25 ネリクの言葉の意味
「――それ以来、ネリクは集落の外でひとり暮らしをしているんだよ」
エイダンさんの長い話が終わり、ようやく何でネリクがひとりであの家に住んでいたのかの理由を知った。
私の手を握ったまま縋るような眼差しで私を見ているネリクを、ちらりと横目で見る。赤い瞳がキラキラと潤んでいて、眩しい。
……ということはですよ、ルチアさん。さっきのネリクの台詞を反対に訳してみましょうか。
私の中の私が、唐突に頭の中でおさらいを始める。
確かネリクは、「出会った時から全く気にならなくて、ひと目で大嫌いになった」と言っていた。それを反対の意味にしてみると?
『出会った時からすごく気になって、ひと目で大好きになった』。
……え?
「ええええっ!?」
「ルチア!?」
突然声を上げた私に驚くネリク。そりゃそうだ、突然なんの前振りもなく驚かれたら、私だって驚く。
「き、嫌いじゃない?」
「好きじゃないよ」
一瞬、ぐさっと刺さった。だけど、ネリクは「どうしよう」という顔で私を見たりエイダンさんたちを見たりしている。「ちゃんと伝わってるかな?」とネリクが一番不安に感じているのが分かった。
私に誤解されたくはない。でも理解してもらいたい。そんな思いが、ひしひしと伝わってくる。
熱を帯びた赤い眼差しを見て、今更ながらに気付いた。言葉なんてなくたって、ネリクは態度で私が好きって示していたじゃないの。なのに何でネリクを疑ってしまったんだろう。私はネリクの優しさを隣でずっと体感してきたのに。
でも、折角ならきちんと理解したい。私は質問を続けることにした。
「え、ええと、ずっと喋ってなかったのは?」
「ルチアにこのことを話したら信じてくれると思って、言えるのを楽しみにしてた」
「ええと……」
ん? どうしよう、咄嗟に変換ができない! すると、エイダンさんがスラスラと翻訳し始める。
「ネリクは『ルチアちゃんにこのことを話したら信じてもらえないと思って、怖くて言えなかったんだ』って言ってるよ」
「あ、なるほど」
そういう風に変換すればいいのか。何となく分かってきたぞ。
私が頷いたのを見て、ネリクの表情がぱああっと明るいものに変わった。あ、可愛いです。
「ルチアと全然話をしたくなかったからエイダンに会わせたくなかったんだけど、でもここに来るとルチアは全然可愛くないから他の男がルチアのことを狙わないだろうし!」
「ネリク、すごい独占欲だねえ! あ、ええと、『ルチアちゃんとすごく話をしたかったから僕に会わせたかったんだけど、でもここに来るとルチアちゃんはすごく可愛いから他の男がルチアちゃんのことを狙うだろうし!』だって」
エイダンさんが、間髪入れず翻訳していく。エイダンさん、すごいな。年季が入ってるだけある。
ネリクが止まる様子はない。よほどずっと喋りたかったのかもしれない。
「ルチアのことは大っ嫌いだよ! 世界で一番大っ嫌いだから、これからもずっと一緒にいないでほしい!」
「うはっ」
エイダンさんが真っ赤になってしまった。た、多分、これは私も意味が分かるかも……。
ネリクの目を見ながら、一語ずつ確認してくように訳していく。
「ええと……私のことが大好き?」
「ん!」
「世界で一番大好きだから、これからもずっと一緒にいてほしい?」
「ん!」
なんて真っ直ぐな言葉だろう。意味が分かった途端、かああ! と身体中が火照ってきた。
両手で頬を押さえると、熱い。これ多分真っ赤になっているんだろうな、と分かる熱さだ。
赤い瞳は、私から逸らされることはない。
「ルチア、ずっと離れていたい」
「ずっと一緒にいたいって」
エイダンさんが即座に翻訳する。
「人間の世界に帰したい」
「人間の世界に帰したくないって……あいてっ」
横を見ると、ニーニャさんが半眼でエイダンさんを睨みながら、エイダンさんの耳を引っ張っていた。
「ちょっとエイダン、気が利かないわね! こういう時は用事ができたって席を外すのよ!」
「あっそ、そうか! じゃあ食材を取りに地下室に行こうかニーニャ!」
「そうねエイダン! 今夜はご馳走を作らないとですもんね、材料選びには時間がかかっちゃうなあー!」
究極にわざとらしい会話を繰り広げながら、二人が居間からそそくさと出ていく。え、この状況で二人きりにするの!?
「ちょ、ちょっと……っ」
伸ばした手を、キラキラとした瞳のネリクが掴む。私の前に移動して膝を突くと、遠慮がちに尋ねてきた。
「……ルチアの気持ちは?」
「へっ!? 私!?」
「ん」
そ、そうか。そりゃそうだよね。ネリクはきちんと私にこ、こ、告白をしてくれたのに、返事をしないなんてあり得ないよね。
「わ、私は」
ネリクのことは、勿論すごく信頼してる。でもネリクが私に対していわゆる恋愛的な感情を持ってくれていたなんて思ってもみなかったから、正直驚いた。
そういう意味だったんだ……思い返されるのは、ネリクと過ごした濃いひと月に起きた数々のこと。接触が多いのはただ懐かれていると思っていたけど違うとしたら、私は――。
「す、好きだよ」
小さい声が出る。ネリクが私を見上げる赤目が、じわりと濡れてきた。……やっぱりネリクは特別可愛い。
私は恋愛経験なんてこれまでなかった。どんな時だって、ネリクといる時ほどドキドキすることはなかった。
アルベルト様とお話ししている時もドキドキはしたけど、あれは「王族相手に不敬なことはできない」という緊張に伴うドキドキだったと思う。
マルコといる時もドキドキはしたけど、今思えばあれも一種の緊張だった。マルコの前では、私は虚勢を張っていた。背伸びして、マルコが求めるような聖女らしさを懸命に演出していた。
大人な騎士のマルコに、いつ私の化けの皮が剥がれたところを見られたらどうしようと、ずっと怯えていた。幻滅されたら、あそこでの味方はマルコただひとりだったから。
でも。
ネリクは違う。ネリクといる時は、私はいつだって安心できていた。ネリクのふとした表情や仕草を見る度にドキドキしたのは、緊張や幻滅されるといった恐れとは無縁だ。それくらい、恋愛経験が全く豊富でない私にだって分かる。
「私は多分……ネリクに出会ってすぐ、ネリクに恋したんだと思う」
今だってドキドキしている。ネリクに熱がこもった目で見つめられると、恥ずかしいけど嬉しくて、心臓が高鳴る。
「ネリクが殆ど喋らなくても、人間じゃなくても、ネリクが誰よりも私を大切にしてくれていたのが分かるよ。ネリクに触れられるとくすぐったくて、幸せで一杯になるんだ」
自分で口に出していて、今だって転げ回りたくなるくらい恥ずかしい。
でも。
「ネリク」
前屈みになって、ネリクに顔を近付ける。ネリクの目からは、今にも透明の涙が零れ落ちそうになっていた。
可愛くて愛おしくて頼りになる、私の魔人。
「私の方からお願いしたい。いつまでもネリクと一緒にいさせて」
「ルチア……!」
「ひゃっ」
一瞬、何が起きたか分からなくなる。気が付けば私はしゃがんだネリクの膝の上に横抱きにされていて、ネリクの鼻の頭が私の鼻の頭にちょんと触れていた。ち、近い!
ネリクの赤い瞳から、涙が溢れると同時に。
ネリクの柔らかい唇が、私の唇と重なった。




