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アルバ・ビバーナムの誤算

ヴィオラとの初めて会った日のことを今でも昨日のように思い出せる。


クレマチス公爵家の跡継ぎに任命されたヴィオラの婚約者候補に僕が選ばれたのは、12歳の誕生日を迎えたばかりの春のことだった。

我が国では法律上は血縁関係があれば性別も生まれた順も問わず跡継ぎになれる。しかし、基本的に後継者になるのは長男がほとんどで、次男以下が選ばれるのは相当長男に難がある場合だけである。女児しか生まれなければ親戚から養子を取るのが普通で、女性が跡継ぎになることはまずありえない。そんな中で、国の魔道騎士団を率いるクレマチス公爵家の跡継ぎに女であり、兄も弟もいるヴィオラが選ばれたのは異例中の異例と言って良いだろう。

女であれば御せるだろうと多くの貴族がヴィオラとの婚約に名乗りを上げたが、どの縁談も上手くいかず次々に立ち消えていった。年の頃合いが近く優秀な婚約者候補たちが姿を消した後にその魅惑的な話が回ってきたのは、ビバーナム侯爵家の三男であり、見目が麗しいこと以外に特筆すべきことのない僕、アルバ・ビバーナムだった。


父も母も高位貴族らしく魔力が高く、頭脳明晰で、見目も麗しい。年の離れた二人の兄も両親によく似た優秀な人たちだ。だが、僕は魔力も頭脳も平々凡々、容姿だけが両親の良いとこどりをして抜群に良いだけの凡庸な人間だった。長男だったら問題だっただろう。しかし、幸運なことに僕は三男であったから、適当な縁作りの婚姻に使える駒、できなければ捨て置いても痛くもかゆくもない存在として、そこそこ放置されつつも虐げられることなく育てられた。その境遇に特に嘆くこともなく、僕はこんな風にのらりくらりとそれなりの人生をおくるのだろうと思っていた。

そんな中で降ってわいた筆頭公爵家の跡取りとの縁談。どうせ断られると全く期待をしていなかった。


それはよく晴れた日だった。クレマチス公爵家に招かれた僕は花が咲き乱れる中庭でヴィオラと出会った。

魔道騎士団団長の中でも歴代最強と名高い現クレマチス公爵が認めるほどの女傑である。どれほど恐ろしい令嬢であるのかと戦々恐々としていた。しかし、僕の予想を裏切るように、現れたのは春風にさらわれて消えてしまいそうなほど儚い少女だった。

同い年だと聞いていたのに、自分よりも小さくてずっと華奢な体躯。肌は透き通るほどに白くて、鴉よりも真っ黒な髪には飾りの一つもない。流行おくれの野暮ったい型のドレスは真っ白で、彼女には濃紫の瞳以外に全く色味がなかった。容姿は整っているが、質素すぎる装いと暗い表情のせいでどうにも地味でパッとしない印象を受ける。

もっと強くて怖い女の子を想像していた僕は意表を突かれて固まってしまった。そんな僕を見て、ヴィオラは申し訳なさそうに眉を下げた。


「お初にお目にかかります、ヴィオラ・クレマチスと申します。この度はご足労いただき感謝します。婚約を前提とした顔合わせですが……このような、女でがっかりされたことでしょう」

「ッあ、僕はアルバ・ビバーナムです。がっかり、などまさかそんなわけありません。あまりに可憐で見惚れていただけです」

「まあ……アルバ様はお口がお上手でいらっしゃるのね。あ……アルバ様と、お呼びしてもよろしかったかしら」

「もちろんです。僕も、お名前でお呼びしても?」

「ええ、よろこんで」


容姿と家柄でちやほやとされていた僕は大層人当たりの良い子どもで、既に世辞の一つや二つ意識しなくとも口にできた。そんな心もこもっていない言葉にヴィオラははにかむように笑ったのだ。それだって、愛想笑いだったのもしれない。けれど、僕の周りにいた他人を蹴落とし僕の隣に立とうとする令嬢たちとは違う、素朴な笑顔にすこんと恋に落ちてしまった。

我ながら酷く単純だと思う。それでも、クレマチス公爵家に婿入りできるなんて目に見えた利益ではなく、ただ純粋にヴィオラと結婚したいと夢見てしまったのだ。

それから、彼女のことが知りたくて、趣味や特技、好きなことから最近学んでいることに休日はどのように過ごしているか、あれもこれもと根掘り葉掘り話を聞いた。最初は言葉少なだったヴィオラだが、段々と気を許してくれたのか、現在力を入れている風魔法の話や近頃ドンパチやっている近隣諸国の戦況に関する個人の見解を楽しそうに語ってくれた。凡庸な僕には魔法の原理の話も戦術の話も全く分からない。でも、楽しそうに語る彼女がとっても可愛くて、すごく幸せな気持ちになった。

しばらく、何も分からないまま可愛いヴィオラを眺めて相槌を打っていたが、ヴィオラは僕が理解していないことを理解したらしくハッとした顔をして俯いてしまった。


「申し訳ありません」

「何を謝っているんですか?」

「つまらない話でしたでしょう」

「そんなことありません。理解は、あまりできていなかったかもしれないけれど、楽しそうに語るヴィオラ嬢はとても眩しくて素敵でした」

「……ふふ、アルバ様はお優しいのですね」


顔を上げたヴィオラはどこか悲しそうに微笑んだ。笑っているのに泣き出しそうなその顔に、ぎゅっと胸が締め付けられる。さっきまでの好きなことを語る明るい笑顔に戻してあげたいと思った。


「わたくし、いつもこうなのです。人と関わることが不得手で、話の一つもまともにできません。そのせいでクレマチス家の跡取りでありながら、縁談もまとまらない。みんなと同じになれないの。やっぱり、わたくしは駄目ね」

「そんなことない!」


お茶会には相応しくない大きな声にヴィオラは驚いたように目を見開いた。僕はヴィオラを元気づけたくて、テーブルの上に置かれた彼女の手を握った。


「みんなと同じようにできなくても良い。それはヴィオラ嬢の個性であり、誇るべきものだ。僕は君のそんなところが好きです」

「好き、なんですか……? 今日、初めて会ったのに」

「時間なんて関係ない。君の笑顔を見ると心が弾む、君が楽しそうにしていると僕まで楽しくなる。僕は、そんなヴィオラ嬢とずっと一緒にいたいと思ったんです」

「ずっと、一緒に」

「はい……君は、僕とずっと一緒にいるのは、嫌?」


嫌われては、いないと思う。だけど、自分と同じくらいの思いを抱いているとは思えなくて、怯えるように問うた。

ヴィオラは頬を染めて、まるで花が綻ぶような美しい笑みを浮かべた。


「いいえ……いいえ! わたくしもアルバ様と一緒にいたい、ずっと」

「ヴィオラ嬢! ……ああ、なんて幸せなんだろう」


微笑み合った次の日には僕は婚約者候補から正式な婚約者になっていた。

それから、少しずつ僕たちは仲を深めていった。敬語がなくなり、お互いを呼び捨てで呼ぶようになり、自然と手と手を触れ合えるようになった。


そんな順調そのものの付き合いは長くは続かなかった。

段々と僕の凡庸さが目立つようになっていったのだ。ヴィオラは順調に魔法の腕も上げていったし、勉学だって僕の数歩どころか数百歩先を行っていた。初めてあった頃と違い、他人と会話を合わせることもできるようになった。いつまでも垢ぬけない装いのままだったが、それ以外に欠点など一つもない。

対して、僕はいつまで経っても何一つ取るに足らない。自分で言うのもなんだが、年々美しさは増していると思う。だがそれだけだ。魔法はちっとも上手くならないし、興味も持てない。勉学だって、領地経営も外交も軍略も何もかも及第点以下。次期クレマチス公爵のお荷物、それが僕だった。


別に、優れた人間になりたいわけじゃない。そうなれる器がないことなんて、とっくの昔に理解している。でも、ヴィオラに捨てられるのは嫌だった。初めて会った日からヴィオラへの思いは大きくなる一方で、ヴィオラなしの人生なんて考えられなかった。


ヴィオラが僕以外の誰かを好きになってしまうかもしれない。そんな焦燥感に駆られて過ごしていた僕に転機が訪れたのは、15歳で王立魔道学園に入学したときのことだった。

未成年の僕らはどのようなパーティーに赴くにしろ保護者同伴であった。大事な娘をクレマチス公爵家に婿入りする侯爵家の無能な三男坊に近づける親などいない。であるから、ヴィオラと婚約してからは令嬢に囲まれる機会というものはめっきりなくなっていた。


だが、学園は違った。

親の目を離れた場では、既に婚約者がいる上に能力がない男であっても見目が麗しければ粉をかけようとする令嬢がいるのだ。


僕にとってはヴィオラ以外の令嬢など、どれだけ美人でも、どれだけ優秀でも興味など全くない。次々にかけられる好意的な声だってヴィオラ以外からなら意味はないから、適当にあしらうだけだった。

けれど、ヴィオラには違うように映ったらしい。


「アルバは、彼女らのような華やかな女性の方が好きなの?」


眉を顰めて瞳を伏せる姿は悲しげで、そして同時に酷く苛立っているようにも見えた。ヴィオラから怒りを感じたのは初めてだった。いつだって穏やかな彼女の怒りに驚く以上に、果てしない喜びを覚えた。

ヴィオラは嫉妬している。自分以外の令嬢と親しくしている僕に。

それは甘い毒だった。ヴィオラに劣等感を抱え、いつか捨てられるかもしれないと怯えていた。しかし、ヴィオラは僕を深く愛している。触れ合う手の温かさより、『これからも、ずっと一緒よ』なんて言葉より、遥かにヴィオラからの愛を実感した。


「まさか! ヴィオラよりも好ましく思う女性なんているわけがない!」

「本当に? 他の人と同じようになれない、親兄弟にも疎まれるわたくしの方が良いと、本当にそう思っているの?」

「当たり前だろう。世界中の誰がヴィオラを嫌おうと、僕は君だけを愛している」


そう言ってヴィオラを抱きしめれば、彼女は強張っていた肩の力を抜くようにため息を吐いた。自分の背に回される腕はやっぱり頼りないほど細くて、守ってあげたいと強く思う。そして同じくらい、縋る先は自分だけであれば良いと思うのだ。


「嬉しい。……ずっと、ずっとよ。そう思っていてね」

「ああ、誓うよ。ヴィオラだけを愛し続ける」


ヴィオラからの深い愛情にじわりと胸が熱くなる。この思いだけで生きていけるのであればどれほど良いだろう。だが、人間というものはとても欲深いものだ。手に入れたその喜びを何度だって繰り返しほしくなる。


僕はヴィオラに嫉妬してほしくて、他の令嬢との交流を絶つどころか積極的に行うようになった。

最初は休み時間に親しく話す程度だった。それが、互いの手や肩に触れ合う、放課後に共に街へ出かける、人目につく場所で顔を寄せ合うとどんどんエスカレートしていった。その度にヴィオラは『どうしてこんなことをするの』と僕を問い詰め、『酷い裏切りだわ、信じられない』と嘆いた。そうしてヴィオラが嫉妬に胸を焦がす様を見ると心が満たされ、天にも上る心地がした。

僕が『誤解だよ、愛しているのは君だけだ』と言って抱きしめれば、『調子の良い人。わたくしは誤魔化されないわよ』と言って抱きしめ返してくれた。




そうやって何度も何度もヴィオラの気持ちを確認する日々も今日で終わりだ。

18歳になった僕たちは学園を卒業し、予定通り結婚することになった。結婚式を数日後に控え、僕は王都に建てられたクレマチス公爵邸に来ていた。今日から僕の住まいもここになる。早くも現クレマチス公爵夫妻は領地に引っ込み、ヴィオラの兄は王宮に住み込みで勤め、弟は学園で寮生活。広大な屋敷を切り盛りする使用人は数多いるが、そこにクレマチス公爵家の人間として住まうのは僕とヴィオラだけだ。

嫉妬するヴィオラも可愛かったが、これからはもっと深いつながりを得ることができる。もう他の令嬢に近づくことはなく、ヴィオラだけを大切にしよう。そう思っていた僕に、ヴィオラが向けたのは全身が凍り付き一切の身動きもできなくなるほど冷たい笑顔だった。


「結婚式は行いません」

「何を、言っているんだヴィオラ。式は一週間後だよ、急にどうしたんだい?」

「急ではないわ。わたくし、ずっと言っていたわよね。わたくし以外の令嬢と仲良くしないでって。それを無視したのはアルバじゃない」

「だから、愛しているのはヴィオラだけだって言っただろう。嫉妬しているのかい? ヴィオラは本当に可愛いね」

「そんな言葉で騙されないわ。きっと、結婚式でも貴方はわたくし以外の令嬢に笑顔を振りまくの。その後もわたくしを蔑ろにするに決まっている。わたくしは嫌よ、そんなこと。だから結婚式はやめる」

「じゃあ、どうするんだい。今更、結婚はやめたなんて言うの?」


子どもみたいなヴィオラの言い分に少しだけ笑ってしまった。今、僕との婚約を破棄したって同年代で婚約者のいない令息なんてほとんどいない。いたとしても、相当性格や家柄に問題があるやつだけだ。凡庸な僕以下の存在しかいないのに、わざわざ婚約を結び直せないだろう。万が一、結び直せたとしても一週間後に結婚式を挙げられるわけがない。未来は、既に決まっている。

きっと、マリッジブルーになっているんだと、僕はヴィオラの我儘を飲み込んでやった。


「環境が変わるから不安なのかな? 今日は早く寝た方が良い。建設的な話し合いは明日にしよう」

「話し合いなんて必要ないわ。未来は、もうわたくしが決めたの」


うっそりと、蕩けるような笑みをヴィオラが浮かべた。薄い唇が弧を描く。素朴であどけない少女だと思っていたヴィオラの妖艶な笑みに虚を衝かれて言葉を失った。誰よりも一番近くにいたはずなのに、僕の知らない姿があった。言いようのない恐怖でヴィオラに手を伸ばした瞬間、視界は白く爆ぜて意識は闇へと落ちていった。


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