結婚の起源
豊かなマナと緑に覆われた国、ノーナ王国の始まりはおよそ三千年前に遡る。
建国のきっかけは、その頃に起こった未曽有の大災害だった。世界中のマナに異変が生じ、洪水や大地震、魔獣の凶暴化など、大規模な自然災害を引き起こしたのだ。
〈精隷の憤怒〉と呼ばれたその災害によって多くの人間が命を落とし、人類は滅亡の一途をたどるかのように思われた。
その危機を救ったのは、大精霊ノーナと、初代国王であるクロトという青年だった。
最初は何の力も持たないただの人間であったクロトが、強大な力を持つ精霊のノーナと契約を交わすことで、大災害を阻止するほどの強大な力を手に入れたのだ。
その契約こそが、フランの求める精霊婚──現在の結婚の起源となった儀式である。
精霊の力を得る代償として、人間は自らの魂を相手の精霊に明け渡し、その生涯を終えるまで唯一無二のパートナーとして寄り添い続ける。そんな条件下でのみ成立する特殊な儀式。
「ノーナとクロトの契約を皮切りとして、当時多くの人間が精霊婚を行った。そうして力を得た人たちが世界を救い、功労者であるクロトを王として建てた国。――それが現在のノーナ王国なんだよ」
「なんかそんな感じのことを歴史の授業でやった気もするねえ」
「授業というか、常識のはずなんだけどね。……いや、うん。まあいいや。それくらい精霊に対するありがたみがなくなった時代ということだ。──とにかく、“唯一無二のパートナー”という部分が強調されて現在の結婚になったんだろうね。人間と精霊の間で交わされた儀式が、人間のつがいが生涯を誓い合う儀式に置き換えられたわけだ」
「つがいって」
王宮内にある第二師団の執務室。そのソファに座るマオが、窓側に立つフランに呆れたような視線を向ける。
カラドリオス退治の任務を終えて気が抜けたのだろう。いつも以上にだらしない姿勢でソファの背にもたれかかる同僚の少女に、フランは努めて真剣な口調で説明を続けた。
「僕らが精霊術を使えるのは、当時クロトと同じように精霊と契約を交わした人間──“妖精”の血を引いているからだ。……けど、もうそれだけじゃ足りないんだよ。この国を守るためには、どうしても精霊婚を復活させて、いま以上の力を得る必要があるんだ」
「〈精隷の憤怒〉が再び起こるって話? それ、本当なの」
「まちがいないよ」
マオの疑問にフランは頷く。
〈精隷の憤怒〉──三千年前に世界を襲った未曽有の大災害。
各地のマナ暴走がきっかけで起こったその惨劇が、近いうちに再来する。それは確信であり真実だった。
「たしかに最近いろんなとこで魔獣が暴れてるけどさあ。マナの暴走自体はべつに珍しいことじゃない。偶然が重なっただけって可能性もあるんじゃ?」
「僕も最初はそう思ったんだけど。問題は場所なんだ」
「場所?」
「五日前のガートル銀山、三日前のレアテ洞窟。昨日のクロー湖と、今回のギルデ山脈。ぜんぶ現地のマナ変質が原因で付近に棲む魔獣たちが凶暴化してしまった場所だけど」
「おかげで第二師団の仕事も増えたわけだね〜」
「同じなんだよ。三千年前と」
マオがぱちりと瞬きをした。そんな少女を一瞥したあと、窓の枠に片手を置き、フランは重い息を吐いた。
「〈精隷の憤怒〉の始まりと同じなんだ。暴走のしかたも、順番も一致してる。再び大災害が起こる前兆だと僕らは考えてる」
「僕らってことは」
「うん。リラ団長も同じ意見だ」
黙っててごめん、とフランは謝罪すると、いやそれはかまわないけど、と顎に手を当てマオは言った。
「仮に二人の予想が当たってるとして、その解説策が精霊婚っていうのは現実的じゃなくない? 精霊なんて、今の時代じゃめったにボクらの前に現れないでしょ」
現在のノーナ王国において、精霊はもはや伝説の存在となりつつある。彼らは人間の前にめったに姿を現さない。マオたちの先祖──妖精と契約した精霊すら、いまはどこに存在するのか定かではないくらいだ。
「ああ、でもこれで君の不可解な発言の理由がわかった。婚活。つまり自分と契約してくれる精霊をさがすってことね」
「そういうこと」
「で、協力してほしいって話に繋がるのか。大災害をとめる力を持つほどの精霊を見つけるなんて、たしかに骨が折れそうだ」
さすがはマオ。ここまでくると理解が早い。
幼い子供と言われても納得できるほど小柄な外見からは想像がつかないが、彼女は優秀な精霊術師だ。フランと同じ十七歳。王立学園を同時に卒業し、騎士団勤めになったいまでも行動をともにする友人である。
師であるリラとしか共有してこなかった精霊婚の件をマオに話したのも、彼女ならば協力してくれるだろうと信頼していたからだ。
「え~ ちょっとやだなあ、協力するの」
前言撤回。信頼は一瞬で崩れ去った。
「なんで!?」
「いやだってさあ。いくら深い事情があって、意味合いがちがうとしても“結婚”でしょ? よく思わない人たちがいるんじゃないかなぁって」
右手をひらりと振りながら、両目を細めたマオが答える。
どういう意味? と今度はフランが瞬きをする番だった。
「君のことが大好きな幼馴染たちがいるだろ。現在絶賛家出中のマドレーヌ嬢とか。それを捜索中のランドリーくんとか。相手が何であれキレ散らかすにちがいない。協力なんてしたら、馬に蹴られるどころか燃やされちゃうって」
それは勘弁だね、と瞼を閉じるマオにフランは絶句した。
彼女の真意が本当にわからなかった。否、わからないふりをしていたいだけかもしれないが。
「世界の危機なんだよ! そんな呑気なこと言ってられなくない!?」
「呑気じゃないよ。ボクの命に関わることだ」
「いや絶対めんどくさいだけだよね。そうだった。君はそういうやつだった。もしかして信じてないの? 大災害のこと」
「信じてるさ。ボクはいつだってフランくんの味方だからね。――とはいえ、実際どう協力すればいいのかわからないのは本当だ。あてはあるわけ?」
琥珀色の瞳がフランをとらえる。
そんな少女を見つめ返し、フランは拳を握りしめた。
「あるよ。僕の予想が正しければ近いうちに……」
「失礼します!」
バン、と激しく扉が開いた。はっとして言葉を切るフラン。
白いローブ姿の男が、息を切らしながら部屋の中に駆け込んでくる。ひどく慌てた彼の様子に、いったい何があったのかとフランは訊ねた。
「また、マナが暴走したとの報せが……」
「場所は?」
「ニアス村です。オフィリア神殿の内部に、大量の魔獣が出現したと……!」
「やっぱりニアス村か……」
壁に立てかけておいた杖を手に取り、すぐに向かいます、と重い声で男に告げる。
ソファの上で、マオが目を丸くしていた。男の報告内容そのものにではなく、それを最初から予期していたようなフランの態度に驚いていることは、あきらかだった。