第六十八話 小さい砂浜と小さい少女
海は綺麗で穏やかなのだけれど、思っていたよりも砂浜部分は狭かったのが意外だった。海に向かって伸びている岩場は砂浜を囲むように形成されている。その岩場には何個かベンチがあるようなのだが、そこまで行って確かめる必要はないように思えた。
「思っていたよりも狭いんですね。でも、人もいないし私達で遊ぶ分には十分かもしれないですよね。えっと、旅館の人が言ってた小屋ってあそこに並んでいるやつですかね。あの中に入ってるパラソルとかレジャーシートを自由に使っていいって言ってたんですし、ちゃっちゃと準備しちゃいましょうよ。ところで、お兄さんってパラソルとかちゃんと設置できるんですか?」
「やったことは無いけど出来ると思うよ。時間がかかるかもしれないけどさ」
「そうですか。それならお願いしますね。千雪は外で水遊びをするのも初めてなんで」
並んでいる小屋に近付いてい見て思ったのだが、海辺に置いている小屋にしてはずいぶんと綺麗な状態を保っているのだ。何も無い子の砂浜に設置されているにしては傷も錆も無くまるでつい最近設置されたのではないかと思うくらいの状態であったのだ。
とりあえず近い小屋から中を確認しようと思って引き戸に手をかけたのだが、四つあるうちの三つはしっかりと鍵がかけられていて扉が開くことは無かった。窓も無いような小さな小屋なので中を確認する事は出来ないのだけれど、パラソルが入っていた小屋と同じようにレジャー用の道具が入っているんだろうな。
「あんまり大きいパラソルだと片付けるのが面倒になりそうですし、この小さいのを一つずつ使いましょうか。これくらいの大きさだったら千雪でも持てそうですし。シートよりもこの椅子を使いましょうよ。これなら足を延ばしてゆっくり座れると思いますし、お兄さんもこっちの方が疲れないんじゃないですか?」
「そうかもしれないね。じゃあ、椅子とパラソルを二つずつ借りていこうか」
椅子もパラソルもコンパクトに畳まれているとはいえそれなりの大きさはあるもので、俺は余裕がある感じで二つとも持てるのだけれど体の小さい千雪ちゃんには二つを同時に持つことはかなりの難題のようであった。
「一回で持っていこうと思わなくても大丈夫だよ。俺が持ってるこれを設置したら取りに来るからさ」
「でも、二回も来るのって面倒じゃないですか?」
「設置する場所にもよるけどさ、そんなに広い場所じゃないから気にしなくても大丈夫だよ。千雪ちゃんは設置するならどの辺がいいか決めてるかな?」
「そうですね。どこでもいいと思いますよ。でも、海の近くの方が嬉しいかもしれないです」
「じゃあ、気に入りそうな場所にこいつを持っていこうか」
俺は千雪ちゃんが気に入りそうな場所までついて行くことにしたのだけれど、どこにいても見える景色はそこまで変わらないような気がしていた。一緒にいるのが千雪ちゃんではなく髑髏沼愛華や鵜崎唯であれば俺も意見を言っているのかもしれないけど、こんなに海に来るのを楽しみにしている千雪ちゃんに対して何か意見を言うのは配慮が足りないと思われそうだ。さすがの俺も海を楽しみにしている子供に自分の考えを押し付けたりなんかはしないのだよ。
「色々見てみましたけど、どこもそんなに変わらないですね。迷った挙句にそんな結論でごめんなさい。お兄さんはどこがいいと思います?」
「俺も色々見てたけどどこもそんなに変わらないよね。風も穏やかだしどこにいても気持ちよさそうだとは思うよ」
「そうですよね。じゃあ、今日はこの辺にしましょうか。あんまり悩んでいると海に入れなくなっちゃいそうですし」
俺が椅子とパラソルを設置しているのだが、思っていたよりもそんなに難しくはなかった。明日はきっと俺と鬼仏院右近が人数分の設置を任されるんだろうなと思う。鬼仏院右近は見た目と受ける印象とは違って会場設営とか準備作業が好きだったりするのだ。自分から積極的に行事の準備なんかもやっていたりするし、見た目だけではなくそう言ったところでも他の人に好印象を持たれる要因なのかもしれないな。
意外な事に髑髏沼愛華もこんな作業は好きらしく、あの二人は積極的に準備をやってくれるかもしれないな。一部では鬼仏院右近と髑髏沼愛華の事をベストカップルと呼んでいる風潮があるようなのだが、外見だけではなくそう言ったところを見てもベストカップルだと呼んでしまう理由なのかもしれないな。
「お兄さんってあんまりこういう準備とか好きじゃないかと思ってました。でも、なんだかやり慣れてる感じですよね。迷いが無いというか、手慣れてるように見えるんですけど、アウトドアとか好きなんですか?」
「いや、全然好きじゃないよ。家にいる方が好きだし、こういうのも初めて触るかも」
「初めてにしては上手ですよね」
「そうなのかな。でも、これは別に難しくないと思うよ。パラソルはさして広げるだけだし、椅子も足を伸ばしてあげれば後は置くだけだからね」
「そんな簡単なんですね。でも、千雪にはその二つが大きくて持てないから置くだけでも大変かもしれないですよ」
「まあ、千雪ちゃんはまだ小さいから仕方ないよ。愛は背も高いし俺と同じように簡単に出来るかもしれないな。でも、唯は意外と手間取っちゃいそうだよね」
「そうですね。お姉ちゃんは準備してないことは意外と苦手だったりしますからね。アドリブに弱いっておばあちゃんも言ってました」
「それは見てて思ったかも。しっかりしてそうで抜けてるところも意外とあるんだよね」
「お姉ちゃんって、そんなところが可愛いですよね」
確かに唯は可愛らしい女の子だと思う。しっかりしているのに意外なところでちょっと抜けているところも魅力の一つなのだろう。でも、やっぱり俺はあの魔法陣とぬいぐるみの印象があって素直に可愛いと言えないのだった。
「じゃあ、千雪は可愛いって思いますか?」
「うん、千雪ちゃんは可愛い女の子だと思うよ」
「いや、そこは即答しないでくださいよ。お姉ちゃんに悪いって思っちゃうじゃないですか」
千雪ちゃんは俺から目を逸らすと鞄の中からペットボトルを取り出して俺に向かって山なりに優しく投げてきた。
俺はそのペットボトルを両手でキャッチしたのだが、思っていたよりも冷たかったので驚いてしまった。太陽の日差しと潮風を浴びて喉が渇いていた俺はそれをありがたく受け取ると、一気に半分ほど飲んでしまったのだ。
「美味しいですか?」
「うん、美味しいよ。凄く冷えてるね」
「保冷剤たくさん入れてきましたからね。それと、この椅子って思っていたよりも大きいんですね」
「そこまで大きいとは思わないけど、こんなもんじゃない?」
「そうですかね。千雪だったら二人で座れちゃいそうだって思いますけどね」
「確かに、千雪ちゃんが座ってもだいぶ余裕があるね」
「ですよね。じゃあ、時間もあまりないですし二人で一緒に使いましょうか。お姉ちゃんには内緒にしてあげますよ」
たまに見る何かを企んでいそうな表情を浮かべながら言っていると思ったのだけれど、千雪ちゃんはまっすぐに俺を見つめていた。その表情は、なぜか笑顔であった。




