第六十二話 水着屋の前で待ってても良いものなのだろうか
買い物に付き合わされるのは構わないのだけれど、俺と鬼仏院右近は商品を選んでいる時間よりもこうして水着屋の近くのベンチで待っている時間の方が長いんじゃないかと思っていた。俺も鬼仏院右近も待つことは嫌いじゃないので苦にはならないのだけれど、こうして水着屋の近くのベンチに座っているというのはあまり心地の良いものではなかった。
「なあ、このベンチじゃなくて他に空いてる場所とかないのかな?」
「無いんじゃないかな。平日だったら空いてるとは思うけどさ、他のベンチはもう誰かが座ってると思うよ。気になるんだったら俺が空いてるところを探してこようか?」
「いや、そうなったら俺がここに一人で残ることになるだろ。お前は俺がこのベンチに一人で座るという事に対して申し訳ないという気持ちは湧いてこないのかな?」
「全然湧いてこないね。むしろ、政虎くらい周りを気にしない男は何とも思わないんだと思ってたけど」
「まあ、ここが知り合いばっかりの場所だったら何とも思わないよ。でもさ、ここは俺の事を知らないやつが多すぎるんだよ。俺みたいなやつが一人で水着屋の前のベンチに座ってると通報されちゃうかもしれないだろ。少なくとも、警備員に声をかけられることはあると思うんだよ。でも、そんな時にお前が隣にいてくれたら周りの人たちも俺なんかよりもお前の事を見てると思うから何も起こらないんだよ。な、それはわかるだろ」
「どうだろうね。でも、やってみないとわからないこともあるかもよ。じゃあ、俺はちょっと空いてるベンチがないか探してくるよ。空いてるところがあったら連絡するから待っててな」
鬼仏院右近は俺が止める間もなく足早に去っていった。あいつは意外とメンタルが弱い面もあったりするのでベンチに座って水着を眺めることに耐えられなかったのだろう。時々買い物をしている女の子が右近に向かって水着を見せて来ることにも耐えられなかったのかもしれないけど、そう言った子達は右近の隣に俺もいるという事には気付いていないようだった。いや、気が付いてはいても俺を視界に入れていなかっただけの話なのかもしれない。その可能性は高いだろう。
それにしても、一人で水着屋の前のベンチに座っているというのは何とも落ち着かないものである。大量の荷物が無ければただの変質者に見えてしまうかもしれないが、この荷物の量は逆に変質者に見えてしまうんじゃないかという恐れも出てきそうだ。困ったもんだと思って背もたれに良しかかろうと思っていたのだが、俺の体はそのまま後ろに落ちそうになってしまった。
座る前に確認したはずなのだけれど、このベンチは背もたれのないタイプのベンチであった。背もたれが無いのであれば馬鹿正直に水着屋の方を向く必要も無いのではないだろうか。むしろ、水着屋に背を向けた方が良いという話ではないだろうか。
俺はさり気なく座り直して水着屋に背を向けることにしたのだ。この方がさっきよりはマシなんじゃないかという思いもあったのだけれど、そうなると俺は通行人をじっと見ている事になって余計に目立っているようにも思えてきた。
「あれ、お前一人かよ。鬼仏院右近はトイレにでも行ったのか?」
「いや、このベンチが落ち着かないって言って空いてるベンチを探しに行ったよ。あいつってモテてるし女の事も普通に付き合ったりしてるのにさ、意外と水着とか下着とか苦手なんだよな。たぶんだけど、あいつってエロ本を見ただけで鼻血とか出すタイプだと思うよ」
「そんな事まで聞かせるな。私にそんな事を教えてお前は何がしたいんだ?」
「別に何もしたいとは思わないよ。でも、海水浴場でみんなの水着姿を見た右近がどんな反応をするのか楽しみではあるな」
「お前は本当に変わってるよな。女子の水着姿を思い浮かべてそういう反応をするのは異常者だと思うぞ。普通はもっと違う事を考えたりするもんなんじゃないのか」
「愛の言う通りで普通はそうなのかもしれないけどさ、唯菜ちゃんが海に入らないって聞いたらそう言うことを考えるくらいしか楽しみも無くなっちゃうもんな。右近がどんな反応をするか楽しみだし、何だったら愛が水着姿で右近のそばをウロウロしてくれたら面白いことになりそうだと思うんだよな」
「お前は本当に変なやつだな。私なんかよりも唯ちゃんに頼んだ方が良いと思うんだが」
「どうだろうな。あいつは愛と違って唯と話す時は完全にフラットな感情で何も考えていないように見えるんだよ。それは唯にも言えることなんだけど、なぜかあの二人が話している時は何の感情も無いように感じてるんだよな」
「確かに、言われてみればそんな感じがするかもしれないな。でも、どこか二人で競い合っているような印象を受けるんだが、そんなのは感じたりしたことないのか?」
「それは無いかもな。二人とも闘争心が強いって感じじゃないし、どっちかって言うと戦うよりも和を大切にしようって感じなんじゃないかな。それは良いことだとは思うけど、時々二人の行動が不自然に感じる時もあるんだよな。そう言えば、愛の水着はもう決まったのか?」
「いや、決まってはいないんだ。決まってはいないんだけど、ちょっとあの場にいるのが耐えられなくなってしまってな。特にこだわりとかも無いんで私に似合いそうなのがあったら教えてくれと言って出てきたんだ」
女子の買い物は時間がかかるという話をよく聞くのだけれど、今までの買い物に比べて水着を選んでいる時間は長いのは確かだ。三軒分見て回った時間と移動時間を足してもこのベンチに座っている時間の方が長いような気もしている。別にその事に対して文句を言ったりなんてしないけれど、こんなに疲れている髑髏沼愛華の姿を見るのは面倒くさそうな先輩にナンパされているのを見た時以来だと思う。
「女子でも買い物に疲れたりもするんだな。可愛い服とか水着を見てるだけで元気になるんだと思ってたよ」
「以外かと思うだろうが、私も可愛い水着を見るのは好きだよ。好んで着たりなんかはしないけれど、唯ちゃんや千雪が着ているのを見てるといいなって思ってたんだよ。でもな、何着か試しに着てる姿を見てあらためて思い知らされたんだ。私とはあまりにも違い過ぎるってな」
ここで何が問尋ねることは簡単だし、それを髑髏沼愛華に聞くことでいつも以上にダメージを与えることはできるだろう。だが、そんな事をしたところで俺は何も得ることなんて無いし、こいつもただ傷を負うだけでしかないのだ。弱っている髑髏沼愛華を見る機会なんて早々ないとは思うんだけれど、こんなに悲壮感を漂わせている姿なんて見てはいけないのではないかと思えていた。
「でもさ、良いのがあっても試着とかしないとダメなんじゃないか?」
「それは大丈夫だ。どんな感じになるか千雪に頼んであるからな」
「千雪ちゃんに頼んでるって、千雪ちゃんって中学生だよ。ちょっと前まで小学生だったのに、どんな感じになるか頼んでるってどういうことなのさ」
「言うな。それ以上は聞くな」
「でも、千雪ちゃんってまだ小学生って言っても間違いな」
「それ以上は何も言うな。これ以上私に傷をつけないでくれ」
髑髏沼愛華は俺の言葉を遮るように言葉を重ねてきた。いつもとは違ってその声に力強さは感じなかったのだけれど、とても強い意志が込められているのを感じていた。俺はこれ以上何も言葉をかけることが出来なかった。
千雪ちゃんってちょっと前まで小学生だったと思うんだけど、そんな女の子に試着してもらってどんな感じか確認するってどういう意味なんだろう。髑髏沼愛華と千雪ちゃんは身長もかなり違うんで水着を着た感じなんかも全然違うと思うのだけれど、それでも似たような感じだという事は……。
これ以上何かを考えるのはやめにしよう。俺もちょっとだけ悲しい気持ちになってしまいそうだ。
「なあ、お前が何を考えているのかはわからないけれど、あんまり変なことは考えないでくれよ。今の私は、ちょっとしたことで泣いてしまうかもしれないからな」




