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 十三歳まで農村で暮らしていたレダにとっては、何もかもがめずらしかった。

 

 馬車の窓から見える景色は別世界だ。

 煉瓦造りの建物も、形の違う石がみっちり埋め込まれた石畳も、背の高いガス灯や、大きな音を立てて駆け抜ける馬車、従者を何人も連れて歩く貴婦人や紳士たち……どれもこれも初めて見る。


「都会はすんげぇなぁ。おもしれぇ。目移りしちまう」

「あんまり、身を乗り出すのはやめなさいよ? みっともないんだから」


 レダと同乗するのはカミラ。レダを養女として迎え入れる侯爵家の長女だという。茶味がかったブロンドのカミラは、レダからすると大人びた異世界人だ。農村には、ドレスを着たお人形さんのような人はいない。これからカミラと姉妹になると言われても、いまいち実感が持てないのだった。


「でもよぉ……カミラど()そろいの服はめんこいんだげんとも、ヒラヒラしてなんか居心地が悪いのな? もっと動きやすい服がいいよぉ」

「ぐっ……わたしだって、あんたみたいな田舎っぺとおそろいの服なんか、着たくないわよ! んなことより、その田舎者丸出しのしゃべり方を何とかしなさいよ? これじゃあ、どこへも連れ出せないじゃないの!」


 レダたちはレースやリボンで彩られたドレスを着ている。カミラは水色、レダはピンクの色違いだ。同じデザインの服をまとうことで、美しいカミラに近づけた気がして、レダはちょっぴり嬉しかった。

 カミラが何をプリプリしているのかはわからない。しゃべり方を変えろと言われて、急に変えられるものでもないし……


(このドレス、見だ目はきれいだげんとも、着んのは窮屈だな。別さ、着るもんにこだわんなぐでも、使命は果だせるのにな? 貴族って、よぐわがんねえ生ぎ物だべ)


 ぶつくさ心のなかで(つぶや)くレダの向かいで、カミラもブツブツ言っている。


「メイクぐらいさせたほうが良かったかしら? その頬の赤み、なんとかなんないの……? ツルっとしたおかっぱ頭もキノコみたいだし……こんなんじゃ、ドレスを着せても、馬子にも衣装で違和感が凄まじいわ……」


 怖い目で見てくるカミラのことがレダは心配になった。


「どうしたんだべ? どごが具合が悪いのが? なんなら、おらの聖女の力、使ってくれるだよ?」

「ちっがうわよ!! あんたの見た目を心配してんの!! これから国王陛下に拝謁するんですからね? 芋娘丸出しじゃ、恥ずかしいのよ!」

「うーん……何が恥ずかしいんだか、おらにはよぐわかんねぇだべ。なんが、困らせちまって、ごめんな?」

「ムカつくわね……ハッ! そうだわ。わたしの髪飾りをつけたら、少しはマシになるんじゃないかしら?」


 カミラはそう言って、自分の髪につけていたダリアの髪飾りを取った。


「ジッとしていなさい。今、つけてあげるから」


 レダは言われたとおり、固まった。カミラからはふわっと甘い香りがする。むずがゆいのに心地良い。変な感じだ。


「さあ、できたわ! これで少しはマシになったでしょう」


 満足そうな笑顔を見せるカミラに、レダは見とれてしまった。


(こんなベッピン、村では見だごどがねえべ。まるで、女神様のようだべ)


「ジロジロ見んじゃないわよ!」

「わりぃ、わりぃ。あんまりベッピンで女神様のようだがら、見どれでただよ」


 とたんに、カミラの真っ白な肌に紅が差して、花が咲いたみたいになった。


「バッカじゃないの!! 機嫌を取ろうとしたって、ムダだからね。わたしはそう単純じゃないんだから。あんたの世話を焼くのは義務だからよ。それ以上でもそれ以下でもない」


 フンとそっぽを向くカミラに対し、レダは照れてんだな……と苦笑する。

 そこで、馬車は止まった。


「着いたようね。さ、降りましょう。くれぐれも粗相のないように……って、言ったって無理だろうけど」


 カミラが先に馬車を降り、レダが続いた。

 ステップを踏んだレダに手を差し伸べる人がいる。年齢はカミラと同じくらいか。カミラより、もっと色素の薄い金髪だ。それに濃い青空みたいな目。カミラと同じくらいきれいな人……


「君がレダだね? はじめまして。僕はカルロス・ペルフォギウス・ペッセゴ・デ・フォーテンシア。君の婚約者だよ」


 ステップを降りたあと、自分の前にひざまずくカルロスをレダはひたすら凝視した。


(これまだ、とんでもねぇベッピンが出でぎだなぁ。カミラどいい勝負だべ……はで、“こんやくしゃ”っつったべが? なんのこっちゃ?)


 ステップの下で待っていたカミラにレダは小突かれた。小声で、


「ば、バカッ……手を差し出しなさいよ!」


 と怒られる。レダは訳のわからぬまま、カルロスに手を差し出した。カルロスはレダの手を握り、チュッとキスをする。


「ひゃっ……こそばゆいっ!! なにすんだべ?? びっくりするでねぇか??」


 レダにとっては初めての体験だ。挨拶、なのか?……と、手を引っ込めてから気づいた。カルロスは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。そばにいるカミラが上ずった声を出した。


「カルロス様、申しわけございませんっっ!! この子、田舎から出てきたばっかりで……」


 言い訳をするまえに、カルロスはパァッと笑顔になった。


「おもしろいね、レダ!! くすぐったくしてごめんよ!」


 カルロスが声を立てて笑うと、あちらこちらで花が咲いたかと錯覚した。

 ぽけぇーとしているレダにカルロスは肘を突き出してくる。カミラに腕を絡めなさいと指示され、レダはたどたどしくカルロスと腕を組んだ。


「さぁ! 王の間まで案内するよ!!」


 そうして、レダはカルロスに導かれ、王の間へと向かったのである。




 ††  ††  ††


(んだども、王サマっつぅのはケッタイな椅子に座ってんだな。キンキラキンのツルッツルのフワッフワのクッションが敷がれであって、どごもがしこも眩しくて目ん玉が潰れそうだ)


 玉座まで敷かれた赤い絨毯を歩きながら、レダはこんなことを思った。王の間はちっぽけなレダには広すぎる。ここで何人が寝られるだろうかと計算したりした。王の間だけではない。城の大きさにレダは圧倒されていた。


(いったい、何人で暮らしてんだろうな? 千人ぐれぇか? いや、もっどか?)


 王都から玉座までの道のりは驚きの連続だった。玉座の前で待っている間も放心状態だったレダは、国王が来たのに気づけず、脇腹をつつかれた。レダの脇腹はカミラにつつかれ過ぎで、感覚が鈍くなっている。そのうち、凹んだまま直らなくなるんじゃないかとさえ思った。


 付け焼刃で教わった作法は役に立たない。片膝を折って、上手にお辞儀するカミラを真似ようとして、レダは転びそうになってしまった。

 大きな玉座に巨漢の国王はすっぽり収まった。


(どんだけ食ったら、こんなにデカくなれんだ??)


 農村に太った人はいないから、よく肥えた国王には好奇心をそそられる。レダはジッと見続けてしまい、目が合って顔を伏せた。


「そのおかっぱ頭が聖女レダか?」

「さようでございます、陛下」


 レダの代わりにカミラが返答する。


「前国王、我が兄の落とし(だね)であるそちを長らく探しておった。魔女がそちをさらい、隣国で隠し育てたと聞いておる。希少な聖女の能力は、我が国に富をもたらす。そちをさらった魔女が死んでいたのは幸いであった。我が国の情報収集能力を駆使し、他国にいたそちを探し当てたのは、さらに幸運だったといえよう。これからは、聖女として国のために励むように」


 魔女――レダを十になるまで育ててくれた婆ちゃが、そんなふうに言われるのは悲しかった。


(最初は誘拐目的だったかもしんねぇけど、おらは婆ちゃに大切に育でられたんだ。そんなふうに言ってくれるなよ)


 農村から連れて来られる時にレダが聞いていたのは、聖女の能力を貧しい人や病やケガで困っている人に役立ててほしいという内容だった。“国のため”というのは、そういうことだとレダは解釈した。顔を上げ、


「かしこまった。陛下。おらにまがしておげ!」


 拳を胸に当てた。人助けなら願ってもないことだ。婆ちゃが死んだあと、貧しい村をレダは救った。それまで、魔女だと差別的な目で見られていたのが一変したのである。村の人たちとも仲良くなれた。新天地でも同じように人助けをすれば、気味悪がられることもない。みんな、ハッピーになれる。

 ポカンとする国王に、隣でうつむいていたカミラが説明した。


「へっ、陛下。これは……ですね、かしこまりました、心して承ります……という意味でございますっ!!」

「……さようか。それでは心して励め。下がってよし」


 謁見はこれにて終了した。レダは夢見心地のまま、王の間を出て馬車に乗せられた。カルロスとは、ここでさようならだ。

 これから、新しい住処(すみか)クラーヴォ侯爵邸へ向かう。クラーヴォ侯爵はカミラの父である。



 よく手入れされた庭園や立派なお屋敷を見ても、レダはもう驚かなかった。養父となるクラーヴォ侯爵と対面しても、なんか怖そうなヒゲのオッサンだな、と思う程度だ。


「わからないことはカミラに聞くように、それか妻のマリアナに……」


 養母となるクラーヴォ夫人はレダの下手くそなお辞儀を見て、卒倒しそうになった。

 メイドに両脇を支えられ、やっとのことで立つ夫人はカミラに似て美しい。白髪のクラーヴォ侯爵とは、だいぶ年が離れているように見える。

 貧血持ちだと聞かされたが、レダは自分のせいで倒れそうになったのだと、なんとなくわかっていた。


 部屋まで案内され、一人きりになるのかと思うと、急に寂しくなった。農家の一軒家より広い部屋からは、人の温かみが感じられない。天蓋付きベッドが大きな口を開けて待っている。よく磨かれた鏡台は悪魔の鏡みたいだし、猫足のソファーは今にも歩き出しそうだ。

 思わず、レダはカミラの袖をつかんでしまった。


「おっがね……カミラ、しばらく一緒にいてけろ」

「なによ?……何が怖いのよ?」

「なんもがもだ。全部、おばげに見える」


 カミラは困り顔をしている。レダにとってカミラは女神だ。他に頼れる人はいない。必死に目を潤ませて懇願した。


「んもぅ……なんでわたしが……侍女が来るまでの間だけですからね!」

「あ、これ、かえさねぇど!」


 レダはダリアの髪飾りを返そうとしたが、断られた。


「いいわよ、あんたにあげる。それ、あんたのほうが似合うし……」


 ぷりぷりしていても、カミラは優しい子なのだとレダは思う。カミラがどことなく寂しそうなのはなぜだろうと、疑問が芽生えた。そして、自分のせいのような気もしていた。


 身の回りの世話をする侍女がやってきて、カミラがいなくなると寂しくてたまらなくなった。婆ちゃが亡くなったあと、農家の大家族と生活していたから静寂が恐ろしい。

 大海へ放り出された子猫みたいに、レダはベッドの中で身を縮こまらせた。そのベッドもレダには大きすぎる。枕は大破した船の断片だ。しがみつくにしては心細く、今にも沈んでいってしまいそうだった。枕に顔を押し付け、レダはむせび泣いた。



 翌日から勉強の日々が始まった。教師が何人もやってきて、レダを教育する。行儀作法も徹底的に教えこまれた。婆ちゃに教えてもらい、読み書きと計算はできていたから問題なし……というわけにはいかず、一番問題視されたのは言葉遣いだった。これはなかなか直せなかった。


 行儀作法の先生はレダを鞭で打った。とんがった眼鏡をかけ、カマキリのような顔をした先生だ。レダは奥歯を噛み締め、懸命に泣くのをこらえた。両腕は何匹ものミミズが、のたうち回る悲惨な状態となった。

 カミラが気づかなければ、事態はもっと悪化したかもしれない。


 週末は休めると思いきや、聖女の仕事が待っている。レダは各地へ赴き、病人や貧しい人たちを癒した。レダが祈れば、砂漠に草が生え、荒れ地に花が咲く。聖女の力を求める人々は際限なく現れた。

 各地への移動は転移魔法を使う。同行するのはカミラだ。カミラは現地の貴族との仲介役を務めた。美しい見た目から、カミラが聖女だと勘違いされることは多々あった。


「あれ? どうしたのよ、その腕??」


 飢饉に見舞われた農地の一画で祈祷を捧げようと、うっかり腕まくりをしてカミラに見られてしまった。


「こ、これはだな……えーと……」

「誰にやられたのよ? なんで黙っているの!?」


 声を張り上げ、眉毛をつり上げるカミラが怖い。いつものぷりぷりモードではなく、本気モードである。激しい気性があらわになった。

 自分が悪いことをしたような気になり、レダはうつむいた。


「バカッ……黙ってたら、わからないじゃないの!! そうか、あなたの侍女は知ってて報告しなかったから、クビにするわ!」

「んな、侍女は関係ねぇべ。クビになんかしねぇでけろ」

「じゃ、誰にされたのか言いなさいよ?」


 レダはしぶしぶ、行儀作法の先生に鞭で打たれる話をした。


「あ、でも、先生は悪くねぇべ。おらがちゃんと、できねぇのがいけねぇだ」


 カミラは呆れ顔だ。


「あのねぇ……自分に害をなす人間をかばう必要はないのよ?」

「でも、おらのせいで職を失ったら、先生は食っていけなくなるだ」

「そんなこと、知ったこっちゃないわよ。それにね、悪い奴をかばうと増長するだけよ? あなた以外にも被害者がでる。あなたが悪事を覆い隠そうとしたせいで、他にも傷つく人が出るの。悪い奴をかばうのは、悪事に加担するのと同義よ」


 カミラの言い分は道理が通っており、レダも納得できた。

 侯爵家に来たばかりのころ、使用人がレダのしゃべり方をバカにしているのを見つけて、カミラが猛烈に怒った時のことを思い出す。その使用人をクビにするとまで言い出したから、レダは必死に止めたのだ。すると、カミラはこう言った。


「いい? あんた……あなたは曲りなりとも、侯爵家の養女なのよ? それに国を救う聖女、前王の落胤。高貴な身分なんですからね? あなたを粗末に扱うことは、我が侯爵家を軽んじているということにもなるわ。もっと、自分の立場を自覚しなさい」


 その時はカミラの話の半分も理解できなかった。


(要はこういうことだっぺな。おらの行動が、他の人の迷惑になっちまう)


 意味がわかると、ますます()しゃげてしまう。ときどき、カミラが寂しそうな顔を見せるのも、きっと自分のせいだと自己嫌悪に陥った。


「はぁーーー……元気だけが取り柄なんだから、しょんぼりしてんじゃないわよ? ほら、見なさい!」


 カミラはレダの赤い頬を両手で挟み、耕作地のほうへと向けた。来るまえは弱弱しい芽がわずかに出ているだけだったのが、今は青々と茂っている。


「これ、全部あなたがやったんですからね? 死んだ農地を蘇らせ、病人に生気を吹き込む。命を与える能力よ? そこらへんにいるエラそうな貴族より、たくさんの人を助けてるあなたのほうが立派なの! 貴族社会に馴染めないぐらいで、うしろ向きになってんじゃないわよ!」


 言うだけ言い、カミラはプイと背を向けてしまった。だが、そのおかげで、レダは前向きになることができた。やっぱり、カミラは女神様だ。

 翌日、別の先生が行儀作法のレッスンに来た。




 ††  ††  ††


 婚約者のカルロスが来る日は、屋敷中が浮ついた空気になる。

 カミラと同じくらいきれいで、優しいカルロスのことをレダは気に入っていた。週に一回の訪問の日を、いつも心待ちにしていたのである。カルロスは勉強のわからないところを教えてくれたり、ピアノの連弾をしてくれたり、物語や詩を朗読してくれたりする。


 レダは昼間から風呂に入れられ、上から下まできれいにされた。以前より令嬢らしくなったかと鏡を見ると、おかっぱ頭が肩まで伸びている。赤い頬とそばかすだらけの顔はどうにもならないけれど、カミラにもらったダリアの髪飾りをつければマシになるだろう。


 レダもカルロスが特別な人なのだと、ようやく理解してきた。

 カルロスの父、フォーテンシア公は国王の弟にあたる。レダは前国王、今の国王の兄にあたる人の落とし胤だから、カルロスとは従兄妹なのだ。そして、婚約者というのは将来結婚する予定の人という意味らしい。


(貴族っちゅうのは、面倒だべな。結婚相手も親が決めるんだべ。自分の好き勝手にできねぇんだからな)


 農村では皆が自由に恋愛していた。恋愛のことはわからないが、貴族社会はなんて窮屈で不自由なんだろうと、レダは思った。


 きれいにされて広間に向かう途中、忘れ物に気づき、部屋へ戻ることになった。取りに行きますという侍女の申し出を断ったのは、大切な物だったからだ。遅れることを広間で待っている人たちへ伝言してもらい、一人でレダは部屋に戻った。

 この数ヵ月、カミラに教えてもらい、針をブスブス指に刺しつつ、刺繍したハンカチを取りにいったのである。カルロスに渡そうと刺した刺繍は、カミラと共に築き上げた汗と涙の結晶だ。カルロスに渡すことより、大好きなカミラと作ったことがレダには重要だった。


 ドアノブに手をかけようとした時、中から声が聞こえた。

 侍女たちが後片付けをしているのだろうとレダは思った。なにせ、着飾るために数々のドレスやアクセサリーを出してきて選ばせるものだから、レダの部屋は少々とっちらかっていた。


「カミラ様もお気の毒に……」


 そんな言葉が耳に入り、レダはドアノブから手を離した。都合よく音を立てず、ドアはわずかに開いた。中の侍女たちは話に夢中で、まったく気づいていないようだ。レダは聞き耳をたてた。


「カルロス様はカミラ様と婚約されていたのに、こんなことになってしまうなんてね」

「あんなに仲睦まじくしてらっしゃったのに……」

「レダ様がおぐしに差されてる髪飾り、あれ、もともとはカルロス様がカミラ様にプレゼントされた物でしょう?」

「どんなお気持ちで、レダ様に差し上げたのでしょうね」


 回廊の向こうから使用人が来る。レダはくるりと(きびす)を返し、大広間へ戻った。


(なんてこった。おらのせいで、二人の仲を引ぎ裂いだのが)



 髪飾りは外して、広間の入り口で待っていた侍女に持たせた。

 黄金の髪を輝かせ、優雅に会釈するカルロスを見て、いつもだったらレダは心躍らせただろう。最近、やっとできるようになったカーテシーで挨拶する。


「カルロス様、お越しくださりありがとうございます」


 心のこもらない言葉を棒読みすると、あちらこちらから安堵の溜め息がもれた。レダが粗相をしないか、危惧していたようだ。


「レダ、一週間見ないうちにまた美しくなったね! 見違えるようだよ!」


 ストレートな褒め言葉もカルロスが言えば、爽やかだ。黄金の髪や青い目は、金やサファイアよりきらめいている。その美々しい人が自分の隣にいるのは、間違っているのではないかとレダは思い始めていた。


 カミラの姿は見えない。カルロスが訪ねる時はいつもそうだ。あまり一緒にならないよう、気をつけているのかと思われる。


 使用人や養母のクラーヴォ夫人が見守るなか、レダはカルロスと向かい合ってお菓子を食べた。ここに来たばかりのころは仰天したサクサクのペイストリーや色鮮やかなフルーツの載ったタルト、ナッツの入ったビスコッティを前にしても、今日はときめかなかった。


「どうしたんだい? いつもは口をお菓子でいっぱいにしちゃって、うまくしゃべれなくなるじゃないか?」

「う……わたくしも成長したのです。カルロス様の前で、はしたない真似はできません」


 かしこまった返答を聞いたカルロスは目を丸くした。レダは恥ずかしくなって、うつむく。テーブルの下からソっと手を握られた。


「レダ、君の部屋に連れていってくれる? 二人で話そう?」



 握った手はそのままに、レダとカルロスは部屋へ行った。

 侍女を全員追い出し、完全な二人きりになる。人がいなくなった部屋はガランとして物悲しかった。にぎやかな農家の一軒家とは雲泥の差だ。レダは泣きそうになった。


「どうしたの、レダ? いつものしゃべり方でいいよ?」


 カルロスの空色の瞳は穏やかだ。二人並んでベッドに腰掛け、互いの顔を確認した。手はずっとつながれたまま――


「そのままの君で僕は構わないよ。お菓子を口いっぱいに頬張る君もかわいいし、おもしろい話し方をする君も好き。無理に周りと合わせる必要はないさ。二人の時は素直に自分を出していいんだよ?」


 なんて、きれいな人なんだろうとレダは思った。王子様の格好をしていなくても、公爵の息子という肩書がなくても、この人の清廉さは変わらない。さらさらの金髪や真っ青な瞳は、いくら見ても飽きることがないだろう。その時、カルロスのことを好きになってしまったのだと、レダはようやく気づいた。涙がポタポタこぼれ落ちる。


 カルロスは目を見開いたあとでハンカチを取り出し、レダの目元に押し当てた。レダはハンカチを受け取り、なんとか落涙をこらえた。カルロスの手が離れる。ぬくもりが消える。自分が空っぽになっていく。


「おらはカルロス様には釣り合わねぇ。カルロス様にはもっとふさわしい人がいる」

「そんなことないよ。どうして、そんなことを思うの?」

「いつも、つけてるダリアの髪飾り……あれ、カミラのもんなんだろ?」

「うん? 僕が以前カミラにあげた物だけど、彼女、君にあげちゃったみたいだね」

「本当はカミラがカルロス様と結婚するはずだったんだ。おらが邪魔したりなんかしなければ……」

「何が言いたいの?」

「おらは貴族らしい行儀作法もなかなか身につけられねぇし、そんなに美しくもねぇ。カミラのほうがカルロス様にお似合いだ」


 言ったあと、カルロスが物理的に遠ざかった気がした。自分たちの間に横たわる沈黙が気持ち悪い。

 ややあって、口を開いたカルロスからはある種の決意が感じられた。


「あのね、レダ。親が決めた結婚だけど、僕は君と初めて会った時、とってもかわいい子だと思ったんだよ。こんなにかわいい子は見たことがないと。天真爛漫で素直で……こんな子と結婚できるなんて、僕はなんて幸せ者なんだろうと思った」


 言葉を切ったカルロスはレダに向き直った。


「でも、今のレダは貴族社会に毒されて、別人のように変わってしまった。見た目は美しくなったかもしれないけど、僕はまえの君のほうが好きだよ。純真で明るかったころの君のほうが……」


 カルロスは話し途中で目をそらし、背を向けてしまった。


「じゃあね、レダ。僕は当分ここに来ないよ」


 ピンと伸びた背筋は有無を言わせぬという意思表示だろう。レダは何も言わずに、その背中を見送ることしかできない。

 カルロスがいなくなってから号泣した。




 ††  ††  ††


 どれだけ苦しかろうが、つらかろうが、勉強はしなくてはいけないし、聖女の仕事もある。週末になれば、レダは困っている人たちのもとへ飛んでいく。

 朝、同じ衣装部屋で身支度をしている時、カミラに指摘された。


「最近、あの髪飾りをつけてないわね? どうしたの?」

「う……それは……」

「まさか、なくしたんじゃないでしょうね?」


 髪と同じキャラメル色の目が鋭くなる。レダは蛇に()らまれたカエルのごとく固まった。


「もう……しょうがないんだから……また、別のをあげるから、それをつけなさい。今度、なくしたら、承知しないんだからね」

「なくしてねぇって! 鏡台の引き出しん中に入ってっから、今持って来させるっぺ」


 致し方なく、レダは侍女に髪飾りを持ってこさせた。

 みっともない邪魔者の自分が嫌で、姿見を見ることができない。大きな姿見にはカミラも映りこんでいる。女神のようなカミラと自分を比較してしまい、卑屈になってしまう。

 侍女が持ってきた髪飾りをひったくり、レダは自分でつけようとした。


「そんなんじゃ、すぐに取れちゃうわよ。ジッとしてなさい」


 カミラに髪飾りを奪われた。

 なぜだろう。触れられると、こそばゆくて気持ちいい。いい匂いに鼻腔をふくらませ、レダはされるがままになった。


「なんでだべ? なんで、カミラは平気な顔をしてられんだ?」


 気が緩んで、ため込んでいた気持ちをぶちまけてしまった。


「この髪飾りはカルロス様からの贈り物なんだべ? カミラはカルロス様のことが好きなんだべ?」

「何を寝ぼけたこと、言ってんの? そんなのずっとまえの話よ。あなたが気にするようなことじゃないわ」


 笑い飛ばすカミラの顔からは、以前に見られた影は消えている。


「たしかに、レダが最初に現れた時はカルロス様のことをまだ好きだった。髪飾りをあげることで踏ん切りをつけたかったのかもね? カルロス様は気を悪くされたかもしれないわ。でも、そんなの関係ない。今は聖女のあなたの補佐をすることが、新しい生きがいなの! いろんな土地へ行って、庶民の生活に触れる。大自然や気取らない人たち……経験することで見識もだいぶ変わったと思う。だから……」


 カミラはレダの頬を両手でギュッと挟む。間近で見るカミラがまぶしくて、レダは視線を泳がせた。


「あなたは誇りを持って生きなさい。自分に正直になりなさい」


 無理に向き合わされ、レダは息を止めた。カミラの目は大きな湖に見える。朝日を反射する広大な湖。万物を受け入れる普遍性。強くてしなやか――やっぱり、カミラは女神様だ。


「そうそう、今日はわたしの代わりにカルロス様があなたに付き添うわ。問題なければ、これから交代制になるかもね」


 この話は聞いてなかった。直前になって言うのは、反抗を懸念してのことだろう。どのみち、レダに拒否権はないというのに。


(カルロス様と顔を合わせんのは、気んまずいなぁ……。おらのせいで距離を置かれてんのに、どんな顔をして会えばいいんだ)


 モヤモヤした気持ちは女神の力で一掃されたものの、レダはどうも自信が持てなかった。

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