01_Track13
いつもどおりだった。いつもどおりのはずだった。
ヒナは考え事のせいで寝不足を感じてはいたけれど、気を張って授業を乗り越えた。放課後は早く帰って仮眠を取ろう。
変わらず琉夏は鬱陶しく、クラスメイトも辟易していたが、ヒナのそばにいなければ巻き込まれない。ルイと麦からは、ヒナ自身が距離をとった。琉夏の悪意ある言葉が、ルイや麦に向くのが耐えられなくなった。
琉夏の発言は過激になってきている。誹謗中傷にならないラインで、不愉快な発言をしている。
琉夏を無視して動じない壱正が唯一の救いだが、ピリピリと神経質な空気は感じる。学校側に報告できる要素があればすぐにでも報告してやろう——そんな張り詰めた空気を常に携えている。
(琉夏をなんとかしないと……だめだ)
みんなも感じているストレスは、もちろんヒナが一番に募らせていて。
——だから。
「転入生ちゃん、一緒に帰らねェ~?」
昇降口で背後から声を掛けてきた琉夏を、ヒナは意図せず不機嫌に見返していた。身長差もあって睨め上げるようなヒナの目を、琉夏は薄笑いで受け止める。
琉夏の後ろにはカミヤハヤトと小柄なピンクヘアの子もいたらしく、ピンクヘアが、
「その子と帰るんやったら、うちは先いくわ」
「なんで? みんなで帰りゃい~じゃん?」
「イヤやって」
うんざりした声で靴を入れ替えるピンクヘアに、金髪は無言。ヒナも無言。
ここは2Bの靴箱しかない。他に生徒のいない昇降口は、沈黙で暗く沈んでいる。
「え~?」と声をあげる琉夏を横に、ヒナは靴を履き替えた足で昇降口を出ようとした。
外へ出ようとしたヒナを、琉夏の長い腕が、
「——なに無視してンの?」
強く押さえた。
体に触れられることはなかったが、肩に掛けていたスクールバッグの持ち手を掴まれていた。前に進もうとしていた肩から、バッグだけが強引に引かれて、
ガンッ。昇降口の硬い床に響く鈍い音。
学園支給のタブレット端末は保護ケースに入っているが、その衝撃音はいやに耳に残った。
表情を変えたのはヒナだけでなく、全員が一瞬だけ息を止めた。
「おれの……!」
バッグに手を伸ばしたヒナが真っ先に心配したのは、タブレットではなかった。
タイルの床に散った、細かな破片。
桜を模した平たいプラスチックが、割れていた。
キーホルダーの残骸を手に取る。
「……はァ? そっち?」
頭上から落ちてくる琉夏の声は、理解できないと言いたげだった。他にも言葉が続いたが、頭の中まで入ってこない。
掌の上の、割れた桜。
大事なお守り。
試験で失敗しないように、落ち着いて挑めるように。チェリーから授けられたアドバイス。
——大丈夫、桜を見れば落ち着くよ。緊張と不安で手が止まってしまったときは、窓の外に目をやれば、桜が咲いているから。
ヒナは、中学3年生のときに桜統の入学試験で失敗している。合格はしたが、特待生として認められなかった。数学の最後の難問に当たったとき、頭が真っ白になって解けなかった。
桜統の満点主義は揺らがず、特待生でなければ学費免除がない。金銭的理由から、一度は入学を諦めている。
——桜は、ヒナを護ってくれる花だからね。
チェリーにしては理のないアドバイスだった。ヒナの不安を払うためだけの、おまじない。
転入試験の会場は、ここ。桜統学園。年中咲く桜に見守られ、二度目の試験は万全の状態で乗り越えた。
合格の記念と、お祝いと、それから今後のお守りに。初めて買ったご褒美が——
砕けた。
まるで花弁が散ったかのような、欠けた桜。掌のなかで息絶えていくみたいだった。
拾い上げた破片は、少し触れただけで、ひびの入った箇所から簡単に崩れた。
パキッ。頭のどこかで、同じ音をして、何かが弾ける。
「——いいかげんにしろよっ」
怒鳴り声を出したことはない。
今までずっといい子に過ごしてきた。小さい頃からヒナは「みんな、じゃんけん勝負で決めようよ」と、仲裁役を買って出るほうで、揉める立場にはならなかった。
——だから、この燃えるような感情は、経験がない。
かっと頭に湧きあがった熱は、声をあげて吐き出したせいか、急速に鎮火した。
桜の破片を握りしめる。熱の名残で、脳が冴え渡っている。
立ち上がったヒナは、琉夏を見上げた。
「……これ、おれの大事な物だ」
「へェ~? なら手放しちゃダメじゃん? スクバ落としたのは、そっちの過失だよな?」
「お前が引っ張ったからだろ」
「お前? 誰に言ってンの?」
「お前だよ、琉夏。お前、なんでそんな嫌なやつなんだよ」
「は?」
「おれと仲良くなりたいなら、やりかた間違ってるからな」
「誰がアンタと仲良くなりたいって?」
「違うなら、ちょっと黙ってろよ」
視線を、横のカミヤハヤトに投げた。
目が合うのは久しぶりだ。ひょっとすると、初対面のとき以来か。
「カミヤハヤト?」
「……なんだよ」
低い声。でも、はっきりしている。
名前は合っていた。当の本人で間違いない。
「おれは、お前らがどんなやつで、何をやらかしたのか知らない。おれには関係ない。——けどな、おれの高校生活を邪魔するなら、勝負だ!」
「…………は?」
鋭い顔つきで途中まで聞いていたカミヤハヤトは、ワンテンポ遅れて眉を寄せた。
握ったままの拳を、カミヤハヤトに向けて小さく突き出す。
「お前、2Bのボスなんだって? ……今時ボスって時代錯誤だけど、おれも乗っかってやるから。不良って喧嘩で勝負するんだろ? 勝負しておれが勝ったら、お前ら3人ともおれの言うことを聞こう!」
「……何言ってんだ?」
何言ってんだろな。おれも思う。
てっとり早い解決策に勝負が閃いてしまったんだ。寝不足だ。
「琉夏に手を出すと、トップのカミヤハヤトが出てくるんだろ? 壱正がそれっぽい感じで警戒してたもん。だから、おれはトップのお前をぶっ飛ばして新ボスになるんだ。ほんとは暴力反対なのに……みんなで仲良くするために力でねじ伏せるしかないなんて不条理だな……」
「お前、何言ってるか分かってねぇだろ。俺とお前じゃ勝負にならな——」
カミヤハヤトの言葉に、琉夏のやかましい笑い声が被った。
「いいじゃん、やろ~よ」
ざらりとした声で琉夏が言い、カミヤハヤトを見やる。
「ハヤトが勝ったら、アンタはAクラに消えて。オレの視界がひらけて勉強にやる気出るし、利害一致」
「(サクラ先生の授業、まともに聞いてないくせに)……いーよ、了解」
「『ハヤトをぶっ飛ばす』って、アンタが言い出したンだからな?」
琉夏が手首を見せつけた。ブレス端末の小さなライトが点っている。録音されている。
(やり返してきやがった)
イラっとしたが、笑っておく。
今さら引き返せやしない。
離れた場所で、ピンクヘアだけが肩をすくめていた。ぽそりと独り言を口にする。
「なんで、うちも入ってるんや……?」
——おれが勝ったら、お前ら3人ともおれの言うことを聞こう!
勢いまかせの決闘が、策もなく始まろうとしていた。




