒で『執事喫茶』を反対されたことで落ち込んでるのかなーなんて思って」
「………………」
「……落ち込んでなんてない?」
「……すこし、落ち込んでる」
「——そうだよな。麦くんも『執事喫茶』に乗り気だったもんなっ?」
執事喫茶に乗り気だったわけじゃない。喫茶そのものに興味があった。クラスメイトのみんなでカフェをやってみたかった。自分が役に立てそうなことにも……ワクワクした。
心の声を何ひとつ上手く言えず戸惑う麦に、ヒナは笑って、
「あのさ。おれ、まだちょっと諦めついてなくて……よかったら、一緒に作戦会議しない?」
「ぇ……?」
(どうして、僕に?)
話し合うなら、もっと適切な子がいるだろうに。
麦の疑問を察したように、ヒナは答える。
「執事喫茶というか……カフェや料理のことなら、研究もあるし、麦くんが一番詳しいだろ? 一緒に話し合ったら、絶対いいアイディアが出てくると思うんだ!」
「………………」
「……だめかな?」
自信満々に麦を推しておきながら、最後は断られるのを心配するように首をかしげる。ヒナの不安げな瞳に、麦は目を合わせていた。
——不思議な子。
転入生なのに、中学から一緒にいたみたいに2Bの真ん中で馴染んでいる。
(頭がいい子って……どこにいっても上手くやれるのかな……?)
思考の隅で他のことを考えつつ、麦はヒナの誘いを了承した。
喫茶問題を解決できるとは思えなかったが、
——麦くんが一番詳しいだろ? 一緒に話し合ったら、絶対いいアイディアが出てくると思うんだ!
そう言ってくれたヒナの言葉に、落ちていた気持ちが、ふわりと。
少しだけ、上昇したので。
「やった! じゃあ、寮横カフェテリアいこう! おれたち2Bの占拠地だからっ!」
(それって……ハヤトくんが入寮したから、人が少なくなったっていう……)
最近になって知った『カフェテリアの人が全然いない問題』。それを占拠地と呼ぶヒナに、麦は思わず笑っていた。
2Bが抱える問題を、ヒナは明るく笑い飛ばしていく。ヒナといると、すべてが大したことではないように思える——不思議な錯覚がある。
(いいな。僕も、ヒナくんみたいになれたらいいのに……)
麦の胸に灯る小さな憧れは、少しだけ嫉妬にも似ていた。




