婚活宣言
──結婚。
愛し合う男女が生涯を共にすることを誓う神聖な儀式。契約。
ノーナ王国における結婚の起源は、今からおよそ三千年前に遡る。
かつて結婚は、人間同士が愛を誓う合うものではなく、人間と精霊が協力関係を結ぶ契約のことを意味していた。
婚霊の儀。結婚の原点であり、現在ではほとんど忘れ去られた古の儀式である。
精霊と契約した人間は“妖精”となり、人智を超えた不思議な力を使うことが可能となった。
生命の源であるマナを魔力に変換し、超自然的な現象を引き起こす力──現在の精霊術だ。
「婚活をしようと思う」
ノーナ王国王立騎士団。四つの師団で構成される王国の守護の要。
その第二師団で副師団長を務めるフラン・バンシーも、精霊術の使い手だった。
周囲の人間からは、稀代の天才精霊術師と呼ばれている。
孤児であったフランは、七歳のときに宮廷お抱えの精霊術師である師に引き取られ、そのまま自身も宮廷付きの精霊術師となった。
つまり天才なのは師であって自分ではない、と思うのだが、世間からの評価はそれなりに高い部類に入るらしい。
だからだろう。フランの発言を聞いた同僚の少女が、ぽかんとした顔で発動中の術をとめてしまったのは。
「マオ! よそ見しないで!」
「いやだれのせい!? フランくんが変なこと言うからじゃん!」
ピンク色の短髪を揺らした小柄な少女──マオ・カチナが大声で反論する。
普段はどちらかといえば飄々としていて、あらゆる物事に対して気だるげな態度を取ることの多い彼女だが、いまだけは本当に戸惑いを露わにしているようだった。
「あまりの忙しさについに頭がおかしくなったのかな……!? 連日この数の魔獣を相手にしてれば、そうなるのも無理はないけどさ!」
両手で杖を握りしめたマオが、愚痴をまぜた思いを叫びながら空を見上げる。
彼女の視線の先にあるのは、遠くまで晴れ渡る青い天井――ではなく、その青を埋め尽くす数十匹の黒い鳥の群れだった。
魔鳥カラドリオス。
本来は白く美しい羽を持つ神聖な鳥だが、原因不明のマナ汚染によって人間や動物を襲う害鳥となってしまったのだ。
「ボクの精霊術じゃ空を飛ぶ相手に分が悪いのわかってるよね? 君にがんばってもらわないと困るんだけどなあ~!」
「わかってるさ! でもひとつ言わせてくれ。僕はたしかに変なことを言ったかもしれないけど、けっして場違いな発言をしたわけじゃないんだ。むしろこんな状況だからこそ必要な宣言だったというか……」
「は?」
「婚活だよ。今回みたいなマナ暴走による魔獣の被害を減らすためにも、僕が結婚できるよう君に協力してほしいんだ」
「さすがは稀代の天才魔術師。冗談も一級品だね。……ほら見ろ! あまりの面白さにあの子たちの機嫌も最高潮になったみたいだ!」
マオの言葉をかき消すように、上空で激しい風が吹き荒れた。カラドリオスたちが一斉に翼をはためかせたことで生まれた嵐だった。
「キエエエェェー!」
耳をつんざくような甲高い鳴き声があたりに響き、その振動で、二人が羽織る騎士団の白いローブがばさばさと翻る。
次いで降り注ぐ無数の羽根。一枚一枚が鋭い刃の形を成した黒羽の雨が、猛烈な勢いをもって地上にいるフランたちに襲いかかった。
「──ストーンヘンジ・半!」
攻撃を防いだのはマオだった。
彼女が自身の持つ杖を振り払い、術の名を口にした瞬間、地面から巨大な石の壁が出現したのだ。
マオは地属性の精霊術を得意としている。
空の敵とは相性が悪いと少女は言うが、幸いにもここは山腹。自分たちが立つのは、硬い岩でできた断崖の上だ。地の利は十分こちらにある。
「ありがとうマオ! あとは任せて!」
先端に水晶のついた長杖をかざし、フランはさっと少女の前に躍り出た。
祈るように目を閉じる。足元で風が吹き、髪の毛とローブの裾がふわりと浮いた。
「青き空の杯よ。その閃光を以て我が地の篠を貫かん──」
ゆっくりと瞼を上げ、フランは唱えた。
「穿て──雨天の霹靂!」
崖上に紋様が出現した。フランを中心として地面に描かれた大きく丸い青い線が、眩い光を放って周囲を照らす。
暗雲が空を覆い、カラドリオスたちの影を地面に落とした。
瞬間、漆黒のからだを突き刺す刃。
一匹のカラドリオスが崖下に墜落した。同様に攻撃を受け、仲間の後を追うように次々と落ちていく魔鳥たち。
雲から生まれた鋭い刃に貫かれたのである。
それは雷のような形状をしていたが、その刃を生んでいるのは紛うことなく水だった。激しい雨が意思を持ち、枝分かれしながら上空を駆け巡っているかのような光景だ。
「おお~」
大量のカラドリオスが一斉に倒される様子を眺めながら、さすがだねえ、とマオが呑気な声をこぼす。
フランは静かに杖を下ろし、そんな少女に視線を向けた。
「ごめん。魔力を練るのに時間がかかっちゃった」
「いいよいいよ。まとめて片付けてくれてありがとね」
「それで、さっきの話の続きなんだけど……」
ピンク色の髪をふわりと揺らし、マオが首をかしげる。
フランを映す琥珀色の瞳が、ぱちりと瞬いた。
「もしかして婚活の話? 魔力を溜めるまでのつなぎじゃなかったの」
「そんなわけないだろ」
「なら、あれかな。通算百三十一回目になるマドレーヌ嬢の家出に嫌気がさして、自分の方がさっさと身を固めようって思ったとか」
「なんでそこでマドレーヌが出てくるのさ」
「まあ、彼女たちの妨害さえなければ君ならいくらでも相手がいると思うよ。優秀で性格もよくて地位も安定してるし。サラサラの黒髪と物優しげな顔も好印象だ」
「だから……何か勘違いしてるようだけど、僕が言ってるのはふつうの“結婚”のことじゃないからね」
怪訝そうに顔をしかめる少女を見て、フランは思い直す。
同じ精霊術師のマオでもすぐにはピンとこないほど、フランが求める“結婚”は現代では馴染みがないものなのだと。
「あのねマオ。僕の望みは…… 精霊婚をすることなんだよ」
はっきりとその名称を口にすると、マオはわずかに目を見開いた。
「僕はこの世界を救うために、精霊と結婚したいんだ」
緩やかな風が二人の間を吹き抜けた。
黒鳥と暗雲が消えた空は、水を張ったような澄んだ青い色をしていた。