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 カルロス様にはもっとふさわしい人がいる――レダがそんなことを言った日、僕は父にお願いごとをした。聖女の務めに同行させてほしいと。

 

 当分訪ねないと言ったのは、レダに腹を立てていたせいもある。あんなにも天真爛漫だった彼女が嫉妬深く、卑屈になってしまった。彼女が変わってしまったのは僕の責任だ。僕がちゃんと支えてあげられなかったから。


 カミラのほうがレダの支えになっているんじゃないか? 僕の婚約者にふさわしいのは彼女だと、レダが言うのは尊敬しているからだろう。近くで見て、一緒に行動してカミラの優秀さを実感したんだね。僕も知ってるよ、カミラが素晴らしい女の子だってことは。かつて、僕の婚約者だった人だからね。


 僕だけ、置いてけぼりを食らった感じがした。

 だから、聖女の仕事を手伝いたいと思った。噂に聞く聖女の力を間近で見てみたい。なにより、将来妻になる人のことをもっと知りたかった。カミラにばかり負担をかけさせたくないというのもあったけど、レダのそばにいたい、支えたいという気持ちが強かったんだ。


 僕はフォーテンシア公の長男。父が亡くなるまでは子爵。亡くなってからは、領地と爵位を継承して侯爵になる。

 二人の弟たちは、特別扱いされる僕のことが(うらや)ましかっただろうけど、全然いいことなんかなかったよ。僕は職業選択の自由を与えられた弟たちが羨ましかった。学校に行って外の世界と交わる弟たちは、したい勉強をして将来の自分に思いを馳せる。


 一方の僕はこの家の象徴とも言える厳格な父と、心配性の母、家庭教師と使用人だけに囲まれた小さな世界で生きている。夢なんか、持てるはずないじゃないか。将来はすでに決められている。

 毎日、鬱々と勉強する。家という制度に縛られた操り人形が僕だ。僕は生ける屍だった。


 そんな僕のところへレダは現れた。

 

 初めて会った時、びっくりしたんだ。好きなように振る舞い、笑い、話す彼女に。なんて自由で可愛らしい子なんだろうと思った。日焼けした肌や赤い頬は健康的で、短い髪によく合っていた。大きな目をキラキラさせて、町の様子を話すレダに僕は惹かれた。こんな子、今までに見たことがない。


 まともな教育を受けていないと、父や母はレダに偏見を持っていた。国王の命令とはいえ、大切な長男に厄介な嫁を押し付けられたと思ったのだろうね。

 でも、僕はレダと出会ったことで変わることができた。これまで、白と黒の味気なかった世界が色づけられ、ただ散歩をするだけでも楽しくなった。気にも留めなかった流れゆく雲や道端に咲く花を見て、美しいと感じるようになった。


 勉強に対する姿勢も変わったよ。ただ知識として蓄積するのではなく、どうして?なぜ?どうしたらいい?……疑問が湧いてくるようになった。それと、もっと世界を知りたいと思うようになったんだ。


 だが、前向きになった僕と反比例してレダは弱っていった。

 会うたび女性らしくなっていくのは、貴族的な所作やマナーを身に着けていったからだ。僕と同様、いや、もっと厳しく(しつ)けられたのだろう。無邪気さや生き生きとした野性味は消え、ただのお人形さんになってしまった。以前の僕と一緒だ。そして、そんな彼女の中には鬱屈した思考がグルグルと渦巻いていた。これも僕と一緒。

 僕はこんなこと、これっぽっちも望んでなかったのに……




 聖女の務めに付き添いたいという要望は、すぐには通らなかった。

 まず、母が危険を心配し、父は勉強が(おろそ)かになるのではないかと難色を示した。カミラも補佐役を負担に感じてはおらず、逆に自分の仕事を奪われるのではないかと懸念したようだ。

 説得に説得を重ねてやっと、カミラと交代で補佐役を務めさせてもらえることになった。カミラの両親に話したのが、功を奏したかもしれない。クラーヴォ侯爵夫妻はカミラに課せられた任務を快く思っていなかった。


 当日、僕は喜び勇んで、レダを迎えに行った。

 公爵家の豪勢な馬車が屋敷の前に止まったから、レダは驚いただろう。カミラってば、直前になって知らせたらしい。

 レダはもじもじしてロクに話してもくれなかった。もう、屋敷へは行かないと僕のほうから言ったんだから、当然だよね。僕もなんとなく、仲直りのタイミングがつかめなくて、無言で王城へと向かった。


 王城の中庭には大きな魔法陣が描かれ、魔術師たちが待機していた。彼らと従者、騎士、合わせて三十人が僕らに同行する。

 向かうのは北部。雪解け水を主な水源としている地域だ。昨年積もった山地の雪が夏になっても溶けず、農作物が育たないのだという。また、流行り病が蔓延して、民は苦しんでいる。


 着いてから領主に挨拶をし、詳しい事情を教えてもらった。僕が王弟の息子と知って、いらぬ気遣いをされそうになったが、接待を固辞し、僕らはただちに農地へと移動した。


 城下町を過ぎ、森を通る。舗装が行き届いていない道は馬車を大いに揺らした。僕は少々気持ち悪くても我慢した。物言わぬ人形となったレダはいつだって、耐えていたにちがいないのだ。レダが乗馬を覚えてくれたら、馬で移動してもいいとは思う。

 暗い森は悪夢のようだった。木々は僕らを嘲笑い、枝を伸ばして(もてあそ)ぼうとする。ときおり、馬車の窓を引っかいてきては、葉擦れの音をさせる彼らにレダは(おび)えていた。気持ち悪さも相まって、外の景色はグイングイン歪んで見える。


 向かい合って座るのをやめて、彼女を抱き寄せようかと考えた時、ようやく外が明るくなった。僕はホッとして、窓に顔を寄せた。真夏の今は通常なら収穫の最盛期。豊かな緑に覆われているはずである。だが、広がるのはひび割れた茶色い農地だ。緑はまったく見えない。事前に聞いていたとはいえ、僕は落胆した。


 どこもかしこも、カラッカラに干からびていた。気温も相当高い。馬車を降りた僕たちは汗を拭き拭き、状況を確認した。従者たちはテントを設営する。


 荒れた畑の背後にそびえる山脈が白いのには違和感を覚えた。山と平地の気温差が尋常ではないのだ。地上がこれだけ暑ければ、山の雪も溶けると思うのだが。


 僕の心配をよそに早速、レダは祈祷を始めた。

 それは、とても神秘的な光景だった。


 スゥーと冷たい風が吹き、太陽が隠れる。薄暗くなったせいか、彼女の周りが淡く光っていることに気づいた。温かく、優しい光だ。その光が細い糸となり、天へ昇っていくのが見えた。よく目をこらさないと、捉えるのは難しかっただろう。今の彼女みたいに儚かった。


 ポツポツと降り始めた雨はザァザァになり、やがて滝のような本降りとなった。従者が日よけに差していた日傘はなんの効果も、もたらさない。僕たちは上から下までずぶぬれになった。テントの中へ入るようにと、護衛の騎士に言われたが僕は断った。

 大雨のなか、祈祷し続けるレダを一人にしたくなかったのだ。ただし、他の同行者には別の役割がある。彼らが風邪を引くようなことがあっては困ると、僕らのことは気にせず、中へ入るよう勧めた。僕とレダは二人きり、何時間も雨に打たれ続けた。


 祈っている時の彼女は、聖女という言葉以外に当てはまるものがないほど気高く美しかった。彼女が発する生気は視覚で捉えられるぐらい膨大で、ほんのり光って見える。こんな清らかな人を僕のものにしてもいいのだろうかと罪悪感を抱いてしまう。触れることすら、身の程知らずな聖域。それがレダだった。僕は降りしきる雨のなか、ただひたすら彼女を見ているしかなかった。



 祈祷が終わっても、効果は数日間持続する、と聞いた。

 祈り終えたレダを僕は柔らかなブランケットでくるんだ。


「お疲れさま」


 ごくごく自然な労いの言葉に、レダは目を見張った。ああ、そうだね。僕の(わだかま)りは雨が全部流してしまったけど、君はまだ気にしているのか。僕はこの間のことをレダに謝った。


「な、なんで、カルロス様が謝るだか? 失礼なこと、申したのはおらなのに……」

「君は何も失礼なことなんか言ってないよ? 僕が勝手にすねて、君に嫌な思いをさせただけさ……そんなことより、君の能力はすごいね! いつも、間近で見れていたカミラが羨ましいよ」

「そんな……そんなことねぇです。おらなんか……でも、カミラに言われだ。誇りを持てって」


 まえに会った時とは打って変わって、レダの目には輝きが戻っていた。輝きを取り戻させたのはカミラか。すねるだけで何もできなかった僕とちがって、カミラはレダの力になってる。僕は嫉妬した。けど、負けたくないとも思った。

 僕は冷たいレダの手をギュッと握りしめた。彼女の赤い頬がいっそう赤くなる。


「これからは僕もそばにいる。君を必ず守る」


 レダは返事の代わりに、手を握り返してくれた。

 テントでしばらく休んだら、流行り病の患者であふれている療養施設へ向かう。僕らはそれぞれ着替えさせられた。カーテンで仕切られた向こうに、あられもない姿のレダがいるのかと思うと、ちょっとドキドキする。衣擦(きぬず)れの音に僕は動揺してしまった。

 神々しい彼女、無邪気でかわいい彼女、女の子の彼女……レダにはいろんな顔がある。


 カーテンが開いた時、レダは髪飾りを取っていた。乾かない髪はまとめ上げられている。そうだ、新しい髪飾りを彼女に贈らなければ――僕の視線は完璧なカーヴを描くうなじへと注がれる。垂れる後れ毛が色っぽかった。


 初夜に顔を合わせた夫婦みたいに恥じらい、僕らは手をつないだ。

 馬車に乗ってからも、もちろん手は握ったまま。小さくて丸っこい、幼児性の残る手を僕は離したくなかったんだ。


 馬車が急停止して、必然的にレダは僕の胸に飛び込んできた。

 まだ、濡れた髪が顎に触れ、女の子の匂いが鼻腔をくすぐる。しかし、僕はその小さな身体を抱きとめたあと、彼女から離れ、剣柄を握りしめた。


 外からは獣の咆哮が聞こえる。すぐ近くで「ぎゃああああああ!!」と、断末魔の悲鳴が聞こえた。


「ここでジッとしていて……」


 僕はレダにささやくと、馬車の外へ出た。僕だって多少の心得はある。


 灰色の世界で護衛の騎士たちが戦っている。現れたのは氷の獅子だ。馬車の周りを守っていた騎士たちの半数が馬から降りて戦っていた。獅子は五頭、騎士は十五人。魔術師二人が援護に入ろうとしている。従者や荷物を載せたワゴンは横転していた。


 なるほど。たぶん、山の雪が溶けなかったのはモンスターのせいだ。氷の属性を持つ彼らが山地の気温を下げていたのだ。


 ふたたび、獣の咆哮が耳をつんざき、僕は自分が出てきた馬車を見やった。二人いた御者のうちの一人が喰われている。もう一人は馬車から転げ落ちてしまった。

 御者を喰っているモンスターは他の獅子とは異なっていた。透き通った氷の体は同じだが、一ツ目の首が三つ付いている。首の一つが馬車から転げ落ちる御者に感づき、目を青く光らせた。


 つぎの瞬間、青い光線は哀れな御者を貫き、カチコチの氷漬けにしてしまった。

 一瞬の出来事だ。魔獣というのはとてつもない力で人間の存在をねじ伏せる。彼らは邪悪だけど、さっき見た聖女の光とも似た聖域を思わせる。神に近い存在というか。生半可な気持ちで相対しては、やられてしまう。

 レダを守らなくては! 僕は恐怖を感じるまえに動いていた。

 騎士たちは他の獅子に奮闘している。恐ろしい化け物がレダの近くにいる状態だ。

 

 抜刀して馬車のうしろへ回り込み、駆けた。正面から斬りつけようとするほど、無謀ではない。僕は冷静だった。


 御者を喰うのに夢中なモンスターは、思いがけない方向からの来襲は想定していない。不意打ちで、僕は一頭の首を打ち落とした。気づいた二頭が襲いかかってくる。

 片方が御者を氷漬けにした能力を発動するのだと、僕は気づいた。足を踏み出した刹那に飛び上がる。青い光線を回避し、着地と同時に二頭目の首を取った。問題は三頭目だ。氷の攻撃をしてこなかったのは、不幸中の幸いというべきか。僕は腹に食いつかれた。


 あ、やられた!……とは思った。だが、僕には彼女を守るという使命がある。痛みや自分の命より、僕は使命を優先した。僕の(はらわた)をむさぼる一ツ目の首をストン……身体から切り離す。流血はもはや、どちらのものか、わかりはしない。身体から離れても、しばらく一ツ目は僕を喰い続けた。


 朦朧とする意識は泥濘(でいねい)に沈んでいく。壮絶な痛みだけが僕の意識をつなぎ止めていた。僕を喰っていた一ツ目が、いつ離れたかはわからない。

 人間と言うのは、案外死なないものなのだなと、ぼんやり思う。身体から心が離れていった。


 僕は少しの間、気を失っていたのだろうか?


 ポタポタと顔に落ちる雨が(わずら)わしくて、薄目を開けた。しずくは口の中にも入ってきた。塩辛い。ということは涙か。僕は泣いているのか。

 しかし、自分の涙は上から落ちてこない。疑問はそのままに、ぼやけた視界がくっきりしてきた。


「カルロス様……ああ、カルロス様……死なねぇでけろ……」


 涙の主はレダだった。

 モンスターに腸を食い荒らされた僕は、レダの膝を枕に寝ているのだった。


「あっ! 気がづいだが?」


 レダは僕の口元を白いハンカチで拭ってくれた。吐血したんだな、僕。体の奥から力が湧き上がってきて、僕はハンカチごとレダの手を握った。

 よく見ると、ハンカチに下手クソな刺繍がしてある……あれ? 僕の名前?

 ……そうか、レダが僕のために刺繍してくれたハンカチだったんだね。ごめん、血で汚してしまって……


 僕は反対の手でモンスターにやられた腹を触ってみた。もう、痛みは消えている。

 夢じゃないだろうか? さっきまで、腸がはみ出ていたはずの僕の腹は真っ平で、絶望的な裂け目はどこにもない。血でベトベトしていたけど、傷はきれいさっぱり消えていた。


「レダ……君が治してくれたの?」

「おら、必死で……カルロス様が死んじまったと思ったがら……」


 また、ポタポタ、塩辛い雨が降る。このあとの僕はもう、本能的に動いていた。無気力だった僕が決定的に変わった瞬間。自分で自分の選択をした瞬間――家と両親の呪いで操り人形となっていた僕は、人間に生まれ変わった。人間というのは強欲で汚いものだよ。神聖なる人を我が物にしてしまいたいと思うのだから。でも、生気に満ち満ちている。

 

 僕は彼女の両頬を挟み、自分のほうへグッと引き寄せた。そして、強引にキスをしてしまった。


 初めてのキスの味は甘いのか、しょっぱいのか……よくわからなかった。鉄っぽい味がした気もする。

 味はともかく、キスのあと、僕はきちんと彼女にささやいた。


「僕と結婚してください」


 ってね!




 了

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