初めての敵がネズミや小鳥や芋虫なのはゲームの中だけの話
「ご主人様、これからどうするんですか?」
優希は周りを見ながら考える。こんな森の中では安心して休めない。今はまだ日が高かったが、夜になったら獣なんかも出てくるだろう。その前に人里へたどり着きたい。
「出発しようか。暗くなる前にどこか街に着きたいな」
「わかったです」
頷くシロ。
「そういえばこれはなんなんだ?」
優希は枕にしていた布の塊に近づいて、広げてみる。それは布でできた袋で、中には一着の衣服と一振りの小剣、小さな革袋、コンパスと地図が入っていた。
「シロの服と剣もそこに入ってたです」
よく見ればシロの腰には袋の中に入っているのと同じような小剣が吊るされていた。
「なるほど。じゃあ僕も着替えるか」
シロに後ろを向いておいてもらって優希も着替える。
着心地は少し硬めで、デザインも異世界の村人Aといったところだ。正直微妙だが、それでも万年着た切りの芋ジャージよりはマシである。脱いだジャージは布袋の中にしまっておいた。小剣はシロと同じように腰につける。
「ご主人様、似合ってます」
シロが褒めてくれるのは少しこそばゆい。飼い猫のシロという事は分かるのだが、もう何年も他人に褒められたということはなかった。
「それよりもシロ、『ご主人様』ってのはやめてよね。なんかメイド感がすごい」
「……? ご主人様が望むなら、シロはメイドでもいいですよ?」
今のシロがメイド服を着た姿が脳裏に浮かぶ。……可愛い。メイド喫茶的な方も良いがクラシカルな方もとんでもなく似合いそうだ。
長い漆黒のスカートと、その裾からちらりと除く純白のフリル。胸元にはリボンが躍り、控えめな胸部をふわりと装飾している。襟元からはちらりと形の良い鎖骨が覗く。エプロン紐を縁取る大きなフリルの中から伸びる、すらりと長い上肢を包む袖の先には少し大きめのカフスが手の小ささを強調している。輝く銀髪の上に乗るホワイトブリムの後ろから飛びだす大きな猫耳はメイド属性との相乗効果でその魅力を天元突破させるだろう。
どこまでも進んでいきそうな妄想を慌てて打ち消す。
「いやいや。僕も落ち着かないし、名前で呼んで欲しい」
「じゃあ、優希様?」
「様もいらないよ」
「優希さん?」
「呼び捨てでいいよ?」
「無理、ですっ」
両眼をぎゅっとつぶって首を振るシロが可愛い。
優希は苦笑いしながら、
「わかったわかった。じゃあさん付けでいいよ」
「はい。優希さん、ところでその革袋には何入ってる、です?」
優希が持ちっぱなしだった革袋を開けると、中にはたくさんの硬貨が入っていた。
金貨が1枚、銀貨が5枚、銅貨が大小合わせて50枚ほどだ。金貨がなんだか高そうというのは分かるが、それ以外はさっぱりわからない。いずれそれぞれの硬貨が何円相当なのかも知る必要があるだろう。
革袋の口ひもをしっかりと締めてポケットに入れる。
残ったのは地図とコンパスだ。古い羊皮紙のような質感の地図には、百均の付箋のようなメモが貼ってあった。
『コンパスの針に従って“アーストの街”へ向かってくださいねぇ』
あのロリ悪魔からの伝言のようだ。日本語でも英語でもない謎の文字が書かれているにもかかわらず、その文字は優希にも読むことができた。
ご丁寧にもコンパスは目的地を指すように魔改造されているらしい。現在地もいまいちわからないし、地図に描かれているのは中世の地図のようながばがばな地形だったので、普通のコンパスをもらったところで詰んでいただろう。
アーストの街は地図の真ん中下のあたりに描かれていた。周りを森に囲まれている街で、近くには大き目の川が流れているようだ。
それ以上の情報は得られなかったので、地図はポケットにしまうと立ち上がる。
「それじゃあシロ、出発しようか」
「はい!」
しかしコンパスに従って意気揚々と進みだした優希のそでをシロが引っ張った。
「こっち、道ありました」
シロの案内に従い、藪を突っ切ってしばらく進むと、轍の痕が残る道に出た。一車線道路よりやや広いくらいの未舗装の道が左右に伸びている。コンパスはが指している方角に近い方へと優希とシロは歩き出した。
***
森の中の一本道をひたすら歩く。異世界にもかかわらず道中はモンスターに遭遇することもなく至って平和だった。当初は周囲を警戒しながらずっと腰の剣を握りしめていた優希にも、おしゃべりに興じる余裕が出てきた。
「そういえばさ」
ずっと気になっていたことを口にする。
「シロって今いったい何歳なんだ?」
シロが驚いた表情をした後、ジトっとした目で優希を見た。
「ごしゅ、優希さん! 女性になんてことを聞くんです?」
「いや、いやいや、そういう意味じゃなくて! ほらお前がウチに来た時ってまだ生まれた直後だったろ? だったら今は1歳半とかだろうけど、どう見ても高校生か大学生くらいにしか見えないし……」
シロは、必死に弁明する優希にため息を投げつけると、
「猫は人間よりも成長が速いですから。今は優希さんと同じくらい、です」
「お、オーケー、了解」
どうやら許されたらしい。ほっとしながら内心の冷や汗をぬぐっていると、そんな二人の前方から何かが近づいて来ているらしいことに気づいた。
「あれ、なんだ?」
慌てたような人の声と、悲鳴。
道が微妙に曲がりくねっているので、木の陰になってしまって40メートルほど先までしか見ることはできない。と、その陰から2人の青年が飛び出してきた。彼らは優希たちを見つけると、
「あ、あんたらも逃げろ! ホーンウルフが出た!」
必死の形相で叫びながら二人の横を駆け抜けていく。
「ホーンウルフ?」
「なんでしょう?」
何かは分からない。しかし必死に逃げてきた青年の怯え切った顔を思い出して、優希は背筋に嫌な予感を感じた。
「逃げよう!」
呆けているシロの手を取って道を引き返す。
だが時は既に遅かった。
相手はとっくに優希たちを捕捉していたのだった。踵を返して走り出した優希たちの目の前で、道のわきの藪がガサリと大きな音を立て、巨大な狼が飛び出してきたのだ。