Day-0、出発
立ち並ぶお店。
賑わう人混み。
聞こえてくるアナウンス。
イギリス留学が決まった翌日、僕は家から数十km離れた羽田にいた。
ガラガラと鳴り響くキャリーバック。
膝まであるだろう大きな荷物を引きずりながら、僕はのんびりと歩いていた。
目的地は国際線に搭乗できる第三ターミナル。
ここからだと、少し距離がある。
しかし、時間もある程度は余裕があるので、焦りはしない。
ただ1つ、問題があるとするなら──。
「眠い……」
地図を見ていると大きな声であくびをしてしまった。
「ふぁ」となんとも情けない声。
周りに人がいなくてよかった。
変な目で見られてかもしれないから。
しかし、非常に眠い。
なんせ昨晩はぜんぜん寝れなかった。
夏休み中──おおよそ1ヶ月のイギリス留学が決まり、リンが寝させてくれなかったのだ。
──確かに、夜遅くまでゲームをしていた僕も悪いよ?
でも、今日になるまで起こすなんて聞いてないよ。
しかも寝ようとしたら、「寝ちゃうんですか?」なんて涙目で訴えてくるし。
あんなの見たら、寝れるわけないじゃん。
まあ、機内で寝れば良いや。
羽田からイギリス──ロンドン・ヒースロー空港までは約12時間。
少し窮屈だと思うけど、寝れる時間はたっぷりある。
僕はもう一度大きなあくびをした。
「ここからどうしよう」
持っているチケットによれば、飛行機の離陸は昼前。
今の時刻が9時過ぎだから、数時間後だ。
ちょっと早く着きすぎたかもしれないが、遅れるよりかは良い。
それに、早く着いたおかげであと数時間ほどは時間に余裕があった。
「どこかで時間でも潰すか」
どこかのカフェ屋でコーヒーでも飲みながらゆっくりしよう。
そう思ったんだけどね……。
「ターミナルはこっちじゃありませんよ?」
「……」
ん?
何処かから聞き覚えのある声がしてきた。
少女の──耳に直接伝わってくるような甘い声。
「あっ、お土産があります。 飛行機でどうですか?」
また聴こえてくる。
睡眠不足で疲れているのかな。
頭を振り、無理矢理体を起こさせる。
離陸まであと数時間。
もう少しだけ耐えてくれ。
そう思ったら「無視しないでくださいよ……」と思いっきり袖を掴まれた。
「嘘だよね?」と思いながら後ろを振り向けば、そこにいたのは今にも泣きそうな幼馴染。
「酷いです」と涙目を浮かべているその姿は、ここが空港でなければ、今にも抱きしめていただろう。
そう。
空港で無ければ。
「……いや、何でいるの?」
浮かび上がる疑問。
おかしいな。
モノレールに乗ったときは1人だったんだけどな……。
今のリンの姿は小動物のようでかわいいが、その前の行動を考えるとちょっと怖い。
幼馴染で無ければ、彼女が取った行動はストーカーと同じなんだから。
いや、幼馴染だから行ったのか?
ちょっと待って、混乱してきた。
「何でいるの?」
同じ質問。
すると彼女は浮かべていた涙を一拭き、ビシッと敬礼して、「お見送りに来ました」と答えてくれた。
「お見送り……」
「はい!」
ニコッと笑みを浮かべる少女。
さっきの弱々しい姿はどこへ行ったのだろうか。
今のリンはまさに軍人モードであった。
脇は90度。
足の開きは60度。
手の先は眉があり、目線は真っ直ぐと自衛隊員も驚き、完璧な姿勢だ。
しかも、どこで買ったのか。
いつの間にか迷彩柄の帽子をかぶっている。
かわいい。
「……」
しかし、すごいな。
今まで見たこともやったこともない難しい事を一発で成功させるなんて。
流石、優等生。
でもリンちゃん。
出来るなら、その才能を他の場所で使っておくれ。
例えば、昨晩のイギリス留学論争の時とかにさ。
母さんの味方ではなく、僕と一緒にいて欲しかった。
だが、過去は変えられないように、決まってしまったことはどうしようもない。
大きく息を吐いた後、「ありがとう」とお礼を言っておいた。
「じゃあ、どこかで時間でも潰そうか」
「そうですね!」
ニッコリと笑う幼馴染。
かわいいから許す。
この世界にはそんな言葉があるようだが、まさにその通り。
何で着いてきたんだという疑問やストーカーみたいな行動に少し思うところはあったけど、リンの笑顔を見ると、なんかどうでも良くなってくる。
仔犬と言えばいいのか、妹と言えばいいのか。
幼い子どものような──ついつい守ってあげたくなる雰囲気を漂わせる幼馴染。
だがこれだけは言える。
決して、彼女の小柄な容貌に屈した訳ではないと。
彼女の純粋な笑顔に負けたのだ。
かわいいは正義であって、ロリは正義ではない。
「近くのコーヒーショップで良いかな?」
「コウくんのお好きなお店で構いませんよ」
──それとも私が探しましょうか?
そんな提案するリン。
こう言うのは彼女に任せるのが1番だ。
いつも通りに、僕は「お願い」と頼んだ。
「分かりました」
ガラガラとキャリーバックを引きずって、お店が立ち並ぶ2階へと向かう。
大きなエスカレーター。
日本最大級の空港ということもあり、目的地はすぐに見つかった。
「あそこはどうでしょうか?」
彼女が見つけたのは、このフロアの隅にある小さな喫茶店だった。
「良いんじゃない」
「じゃあ、行ってみましょう」とリンに着いて行くように店に入る。
今日がまだ平日だと言うこともあり、お店は空いていた。
「いらっしゃいませ。 お客様はお二人様でしょうか?」
やって来た店員さんの質問に「はい」と答え、奥へ案内される。
店内はダークオートで落ち着いた雰囲気だった。
店の壁にはいくつかのコーヒーの写真が飾られており、天井には高級そうなシャンデリアがある。
僕はSNSにはあまり関心が無いので、詳しい事はよく分からないが、インスタ映えしそうな店とは、こう言う店を指すのだろう。
「こちらの席でよろしいでしょうか?」
「はい」
案内されたのは、店の1番奥にある席。
窓側の席だった。
外にはバルコニーがあり、東京湾が一望できる。
時間があるなら、ゆったりとしてみたいものだ。
そんな事を思いながら、メニューを開く。
羽田と言う世界最大級の空港のお店ということもあり、メニューもかなりあった。
さて、どれにしようか。
時間にはまだ余裕あるとは言え、決して長くはない。
なるべく早く決めないと。
うーんと悩む。
どれも美味しいだから。
すると正面に座っていたリンは、「決まりましたか?」と静かにメニュー表を閉じながら、笑顔で訊ねてきた。
もう決めたのか。
早いな。
「……ブレンドコーヒで良いかな」
これ以上悩んでも決まりそうにないので、たまたま目に入った商品を選ぶことにした。
「あら、実は私もブレンドコーヒーにしようと思っていたんです」
「へぇ……そうなんだ」
何かの偶然か。
僕が選んだのは、彼女が注文しようとしていたものとどうやらも同じものらしい。
「すみません」と店員さんを呼び、2つのブレンドコーヒーとクッキーを注文する。
僕たち以外に注文する人がいなかったのだろう。
食べ物はすぐにやって来た。
「いただきます」
***
楽しければ楽しいほど、時間というのは早く過ぎるもの。
離陸まで残されていた空き時間はあっという間に経過。
あと40分でフライトする時間になっていた。
「そろそろですね」
「うん」
お店を後にし、まっすぐ出国審査の場所へ向かう。
エスカレーターに乗り、多くの観光客で賑わっている広場を突き抜けば、保安検査場が見えて来る。
「ここでお別れですね……」
「そうだね……」
先ほどとは一転、弱々しい口調で答える幼馴染。
落ち込んでいるな。
僕だって寂しいさ。
今日から1ヶ月も会えなくなるのだから。
「ここで『頑張ってください』とお見送りするのが正しいのでしょう。 ですが、やっぱり行って欲しくないです」
「……」
本音だろう。
口から出るぎこちない言葉。
りんちゃんモードでもしっかりとした口調だったから、こう言う姿はなかなか新鮮な感じがする。
心がゾクっとするような、なんとも言い難い感覚だ。
「毎日電話してくださいね?」
「ああ」
「お土産待ってますからね?」
「お気に入りを買って来るよ」
イギリスって何が有名なんだろうか。
やっぱり映画関係?
某魔法学園とか、ミステリー作品とか。
あとは童話関係とかも多そうだ。
「では、ここでお別れです」
「うん」
手を差し伸べるリン。
僕も手を伸ばし、2つの手が重なったと思えば、次の瞬間──僕は抱き抱えられていた。
ギュッと彼女の温もりが伝わってくる。
「体には気をつけてくださいね?」
耳元から伝わる幼馴染の声。
いつもの事だから慣れている。
慣れていると思っているのに、心臓はバクバクと音を漏らしている。
「う、うん……」
ぎこちない返事。
それからしばらく、ずっと彼女の腕の中に包まれる。
離す気は無いのだろう。
周りの視線など一切気にしていない様子であった。
「あの、そろそろ……」
「そうですね」
彼女の腕から解放された時、出発まであと20分も無かった。
ちょっと急がないといけないかも。
「では、頑張って来てください」
「うん。 1ヶ月後にここでまた会おうね」
「はい!」
大きく手を振って、検査場に入っていく。
手荷物の検査とボディチェック。
航空券のチケットを見せて、搭乗口に向かう。
「……」
いよいよだ。
いよいよ日本と別れることになる。
聞き慣れた日本語も。
見慣れた街とも。
そしてリンとも。
「……」
期待。
興奮。
そして不安。
さまざまな感情が僕を包み込む。
僕が搭乗した飛行機がイギリスに向けて旅立ったのは、それからまもなくだった。
感想、評価、ブックマークお願いします。