Day-1、イギリス少女は塩対応
ヒースロー空港。
世界最大の空港の1つとも言えるロンドン郊外にあるこの空港は、その待ち合わせ場所も広大であった。
今いるコーヒーチェーン店を始め、トイレや両替所は当たり前、書店やレストラン。
レンタカーにホテルのブッキングなど多くの施設が整っている。
勿論、表記は全て英語であるが。
ただ、娯楽や商業施設が多い分、ここにいる人もまた多い。
これから飛行機に乗るだろう観光客からショッピングを楽しむ人まで。
大勢の人で賑わっているその光景は、まるで大きなショッピングモールのよう。
そして、そんな大勢の人がかりの中、赤い椅子に腰掛けていた僕は唖然としていた。
「……」
──冴えない顔ね。
──関わるつもりはないから。
目の前にいる──それも、かなりの美少女からのいきなりの毒舌。
まさかこんな言葉が出るなんて、予想出来ただろうか。
いや、出来ない。
「えっと……貴方は?」
開いていた口をなんとかコントロール。
思っていたことの1つを口にしてみる。
しかし、僕の質問に彼女は何も答えない。
それどころか、逆に「貴方、何も聞いてないのね」と呆れたような口調で言い放った。
「聞いてないって……」
それは知らされてないもん。
もしかしたら、あの母さんは言っていたかもしれない。
だけど、それが僕の耳に入っていない以上、それは聞いていないと言うことになる。
「聞いてないのね?」
「うん」
「そう……」と小さくため息を吐く少女。
その表情はまさしく『呆れ』であった。
「まあ良いわ。 これから1ヶ月間、“大人の都合”で貴方と暮らす事になったから。 私はその同居人よ」
「あっ……うん」
それは知っている。
でなければ、こんな広い空港でわざわざ僕に声なんか掛けないだろう。
「それと名前も言っておくわ。 キャサリン・スミスティーよ」
「えっ? あっ……天城 晃介です」
あまりにも突然すぎる出来事。
挨拶はしたものの、不慣れな対応になってしまった。
「どうかしたの?」
「いや、なんでもないよ」
ちょっと怪しかったかな?
「そう……」と一切の興味を失ったような態度。
なんと言えば良いのだろうか。
どこか嫌われているような気がする。
それほどまで僕の暮らすのは嫌なのだろうか……。
いや、嫌に決まってるか。
向こうかすれば、いきなり男が家にやってくるんだから。
──大人の都合。
その言葉を必要以上に強調していた彼女──スミスティーさんは、勢いよく右手を差し出した。
「それじゃあ、1ヶ月間よろしくね」
「よろしくお願いします」
短い握手。
たぶんそれすらも嫌だったんだろう。
数秒経った後、スミスティーさんはパッと手を離した。
「じゃあ、もう行くけど良いわね?」
「あっ、はい」
早速移動するみたいだ。
ネットの情報によれば、この空港から地下鉄に乗って1時間。
ピカデリー線という地下鉄に乗ってロンドン市内に向かうとか。
それからキングスクロス駅発の電車に乗ってヨークに行くらしい。
「それと時間はあまりないの。 チケットはもう持ってるわとよ?」
「チケット?」
チケット?
電車のチケットのこと?
ICカードじゃ……流石にダメか。
国内では基本的にどこでも使えるICカード。
しかし、ここは国内ではない。
イギリスだ。
「持ってないのね?」
彼女の言葉にコクリと小さく頷く。
買うべきだったか。
でも買い方なんて分からない。
申し訳なそうにしていると、彼女は小さく「そう……」と言うだけであった。
「なら、買う時間も必要ね。 急いで移動するわよ?」
「ごめん」
僕の隣に立って、人混みの中を真っ直ぐ進もうとする少女。
肩まである銀色の髪がよく光っていた。
でも、なんだろう。
「……似ている」
隣にいる彼女の姿を見ていると、僕はある懐かしさを感じた。
今まで封印していた記憶。
忘れていた記憶。
「……シェリー?」
──まさかね。
僕がシェリーと呼んでいた10年以上前に別れた日系イギリス人の女の子。
もし、シェリーが成長したていたら、彼女とそっくりだっただろう。
でも残念。
彼女はシェリーではない。
スミスティーさんだ。
僕が「シェリー」と呟いた時、スミスティーさんは一瞬だけ動揺したような気配を見せた。
しかし、すぐに元通りの表情になると、そのまま説明を続けた。
「もう知っていると思うけど、ここって多くの人がいるの」
──だからしっかり着いてきなさいよ?
スミスティーさんはふふっと笑う。
まるで試しているみたいだ。
「お願い……します」
彼女は「遅れないでよ?」と告げると、そのまま先に進んでしまった。
「あっ、ちょっと待ってよ」
残念ながら、僕の言葉は届かず、スミスティーさんはエアポートセンターをずんずん進んで行く。
そう言えば、時間ってどのくらい掛かるんだろう?
地下鉄にに乗った時にでも聞くか。
そんな事を考えながら、僕は必死になって彼女の跡を追う。
それが失敗であった。
余計な事を考えながら歩いていたせいだろう。
「あれ? 何処に行った?」
迷ってしまった。
「……」
やばい。
非情にやばい。
想像していたいくつかの最悪の展開パターン。
早速その1つがが訪れてしまい、冷や汗が止まらない。
「どうしよう……」
インフォメーションに行くか?
なんとかして彼女と合流しないと。
そう考えていた時「そこで何をしているの?」と僕の後ろから聞き覚えにある声が飛んできた。
この旅行で一番最初に聞いた言葉で、僕の母国の言葉。
「迷っちゃって……」
僕はハハと空笑いする。
そんな僕を見ていた彼女は、顔を顰めると「着いてきてって言ったのに?」と強めの口調でそう言った。
「ごめん……」
「……今度はちゃんと着いてきてよ?」
「うん……気をつけるよ」
「それとこれは持つわ」と僕のキャリーバックの持ち手を掴む少女。
「女子に荷物を持たせるのか」と言う声が何処かから聞こえてくる。
でも、こんな大勢の人がいる中でこんな荷物を持って進むのは時間が掛かる。
もしかしたらまた迷うかも。
さっきは運が良かったが、もし彼女が気づかず、先に進んでしまい、そして見失ったら一貫の終わりだ。
「ありがとう」
正直に言って嬉しかった。
「では行きましょう」
赤いキャリーバックを運んでいた水色のワンピースの少女が人混みの中に消える前に、僕は必死に彼女の跡を追った。
「早い」
僕はぜいぜいと息を切らしながらも、前にいる少女を目で追う。
しばらく歩いていると、突然彼女は足を止めた。
僕を待ってくれたのだろうか。
だとしたら、結構嬉しい。
「遅いわよ」
彼女はため息を吐きながら、そう告げた。
「ごめん」
「別に怒ってはないわ。 でも本当に時間がないの」
──だから、もう少しだけ急いでくれる?
棘のある言い方。
でも、言葉の何処かには優しいところもある。
「何か変なこと考えていない?」
鋭い視線を向けるスミスティーさん。
さっきは優しいと言ったけど、あれは嘘だ。
普通に怖い。
「置いてくわよ?」
「すみません。ごめんなさい」
それだは辞めて。
さっきは最悪引き返すと言う手があったけど、今はそれすら出来ない。
僕の顔が面白かったのか「冗談よ」とふふっと笑みを浮かべていた。
──じゃあ、付いてきて。
颯爽に歩き始めるスミスティーさん。
僕もテクテクとついていく。
慣れない時間。
通じない言葉。
広大な空港。
そして棘のあるホストシスター。
初日から凄いことばかりが起こっている。
それにしても、彼女は何処へ向かっているのだろうか。
地下鉄の駅とは反対側に進んでいる。
「こっちじゃないの?」と言っても、返ってくる言葉は「良いのよ」の4文字。
本当に彼女がホストシスターだよね?
それすら心配になってくる。
全てが謎だらけの1日。
ただ、分かることと言えば1つ。
もしここで迷ったら──僕は2度と帰って来れないということだった。