01_Track10
朝の教室に入るなり、ヒナは停止した。
教室の前方ドアから、いつも先にいる壱正へと掛けたヒナの挨拶は、
「おはよー……?」
途中で疑問の響きに変わった。
壱正は立っていた。
普段なら、朝一で教室に来る壱正は勉強をしている。着席したまま、ヒナの挨拶に「おはよう」と返してくれる。
壱正が立っているのも珍しいが、ヒナが停止した理由は、教室の中央が……妙にぽっかりしていた。
違和感の正体。自席が行方不明だった。
「あれ? おれの机は?」
壱正に尋ねる。
彼は眉を寄せて首を振り、
「私が来たときには、すでになかった。今から捜そうと思うが……」
ヒナに答える壱正の顔は、困惑と険しさが混じっている。原因に見当がついているような。
(……なんだろ?)
首をかしげるヒナに、壱正からの説明はない。
代わりに、
「邪魔」
トンっと軽い衝撃が、肩口に。振り返ると、背の高い体がヒナの横をすり抜けた。
こんなに早く来たことはない、カラフルな頭髪の、
「あ、ごめん。おはよー、琉夏くん?」
登録名は『琉夏』。周りがルカと呼んでいるので、読みはあっていると思うが、本人から反応はなかった。
(琉夏くんは、いつも後ろから入ってくるのにな……?)
反射的に挨拶したが、これまで話したことはない。サクラからも「今しばらく距離を置いておきなさい」とのアドバイス。
疑問を胸にしまい、机のことを学園のチャットボットに問い合わせようとした、そのとき、壱正が琉夏を呼び止めた。
「琉夏、ヒナの机とイスは?」
「なんでオレに訊くワケ?」
「琉夏がどこかにやったのではないだろうか?」
「オレが? やってねェって」
セリフだけなら、琉夏に疑いは抱かなかった。
しかし、壱正の問いに、琉夏はニヤッと笑った。自分の座席がある窓ぎわまで行き、おもむろに窓の外をのぞいた。窓は開いていた。
「あァ~? あれかなァ?」
白々しい声をあげて振り返ると、ヒナを手招きしてみせる。
ヒナは戸惑いながらも、窓に近寄って、横からのぞいた。
図書館へのルートになる、窓下の通路。ひっくり返った机が、
「——おれのっ?」
びっくりして窓枠から身を乗り出しかけた。
そこには、無惨に転がった机とイスがあった。ここから見ただけでは自分の座席と断言できないが、状況から判断するにヒナのだろう。
「なんで落ちてんだっ?」
「さァ~? ゴミと間違って捨てられたンじゃねェ~?」
驚愕のヒナに、琉夏が横でニヤニヤと笑っている。
驚きで真っ白になっていたが、嫌みな琉夏の言いぶりに察した。
(こいつがやった?)
横を見上げれば、愉しげな瞳とぶつかる。こちらの反応を見ているような、上から目線。
ヒナは、琉夏との間にブレス端末を掲げた。
「警察、呼んでいい? イジメってどこの部署になんのかな? もしかして、生で刑事さん見られる?」
「いいねェ、呼んでよ。この程度でどこまで調べられるか知りてェな。あァ、刑事課じゃなくて生活安全課じゃねェ?」
「……琉夏くんがやったの?」
「やってねェよ? 録音しても無駄」
「………………」
ブレス端末から手を下ろす。無言で琉夏を見上げていると、窓下で誰か——壱正が、机に近寄るのが見えた。
いつのまに外に出ていたのか。はっとして、ヒナも教室を出ると外へ向かった。
昇降口で壱正と出くわした。イスと机を重ねて運ぶ彼に、登校して来た麦が目を丸くしていた。
「——壱正、いいよ。おれが運ぶよ」
「……それなら、ヒナはイスを頼む」
「いや、逆だろ。おれが机を運ぶよ」
「いい、机は私が運ぶ」
机を取ろうとしたが強く拒まれ、結局イスを運ぶことになった。
横から麦が、控えめな声量で尋ねる。
「……どうしたの?」
壱正は短く、「琉夏だ」とだけ告げた。
それだけじゃ何も分からないはずだと思ったが、麦は察したようだった。何も言うことなく押し黙った。
階段に向かう壱正の後を、ヒナもついていく。
——こういうこと、前にもあった? 2Bのクラスメイトが少ないのって、琉夏くんのせい?
訊いてみようかと開いた口が、問う前に、
「ヒナ、琉夏たちとは関わらないほうがいい」
「……え?」
「先生には報告しておく。ヒナからも報告しておくといい。確証はないが、琉夏がやったと思う——そう報告すればいい」
「うん、そうだな……?」
「学園が介入すれば、ブレス端末の警戒レベルが上がる。机を落とすことは、もうできないはずだ」
「へぇ……」
「本人に問い詰める必要はない。逐一やられたことを報告して、次の可能性を潰していくほうが安全だ」
「それは……イジメられてから対応しろってこと?」
「……そうなる」
「………………」
「不満はあるかも知れないが、安全だ」
「安全って……琉夏くん、そんなやばい子? キレて殴りまくるタイプ?」
「いや、問題なのは琉夏ではなく……」
壱正は言葉の続きを呑み込んだ。2階まで上がりきった壱正がヒナを振り返り、口を閉ざした。
半端な会話の途切れよりも、壱正の流れた視線。自分の背後の気配に気を引かれて、ヒナは思わず振り返った。
くすんだ金の髪。がっしりとした体。鋭い目つき。
クラスメイトのひとりが階段下から現れ、無言のままヒナを追い越していった。
「おはよー……」
ヒナの小さな声に、返事はなかった。
離れていた麦が、ゆっくりと階段を上がってくる。表情は暗い。
——『いじめ』がないとは言えないね。
ヒナの頭には、サクラの声が響いていた。




