Day-1、ジェンガで自己紹介
イギリス料理なるものは、巷では「不味い」だの「味が薄い」などと酷評されている。
確かにヨーロッパで料理で有名な国──フランスのパリやイタリアのミラノに比べれば、料理で有名な街も有名な料理もその数は少ない。
おまけに先日テレビの番組で行われていたヨーロッパの料理がまずい国ランキングでは堂々の1位とその評価の低さは一目瞭然である。
しかし、本当にイギリス料理は酷評されるに値するのか。
実際、ミート・パイと呼ばれるこの料理は歴としたイギリス料理の1つであるのだが、いざ口に入れてみれば、その味はとても重厚。
一言で言えば、美味しかった。
イギリス料理はまずい。
これが世界万国共通の一致かもしれない話だが、そもそもとしてどうして不味いの言われているのか。
先ほど食べたのはミート・パイと言う肉料理だが、他のイギリス料理──フィッシュ&チップスやヨークシャー・プディングなどはどうなのか。
いろいろと調べる必要があるだろう。
『イギリス修学記』より
***
「じゃあ、いい感じに進んでることだし、この辺でそろそろ質問大会をしましょうか」
スミスティー家主催による僕の歓迎パーティーも佳境。
用意されていた料理もその大半がそれぞれの胃の中に入った頃だ。
優雅に赤ワインを飲んでいたフミエさんは、大きく手を叩いてそんな提案した。
「質問大会?」
──なんだそれ?
クイズ大会ならまだ分かる。
でも、質問大会って?
僕の疑問を予期していたのか、フミエさんは「よく聞いてくれました」と言わんばかりの表情で説明した。
「質問大会というのは──その名の通り、お互いに質問しまくる大会の事よ。 これを機にどんどん詳しくなりましょう!」
「はぁ……」
だいたいは分かった。
いわゆるアイスブレイクの一環だろう。
積み木自己紹介やサイコロ自己紹介などのアレ。
その亜種だと思えば良い。
ただ──。
「どういう順番にするんですか?」
「ちょっと待って」
奥の部屋に姿を消すフミエさん。
何かを取り出しているのだろうか。
ゴソゴソという物音と共に「どこかしら?」と困ったような声が聞こえて来た、
しばらく経ち、戻ってくる。
その手にはあるのは縦に伸びた大きな箱。
そして、箱から取り出されたのは──。
「ジェンガ……」
「そうよ。 これで決めましょう?」
ジェンガ式自己紹介。
順番はランダムで、ジェンガを抜いていく度に、1人1回、自分について語っていく。
そして、もしジェンガを崩してしまった場合は、その人が残りの3人から質問をされる。
「これで全部だけど……分かった?」
「なんとなくは……」
ジェンガか……苦手なんだよな。
昔、リンと一緒に遊んだことがあったが、だいたいは僕が崩していた覚えがある。
いや、全部僕だろう。
彼女が負けた記憶がない。
さて、どうやって攻略しよう。
そんな事を考えていると、隣から少女の声が聞こえて来た。
「それ……やる必要ある?」
スミスティーさんだ。
彼女らしいやる気のないツッコミ。
言いたいことは分かるけど、それを言ってしまったアウトな気もする。
ちらりとフミエさんを見てみる。
質問大会の提案者さんは片目を閉じ、「チッ、チッ」と指を横に振っていた。
「これだからキャリーちゃんはまだ子どもなのよ?」
「どうして?」
「これから1ヶ月も一緒に暮らすのよ? もっと親睦を深めないといけないでしょう?」
「必要ないわ。 最低限気をつければ良い話でしょう?」
「だからダメなの」
スミスティーさんとフミエさんの口論が始まる。
スミスティーさんは一貫してやる気がなく、フミエさんがそれを説得する。
どちらかが折れるまで続くだろう口論。
だけど、その闘いは思ったよりも早く終わりを見せた。
「別に勝ち続ければ、何もしなくても良いのよ? それに、自己紹介も一言答えるのでも大丈夫だから」
「分かったわよ……」
一応、納得はしたのか。
それともこれ以上の抵抗は無駄だと思ったのだろうか。
スミスティーさんはこれ以上、何も言うことは無かった。
「じゃあ、そろそろ始めようかしら?」
「はい」
「James, we play the Jenga to introduce ourselves. Are you OK?」
「yes!」
ジェームズさんのハイテンションな返事と共に、机の中心に積み木のタワーが置かれる。
高さは18段。
各段に3つの積み木がギッシリと積められており、綺麗な直方体を作っている。
「順番は……じゃんけんね」
──買った方から時計周りで行きましょう。
じゃんけんが始まる。
イギリスのじゃんけんも基本的な手の種類はグー・チョキ・パーの3種類。
ただ日本と違うのは、「最初のグー」がないと言うことと、掛け声が『rock, paper, scissors』であった。
「rock,paper, scissors……」
僕が出すのはパーだ。
理由は特にない。
ただなんとなく、パーを出したくなったから。
「1,2,3!」
手が出される。
じゃんけんの勝者は──。
「私からね」
フミエさんだった。
「じゃあ、お先に」
ジェンガの積み木が抜かれる。
彼女が抜いたのは上から1つ下にある段だった。
それからスミスティーさん、ジェームズさんと続く。
「次は貴方の番よ」
「はい……」
いよいよ僕の番だ。
震える手。
別に何も不安になる必要も無いのに、心臓がバクバクと鳴っている。
落ち着け。
まだだ。
まだ崩れる可能性はない。
ゆっくりとジェンガのタワーに手を伸ばす。
そして、中央にある積み木の手を触れて──。
***
結果から言いますと、速攻で負けました。
本当に弱いな僕は。
「無様ね」
「……」
呆れたような、何処か小馬鹿にしているような声が頭上から聞こえてくる。
何も言い返すことが出来ない。
実際、こんなに早く終わるなんて、誰も予想していなかったから。
タワーが崩れた時、提案者のフミエさんは大笑いしていたし、ジェームズさんは「Oh, no」と肩を叩いて慰めてくれた。
「まあ、早く終わらしてくれたことには感謝するわ」
これ以上にない皮肉。
「……なんでも良いから早く質問してよ」
「質問ね」
スミスティーさんは優雅に紅茶を口につけ、言った。
「英語はどのくらい出来るのかしら?」と。
「……そこそこかな」
「そう……」
何と言っているのか分からない。
だけど、フミエさんを見ると、ニコニコとしていたので、悪口は言っていないのだろう。
静かに頷くことにしておいた。
「私からの質問は終わり。 次はパパね」
バトンタッチ。
静かなスミスティーさんから陽気なジェームズさんに変わる。
リビングの雰囲気もそれに同調するかのように一変した。
「OK! Are you ready?」
「……いえーす」
「Don’t be so discouraged.」
──リラックス、ネ。
バンバンと背中を叩いてくれるジェームズさん。
嬉しいけど、力が強くてちょっと痛い。
彼の質問は当たり障りのない質問だった。
「これからイギリス生活は楽しみか?」って。
僕は「yes」と大きく頷いた。
「じゃあ、最後は私の番ね?」
「はい」
スミスティーさん。
ジェームズさんと続き、質問のラストランナーを飾るのはフミエさんだった。
「……」
なんだろう。
とても嫌な質問がされる気がする。
まだ出会ってから2時間くらいしか経っていないけど、僕の第六感がそう告げるのだ。
──気を付けろと。
「じゃあ、晃介くん。 もの凄く訊きたいことなんだけど……」
「はい」
「彼女はもういるの?」
「……へぇ?」
思わず変な声が出てしまった。
さっきまで真面目な質問が続いていたからなおさらだ。
でもよくよく考えれば、これは質問大会。
こういう質問が来るもの間違ってはいない。
「彼女……ですか?」
「そうよ。 いるの?」
──それとも、いないの?
ニヤニヤと笑っているフミエさん。
キャシーは興味ないのか、静かに料理を口にしていた。
「えっと……」
彼女ね……。
一瞬、幼馴染の顔が思い浮かんだ。
昔から隣にいる少女。
恋人なのかと聞かれたら……どうなんだろう。
だけど、よくよく思い返してみれば、付き合っているわけではない。
告白もしていないし。
そもそも恋人同士になるイメージすら出来ない。
僕は「いません」と答えた。
それがあんな事になるとは知らずに。
「いないのね?」
「はい」と肯定。
するとフミエさんはニヤニヤと意味深な笑みを浮かべて「そうなんだ」と答えた。
これで質問は終わりだ。
終わり……だよね?
「晃介君?」
「はい?」
一体、何を企んでいるのだろうか。
嫌な予感がする。
そして僕の予想は間違っておらず、その直後──爆弾は落とされた。
「キャシーちゃんはまだ彼氏とか居ないから、良ければ貰っちゃてもいいのよ?」
「はっ?」
思いがけない発言。
そしてそれに反応したのは僕ではなく──キャシーだった。
「どういうことかしら?」
本をパタンと閉じ、睨むように視線を向けている。
怒ってる。
まるで今までの態度が嘘みたいだ。
大人しい人ほど怒ると怖い。
巷でよく言われる言葉だが、本当だった。
「あらあら、本当のことでしょう?」
経験の差からだろう。
彼女の刃のような視線を向けても平然としている。
それどころか、何処か楽しんでいるようだった。
「いくらお母さんでも、言って良い事と悪い事があるわ」
「でも、この前彼氏がほしいって言ったわよね?」
「それとこれとは無関係よ」
突如として始まった戦争。
バチバチとした対決。
修羅場と言えば良いのかなんと言えば良いのか。
僕は「あの……」としか言えず、ジェームズさんに至っては、なんと言っているのかさっぱり分からない表情をしていた。
とにかく、あの中に入っていくなんて無謀だ。
僕は目の前で行われている喧嘩という名のからかい合いが終わりまで、空気に徹することしか出来なかった。
それはジェームズさんも同じだったようだ。
視線が合った僕たちはコクリと頷く。
意気投合。
国境を超えた相互理解をこんな場所で体験するなんて。
と言うか、歓迎会は?
自己紹介が終わったばかりだよね?←たった3回の質問で”introduced yourself”は終わっていいの?少なくとも主人公君は3人のことを全く知れなかったけど…。
「キャシーちゃんも早く彼氏作れば良いのに、楽しいわよ?」
「それは私が決めることよ」
止まらない親子戦争。
もちろん親子戦争と言っても、本当の戦争ではない。
母親は楽しそうに、娘は恥ずかしそうに言い合うだけ。
まるで戯れあいを見ているようだった。
「……」
それにして、やっぱり似ているんだよな。
目の前で繰り広げられているキャシーとフミエさんの争いを見て、僕は幼い少女が思い浮かべていた。
豪邸での出会い。
庭でのかけごっこ。
山登り。
そして、空港での別れ。
「そう言えば彼女も赤い瞳だったな……」
目の前にいる少女とよく似ている。
名前から別人だということは分かってる。
分かっているけど、何処か本人じゃないかという思いもあった。
「……何を考えているだ」
一瞬だけ思い浮かんだ考えを、僕は一蹴する。
そんな時だった。
「晃介君はどうかしら? 大人になったら貰ってくれる?」なんて予想外の言葉が響いたのは。
「えっ?」
唐突なフミエさんの質問。
それは、お怒りモードのキャシーの視線もこちらに向けられることになった。
……いや、どうして僕に?
「……」
期待するような視線と、鋭い視線が僕を襲う。
ジェームズさんは同情するような視線を送ってくれた。
同情するなら助けてくれ。
先ほどまで無関係だったのに、一瞬にして、争いのど真ん中に放り込まれてしまった。
「えっと……」
どうすれば良いのだろうか。
フミエさんに同意する?
そんなことをすれば、間違いなく明日の命は無いだろう。
キャシーに同意する。
それしかないな。
「いや、その……僕には結婚を約束した幼馴染がいますから」
ごめんリン。
勝手に捏造しちゃった。
お土産買うから許して。
何処かから「大丈夫ですよ」と許しのお言葉が聞こえたような気がした。
「許嫁ってこと? あら、それは難敵ね?」
「幼馴染の許嫁さんがいるなら、余計にダメでしょう? 不倫は犯罪よ」
「そう、残念ね」とまったく残念そうにしていないフミエさん。
キャシーも「早くそう言いなさいよ」と言わんばかりの視線を向けた後、視線を料理に戻した。
バンバンと肩を叩くジェームズさん。
「オツカレサマ」
「……」
うん。
本当に疲れた。
でも、まだ初日。
ようやく始まったばかり。
上手くやっていけるのかな。
不安でしか無かった。