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Day-0、指令


「そうそう、コウちゃん。貴方にはこの夏休み期間、イギリスに行って貰うわ」


「は?」


僕こと天城晃介の耳にそんな情報が入ってきたのは、夏休みが始まる直前。

学校の修了式が終わった7月20日の晩のことだった。


「だから、コウちゃんにはこの夏休みの間にイギリスに行って貰います!」


「えっ……えっ?」


いや、待って。

どう言うこと?

理解できない。


「イギリスに行くの? 僕が?」


「そうよ。 貴方英語の成績が散々だったでしょう?」


──このままじゃダメよ?

笑顔で告げた母さん。

その手には昼頃に受け取った成績表があった。

評価は──まあ普通よりかは上だろう。

英語を除いて。


「それに、こんな成績だと高校にいけないかもよ?」


バサバサと机の下から何かを取り出す母さん。


──イギリスに留学。

一瞬、いつもみたいな何かの冗談かと思った。

だけど、現実は非情だ。

目の前にある机の上に置いてある物──パスポートやイギリスの旅行ブックや英会話の本などを見て、嘘では無いみたいだ。


いや、本当に行くのか?

それもそれで、信じられない。


イギリス。

名前は知っている。

その位置も。

日本から数万キロも離れた場所。

いくつもの国を超えた先にある島国。

そして、母さんが言ったのは、そこに行けということだ。

いや、無理でしょ。


「……それっていつからなの?」


「明日からよ?」


「はい?」


言葉ができないとはこう言うことだろう。

あまりも早すぎる展開。

僕の知らない間で旅行の予約をして行ったってこと?


詳細を訊ねよう。

そう思い、口を開こうとする。

だけど、僕の口から言葉が発せられることはなかった。

いや、出来なかったと言ったほうがいい。

何故なら──。


「それって、どう言う事ですか?」


少女の声が響いた。

まるで極寒にいるような冷たい声。


まずいと思った時には既に遅し。

彼女はニッコリと笑みを浮かべながら、言葉を続けた。


「何でコウくんがイギリスに行かなければならないんですか? 英語の成績が低いなら私が付きっきりで教えますから、コウくんがイギリスに行く必要なんて無いんですよね? そうでしょう? お養母様。 それとも私の事なんてどうでも良いんですか? 大好きな彼と別れろって言うんですか? ほら、コウくんからも何か言ってください」


「……」


これほどの長いセリフを1回も息を切らずに、そして早口で言い切る少女。

……すごいな。

そんな感心していると、腕がギュッと掴まれた。


「そうでしょう? コウくん?」


「ああ、リンの言う通りだと思うな……」


へへっと笑う黒髪の女の子。

少女の名前は凛花。

僕の幼馴染で、昔からリンと呼んでいる。


彼女とはかなり古く幼稚園の頃から付き合いだ。

僕が4歳の時に、彼女の隣の家に引っ越してきた。

家がすぐ隣だと言うことからすぐに友達になった僕たち。

それから家族同士で仲良くなり、何かがある度に互いの家に遊びに行くほどの仲を10年間以上も続けている。

そして、今日も1学期の終わりを祝うと言うことで、パーティーを行う為に彼女が家に来ていた。


「リンちゃんが付きっきりで英語を教えてくれるのは嬉しいわ。 でもね、もう決まっちゃったことなのよ」


申し訳なさそうな口調で告げる母さん。

でも、その表情はまったく変わっていなかった。


笑っているよ。

あれほどの殺気を受けても平然としている。

リンも凄いが、いつも通りにいられる母さんも流石だ。


「それは……もうチケットを購入したという事ですか?」


「そうよ?」


「……」


口をポカンと開け、まるでこの世の終わりのような顔をするリン。

勝者は母さんだった。

しかし、負けず嫌いのリンだ。

こんな場所で譲らないだろう。

そして僕の予想通り、次の瞬間には名前通りの“凛”と姿勢を良くし「それじゃあ、私も着いていきます」と、とんでもないことを言い出した。


「それは嬉しい提案だけど、それだと、リンちゃんのご両親に負担が掛かるでしょう?」


「許可はくれます。 いや、無理矢理でも貰ってきます」


キリッとするリン。

恐ろしい事に彼女なら本当にやりそうだ。


「でも、残念な事に飛行機は1席しか取れなかったのよ。 向こうも1人だけ行くって言っちゃったし……」


「飛行機は別の機体に乗ります。 現地ではホテルに泊まります」


「でもね……ホテルって向こうもそうなんだけど、15歳未満は保護者がいないと泊まれないのよね」


「えっ……」


渾身の一撃だったのだろう。

ホテルは一定の年齢以上じゃないと泊まれない。

そんな残酷すぎる現実を知らされたリン。

さあ、ここからどう反撃するか。


ちらりと幼馴染の横顔を伺う。

リンは悔しそうに歯を食いしばっており、その可愛らしい顔はブルブルと震えていた。


──ああ、これはさらにまずいかも。

どうも、僕は後出しになってしまうらしい。

隣にいた少女は「コウくん!」と涙を浮かべながらギュッと僕に抱きつてきた。


「そんな……イギリスなんかに行かないで、ずっと私と居よ?」


先ほどまで凛としていた姿は何処へ行ってしまったのだろうか。

まるで幼い子供みたいにグズってしまう。

あるいは寂しがり屋な仔猫か。


リンは学校では冷静で真面目。

生徒会長に学園主席。

まさに孤高と言われる少女だ。


しかし、そんな彼女が幼馴染の僕と一緒に旅行にいけないと分かった途端、幼い子供のように泣いてしまう──こんな姿は誰も想像出来ないだろうな。


ただ、僕自身としてもイギリスには行きたくないし、この夏休みの間もリンと一緒にいたい。

その気持ちはよく分かっていたので──。


「うん、僕もリンとは離れたくないよ」


事実、彼女と出会ってからの約10年。

ほぼ毎日、どんな日でも出会っていた。

それこそ、会っていない日が片手で数えるくらいだろう。

それがこんな事で途切れるなんて。


しかも、夏休みには大事なイベントがある。

期末試験中に、リンとも一緒に行こうと約束したばかりだ。

それを辞めてまでイギリスなんて行きたくない。


「コウくん……」


「ほら、泣かない」


優しく彼女の黒い髪を撫でる。

艶々とした感触。

毎日手入れしているのだろう。

触り心地が良かった。


「落ち着いて」


「うん……」


しかし、なんと言えば良いのだろう。

かわいい幼馴染が胸元で泣いている。

背中がゾクゾクするような、なんとも言えない感情が僕を支配しようとしていた。


「……」


いやいや、何を考えているんだ僕は。

気を抜いたら変な道を開けてしまいそうだ。

なんとか理性で耐えていると、僕の胸から「うへへ」と変な声が漏れた。


「目の前でイチャイチャしてもムダよ」


──コウちゃんがイギリスに行くことは決まったの。


キッパリと宣言する母さん。

目の前で僕達が抱き合ってるのに、現実を堂々と告げるなんて、閻魔大王でもしないと思うよ。

……たぶん。


「そんな……そう。 じゃあ、コウくんがイギリスに行くなら、私、コウくんと一緒に駆け落ちするわ!」


「……」


ああ、完全に仮面が外れているよ。

それに今なんて言った?


「駆け落ちするの?」


母さんの言葉にコックリと頷くリン、

おい、冗談じゃないだろう?

イギリスには行きたくなし、凛花と一緒にいるのは嬉しいけど、この歳で駆け落ちはしたくないよ。

学校とか生活はどうするんだ?


しかし、リンの宣言にも全く動じない母さん。

母さんはふふふと笑みを浮かべながら「じゃあ、1つ尋ねても良いかしら?」と言葉を続けた。


「この先、2人が夫婦になって、家庭を作った時、もしコウちゃんが仕事の都合で海外に行くとなった場合、貴方はコウちゃんの後を追うつもりなの? 子どもと家を残して?」


母さんの言葉に何かをボソボソと呟くリン。

その顔はどこか赤くなっていた。


「夫の帰りを信じて待つのも、良妻の務めよ?」


「はい……」


流石、母さん。

あのリンを説得するとは。

伊達に数十年間あの不器用な父さんの妻をやっていただけはある。

いや、待て。

何で、僕とリンが夫婦設定になってるんだ?

確かにリンは好きだし、大切だと思ってる。


でも、異性として好きかと言われれば、僕は首を横に振るだろう。

だって、彼女とはずっと一緒にいたこともあり、家族の一員みたいなものだと思っていたからだ。


それにしても、リンと結婚か……。

想像出来ないわけではない。

だって何も変わらないと思うから。

おそらくここまま行けば、何事もなく結婚するんだろうな。


「良妻……良い奥さん……コウくんの一番の奥さん」


しかし、ちょっと待ってくれ。

なんか怪しい雲行きになってきたぞ。

リンがブツブツと何かを呟ている。


しかもだ。

追い討ちをかけるように、リンの耳元でボソッと呟く母さん。

小さな声だが、途中で「小さい頃の写真」と聴こえてきた。

おい、待て。

何をする気だ?


嫌な予感。

そして、それは見事に的中するわけで──。


「コウくん。 コウくんなら出来るって私は信じてますよ」


僕の味方が、完全に敵の手に堕ちたと言う事だった。


「ちょっと待ってよ。 イギリスなんて行ったことないのに、1人で行けって言うのかよ。 しかも、どうやって夜を過ごせば良いんだよ」


僕は思った事を叫ぶように言った。

事実、中学三年生──まだ義務教育を受けている身分である僕が、1人でイギリスに行くのは無理がある。

行けなくはないが、英語の世界を1人で行くのは無理がある。

しかし、僕の反論は予想内だったのか、母さんは笑って答えた。


「その点は問題ないわ。 イギリスにいる私の友達に留学の事を話したら、喜んで承諾してくれたわ。 それに、イギリスなら住んでことがあるわよ?」


「えっ?」


マジ?

でも、記憶に無い──いや、ある。

僕が幼い頃、だいたい3歳頃かな。

両親が家にいない時によく遊んでいた相手。

本名が長くて、当時の僕では覚える事が出来なかったので、ニックネームとしてその子を「シェリー」と呼んでいた。

今となっては、顔がうっすらと覚えているだけである。


「……シェリー?」


「ほら、やっぱり覚えるじゃない」


ああ、あのシェリーか。

髪色が違うなと思ってたけど、イギリスの女の子だったんだ。


「ちょっと待ってください……コウくん、今のシェリーって娘は誰ですか?」


ニコニコと笑いながら、顔を近づける幼馴染。

こわっ。


「いや、詳しくは覚えてないよ」


「ふふ、そうね……」


裏があるような笑みを浮かべる母さん。

リンと言い、一体どうしたんだ。


「とにかく、貴方のイギリス行きは決まりよ。 頑張ってね」


「コウくん。 イギリスに着いたら、お知らせください。 毎日電話しますからね」


「えっ……」


あっ、これ詰んだな。

この家の魔王である母さんと、手の平をひっくり返した怖い幼馴染に笑顔で言われた僕に逃げ道は無かった。


……ちくしょう。

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