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第九話 鵜崎唯の気持ち

 俺が部屋着に着替え終わる前に来客を伝えるチャイムが鳴ったのだが、いくらなんでも来るのが早すぎると思ってしまった。俺が家に帰ってきたと連絡をしたのは着替えを始める直前なのだ。鵜崎の家からここまで歩いてきたとしてももう少し時間はかかるはずなのだが、俺が予想していたよりも鵜崎の到着が早かったのだ。

「随分と早いな。連絡してからすぐ家を出たのか?」

「政虎が連絡してくれるよりも少し早く家を出たよ。愛華ちゃんから学校を出た事は教えてもらっていたし、それから逆算するとどれくらいに家を出ればいいかわかるしね」

「そうだったのか。家も近いみたいだからそんなもんなのかもな。その袋に入ってるのが下ごしらえをしたって魚なの?」

「うんそうだよ。ちょっと冷蔵庫に入れさせてもらうね。愛華ちゃんが来たら味付けをしようと思うんだけど、それまでちょっとお話してもいいかな?」

「ああ、そうしようか。料理の事で手伝えることがあったら何でも言ってくれよ。俺も自炊はしてるから少しくらいは料理出来るしな」

「ありがとう。でも、私一人で作れるから大丈夫だよ。一緒に作るのはまた今度にしようね」

 鵜崎はいつもと変わらない感じで俺の家にやってきたけれど、俺が家に入る前に鵜崎の家の方を見てもその姿を見かけることは無かった。こんなに早く俺の家に着くんだとしたら確認した時に鵜崎の姿を見ていないのは不自然な気もするのだ。袋に入っている魚を見ても走ってきたとは思えないし、いったいどうやったらあの距離を俺が気付かないような速さで移動することが出来るんだろう。

「右近君も愛華ちゃんと同じくらいの時間に来るのかな?」

「たぶんそんなに変わらないと思うよ。右近の方がいつも早いと思うけど、髑髏沼だってそこまで遅いわけでもないしな。鵜崎はいつも早くてびっくりしちゃうけどさ」

「もう、私の事は鵜崎じゃなくて唯って呼んでって言ってるよね。みんながいる時は別に鵜崎でもいいけどさ、二人だけの時はちゃんと私の事を唯って呼んで欲しいな。もしかして、私を唯って呼べない理由でもあったりするのかな?」

「そんなことは無いけど、何となく呼び捨ては気恥ずかしいというか」

「そんなの気にしなくてもいいのに。私は政虎が名前で呼んでくれないのは悲しいよ。私の名前ってそんなに変なのかな?」

「変ではないと思うよ。むしろ、いい名前なんじゃないかな。いい名前だと俺は思うよ」

「それって、政虎が好きな桜さんの名前に似てるからいい名前だと思ってるって事なのかな?」

 俺の気のせいではないと思うけど、桜唯菜の名前を出した瞬間からこの部屋の空気感が変わったような気がする。外はどこまでも澄み渡るような晴天で最近では珍しく湿度も高くないはずなのに、なぜか急に部屋の中が雨降りの朝のように感じてしまっていた。理由はわからないけれど、先程までのカラっとした空気とは異なり肌にまとわりつくようなジメジメした空気に包まれているのにもかかわらず、なぜか俺は物凄く喉が渇いてしまっていた。

 鵜崎は俺の目をじっと見つめつつも笑顔は崩していないのだけれど、その瞳の奥はいつもの明るい鵜崎の表情とは明らかに変化しているのであった。

「桜は関係ないよ。確かに鵜崎、唯と名前は似てるかもしれないけどさ、それはたまたま似てるってだけだからな。それに、唯と唯菜って微妙に違うし、俺はサクラの事を名前で呼んだことも無いから」

「ねえ、私の名前を呼んでくれるのは嬉しいんだけどさ、桜さんの名前まで呼び捨てにする必要はないと思うな。政虎は私の事だけを呼び捨てで呼んでくれればいいんだけど、桜さんの事まで呼び捨てにする必要はないんじゃないかな。名前が似てるけど違うって思ってくれるのも嬉しいことではあるんだけどね、やっぱり桜さんの事まで呼び捨てにする意味が分からないな。もしかしてだけど、政虎は桜さんの事を名前で呼んでいきたいって思って利するって事なのかな?」

「そんなつもりじゃないよ。たまたま流れで呼んだってだけだし。それに、俺は桜に避けられてるから名前で呼ぶことなんてないと思うし」

「確かに。政虎は桜さんに避けられているもんね。右近君がいくら言っても桜さんって政虎と話したりしないし、どうやったらそこまで政虎の事を嫌いになれるのか知りたいなって思ったりもするんだよ。ねえ、政虎って桜さんに対して何か変な事でもしたの?」

 俺が桜唯菜に嫌われる心当たりは普通にたくさんあるし、逆に好かれる要素が無いという事も理解している。でも、そんな俺は桜唯菜の事がずっと好きでいる。

 桜唯菜が好きな男が鬼仏院右近だという事は本人からもハッキリ言われているし、右近からも桜唯菜から告白されたという話を何度も何度も聞かされている。右近は基本的にフリーの時に告白されたら誰とでも付き合うような男なのだが、俺の気持ちを知っているからなのか桜唯菜からの告白は全て断ってくれているのだ。別に俺は右近と桜唯菜が付き合うのであれば祝福することが出来ると言っているのだけれど、何故か右近は俺のために桜唯菜と付き合うことは無いのだ。その事を右近は桜唯菜に伝えてしまっているのだけれど、そんな風に答えてたらますます俺が桜唯菜に嫌われるとは思わないものなのだろうか。

「俺が桜に嫌われてる心当たりなんだけどさ、たくさんありすぎて一つに絞れないかも。そんな俺が桜に好かれる可能性なんて完全にないと思うけどな」

「でもさ、そんな桜さんの事を好きなんでしょ?」

 ここで俺は自分の気持ちを素直に伝えるべきなのだろうか。おそらくというか確実に鵜崎は俺が桜の事を好きだという事を知っているはずなのだ。それなのにこうして確認するように尋ねてくるという事は何か意味があるのだろう。俺の答え次第では今後の付き合いも変わってしまうんだろうな。でも、鵜崎は俺に優しくしてくれたり一緒にいて気楽なところもあるんだよな。そんな鵜崎を悲しませるような事をしてもいいのだろうか。やっぱりそんな事をしちゃダメだよな。

 でも、桜の部屋で見たあの光景を思い出すと、あまり深く関わってはいけないような気もしてきた。今がそれを終わらせるチャンスなのではないだろうか。晩御飯の用意までしてきてもらって申し訳ないとは思うけれど、鵜崎の部屋で見たあの光景はあまりにも怖すぎたのだ。

「ごめん、俺は桜の事が好きだよ。報われることが無いとはわかっているけど、俺は桜の事が好きだ」

 俺は桜の事を好きだと鵜崎に伝えた事は後悔していない。ただ、鵜崎がどんな表情をしているのか見てしまうのがとても怖かった。

 この沈黙はいつまでも破られないような予感もしていた。

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