Day-1、ホスト宅
ホームステイ先──スミスティー宅はヨークの近郊にある3階建ての住宅街の1つにあった。
家が花屋を経営しているらしく、住宅の1階部分は全てが花屋になっており、残りの2階と3階が住宅スペース。
家の3分の1がお店になっているとは聞けば、少しは窮屈した暮らしなんだろうなと思っていた。
だけど、ここはイギリス。
日本──都会の一軒家とは造りそのものが違う。
2階だけでも充分すぎる広さだった。
「早くいらっしゃい」
「はい」
スミスティーさんに促され、会計スペースの先にある階段から2階に登る。
ステップも壁も全てコンクリートと作られた階段。
重い荷物を持っていることもあり、少し窮屈に感じた。
階段を登り、住宅スペースの2階に到達。
玄関で用意されていたスリッパに履き替え、廊下を真っ直ぐ進む。
リビングの場所はすぐに分かった。
この先にこれから1ヶ月間お世話になるホストファミリーの方がいる。
「よし、大丈夫だ」
初めてのコミュニケーション。
最初くらいしっかりやらないと。
大きく息を吐き、ドアノブに手をかける。
ここでノックをするか、少しずつ開けるべきだったのだろう。
だけど、あまりにも慣れない長旅。
そして、過度な緊張のせいだろう。
僕は勢いよくドアノブを引いてしまったのだ。
その直後だった──。
目の前で、パーンと高い音が鳴り響いた。
パラパラと花びらのようにふわふわと落下するちり紙。
「えっ……」
一瞬、心臓が止まったかと思った。
あまりにも突然すぎる状況。
クラッカーが鳴った。
その事実を飲み込むのにちょっと時間が掛かってしまったが、それも仕方ないだろう。
「……」
誰が予想しただろうか。
ドアを開けたらいきなり、クラッカーが鳴るなんて。
目をパチパチと開けたり閉じたりする。
部屋のリビング。
おそらく、歓迎会の会場なのだろう。
部屋の中央にある大きなダイニングテーブル。
机の上には大小のお皿並べられており、天井には『我が家へようこそ(Welcome to our home)』と日本語と英語の2か国語で書かれた幕が垂れ下がっている。
また机の近くにはここまで案内してくれたスミスティーさんと若い女性。
そして大柄な男性が立っていた。
「……」
一体どうなってるの?
状況がまったく読めない。
キョロキョロと四方を見渡していると「ようこそ」とテーブルの近くにいた若い女性──おそらくスミスティーさんのお母さんが声を掛けてきた。
「貴方が天城 晃介君ね」
「えっ……あっ、はい」
ウェーブ掛かった金色の髪を持つ若々しい女性。
瞳は紫で、身長は僕よりも少し高いくらいだ。
「今日から1ヶ月間、短い間だけど、自分の家だと思ってゆっくりして行って良いからね」
「はい。 よろしく……お願いします」
練習した通りにやらないと。
そんな強い思いが、バクバクと鼓動している体からなんとか声を出した。
「そんな畏まらなくて良いのよ?」
優しく告げ、また微笑む。
彼女の年齢から計算して、30から40代なんだろうがが、20代と言って過言でもない。
一言で言うなら、スミスティーさんは可愛くて、この方は綺麗であろう。
しかも包容力とでも言えばいいのか、とても優しそうな雰囲気だ。
まったく、母さんも見習って欲しい。
1日に1回はふざけているから。
今朝だって、変なことを言っていた。
どこかで聞き慣れた笑い声が聞きえたような気がしたが、おそらく気のせいだろう。
「分かりました」
礼儀正しく、練習した態度で。
心の中で大きく深呼吸し、彼女につられるようにニコッと笑顔を返した。
「じゃあ、全員が揃ったことだし、早速歓迎のパーティーをしましょう?」
──晃介君はそこに座ってね?
この家の主人に案内され、空いていた椅子を引く。
そしてゆっくりと腰掛けようとした時だった。
「My name is James nice to meet you」
大柄な男性が笑顔で手を差し伸べてきた。
ジェームズさんって言うのか?
突然の自己紹介。
しかも、英語だったから大雑把な内容しか理解することが出来なかった。
「えっと……nice to meet you?」
ここに来てはじめての英語。
ホストファミリーは全員日本語を喋れる。
そう思っていた矢先の出来事だ。
上手く喋れたか不安になる。
すると、斜め向こうから「こら? 先駆けはダメよ?」とお母さんの声がした。
「Oh, I’m sorry. But I want to know his name……」
なんと言っているのだろうか、
ごめんなさいくらいしか分からない。。
ただ、どこか申し訳無さそうな顔をしていた。
「まあ、良いわ。 名前は早めに知っておいた方が良いからね」
唐突に始まった自己紹介。
「じゃあ、トップバッターはこの家の主人でもある私からね」
わざとらしい咳をしてから語り始めるお母さん。
「私はフミエ・スミスティーよ。 名前からも分かる通り、日本人とイギリス人のクォーター。 そして貴方のお母さんであるサキとは大親友よ」
クォーターだったのか。
コクリと相槌。
「それとこう見えても学生時代に頃は成績優良者だったのよ」
お母さん──フミエさんは「えっへん」とした態度で自己紹介を終えた。
なんというか……とても独特的だった。
「じゃあ、次はキャシーちゃんね」
「……もう空港で名乗ったわ」
やる気がないのか。
淡々と告げるスミスティーさん。
母親とはまるで対照的。
たけど、フミエさんはそれを許さなかった。
「分かったわ」
本を閉じ、しっかりと前を向く少女。
やる気は無さそうでも、挨拶する時のその礼儀はちゃんとしていた。
「知っていると思うけど、私の名前はキャサリン・スミスティー。 歳は貴方と同じね。 あとは──」
そう言い、スミスティーさんは息を吸う。
彼女は唇に手をやり、何かを言おうと口を小さく開けていた。
早く続きを言いなさい?
そんな事を言わんばかりの表情のフミエさん。
すると、スミスティーさんは何かを察したのか、小さく息を吐いた後、静かに次の言葉を告げた。
「それだけね」
ドーンとズッコけた音が響いた気がした。
「ワタシはジェームズデス。ヨロシクオネガイシマス」
「あっ、はい」
なんだ。
日本語も喋れるんだ。
ちょっと安心。
「キャシーちゃんね……まあ良いわ。 そろそろ料理を持ってくるから。 2人ともそこで待っててね?」
「あっ、はい」
フミエさんとジェームズさんが席を立ち、リビングの奥へと向かっていく。
部屋には僕とスミスティーさんの2人が残された。
「……」
沈黙が部屋を制す。
僕はもともと無口な方だし、目の前に座っているスミスティーさんは本を読んでいる。
続きを読んでいるのだろう。
無言でパラっとページを捲っていた。
見すぎてしまったのだろうか。
彼女の「……何?」と言う鋭い視線が僕に刺さた。
「あっ、ごめん」
謝罪して、視線を他所へ向ける。
そのまま、別の場所を見ていれば良かったのだろう。
だけど──戻してしまったのだ。
チラリと正面を見てみれば、そこにはジーッとこちらを見つめてくるスミスティーさんの姿があった。
「……」
互いの視線がぶつかり合う。
今の僕はどんな視線を向けているのだろうか。
──視線を戻そう。
そう思った僕だったが、どうしたことか、彼女から目を外すことが出来なかった。
まるで引きつられているような。
あるいは、吸い込まれているような。
不思議な感覚だ。
「……」
僕と彼女の間に静かな時が流れる。
一体、どれくらい時間が経っただろうか。
1分?
あるいは30秒かもしれない。
時間さえ忘れてしまいそうな感覚。
しかし、そんな沈黙はすぐに打ち壊される事になった。
「あらら、一目惚れ?」と何処か嬉しそうな声が響いたのだ。
強烈な一言である。
一気に現実に戻された僕は咄嗟に別の方角を向き、彼女は視線を本に戻そうとする。
しかし、顔はそっぽを向いても、チラリと漏れていた視線は互いに合ったままだった。
「……」
気まずい。
僕もスミスティーさんも何も言わない。
ただ、彼女の母さんの「あらあら」と言う笑い声が部屋に漏れていた。
「まあ、時間も時間だし、そろそろ始めましょうか?」
どうやら、準備は整ったようだ。
「ほら、まずは乾杯しましょう?」とお母さんの一声。
しかし、スミスティーさんは「なんで私までも……」と嫌々そうにしていて、ジェームズさんは言葉が分からず、キョロキョロとしていた。
「じゃあ、乾杯」
チーンと4つのコップがぶつかる。
──ようこそ、我が家へ。
ようやく始まるんだな。
1ヶ月後はどうなっているのか。
今の僕には、まったく想像できなかった。