プロローグ③
「それで? 僕を飛ばそうとしているのはどんな世界なんだ?」
ろくでもない世界だったら即却下だと思いながら問う。
ロッテは首を傾げて少し考え込むそぶりを見せた。
「ええっとですねぇ、一言でいえば『剣と魔法の世界』?」
「おお!」
剣と魔法の世界と聞いてわずかながら心が躍った。異世界転生にあこがれるオタクなら当然の反応だろう。
しかしロッテはジトっとした目で優希を見つめた。
「いや、なんか喜んでますけどねぇ。お兄さん、大事なことを忘れているんじゃないんですかぁ?」
「な、なんだよ?」
「ふつーに魔法とかがあって、モンスターが跋扈していて、人々はそれを倒したりして暮らしている世界ですよぉ? よわよわ地球人のお兄さんがふらっと行ってもすぐにゴブリンとかにすりつぶされるのがオチなんじゃないんですかぁ?」
そう言われると平々凡々な地球人である優希にモンスターと戦う力なんてあるわけがなかった。モンスターというからには日本のイノシシやクマなんかよりはるかに強いのだろう。脳裏にトマトピューレ状のナニカが浮かび上がってきて、思わず身震いする。
「あははははっ! お兄さん私の話の何も聞いていないですねぇ。お兄さんが異世界でてんやわんやする様子を眺めて楽しみたいって言ったじゃないですかぁ。だからすぐに死なれても困るんですって」
じゃあどうすればいいんだよ。異世界転生モノのテンプレみたくチートでもくれないと無理だろう。
ロッテは言葉を続ける。
「なのでぇ、よわよわなお兄さんには私から戦うための力をプレゼントでーす!」
マジか! じゃあ僕も異世界で俺TUEEEEできるのか!
考えが顔に出ていたのか、それとも悪魔らしく心を読み取ったのか。ロッテは鼻を鳴らした。
「あのねぇ、一介の悪魔がそんなホイホイとチートをあげられるわけないじゃないですかぁ。それにぃ、お兄さんが異世界でチートにおんぶにだっこで好き勝手暴れるのを見て何が楽しいんですかねぇ。スポーツだって結果が分かり切っている試合を見ても楽しくないでしょうよ」
優希は肩を落とす。
そりゃそうだよな。この取引はあくまで目の前の悪魔のためのものだ。転移者のための余計なサービスなどしても余計な手間がかかるだけだろう。
しかしせっかく死ぬのを延期して異世界へ行くのなら、多少楽しむくらいしても罰は当たらないはずだ。世界最強の力がダメだとしても、せめて『ちょっと大きな町レベルでは最強』くらいの力は欲しいところだった。
「まあ、そんな落ち込まないでくださいよぅ。戦闘力たったの5かゴミめなお兄さんでも177くらいまでは強くなれるはずですからねぇ」
「それ、いつか爆死する運命しか見えないんだけど……」
「死にたかったのならめでたしめでたしですねぇ」
「それもそっか」
「納得するんですか……」
あきれたようにこちらを見やるロッテ。引きこもってから幾星霜、誰かとこんなに話したのは久しぶりだった。人を食ったような態度のむかつく悪魔だったが、それでも少し楽しいかもなと優希は思った。
「話を戻すけどな、戦闘能力はとりあえずそれで納得するしかないにしても……」
「なんです?」
「異世界に行って言葉が通じなかったら詰むからな。せめて言葉が通じるようにするスキルなりなんなりをくれ。あとは生活のめどを立てるまでの金も。無一文で放り出されても確実に詰む」
優希の要求はすんなりと認められた。ロッテも当初から想定していたのかもしれない。
「しょうがないですねぇ。必要経費としてそのぐらいのサービスはしてあげましょう。でもこれ以上は無理ですからねぇ?」
聖剣とか賢者の杖とかをねだろうとしていたのがバレたのだろうか。
しかしそこそこの戦闘能力と異世界の言語とそこそこのお金をもらえるなら、まあ最低限の待遇ではあるよな、と自分を納得させる。
「にゃあ」
膝の上のシロが一声鳴いた。見ればシロは視線をロッテに向けて固定していた。一方のロッテもロッテでシロを見つめて微動だにしない。
こいつら見つめあって何をしているんだ。
当惑する優希を蚊帳の外に置いたまま、シロとロッテのにらめっこは1分以上も続いていた。
「さて、じゃあお兄さん、異世界へ飛ばしますねぇ」
にらめっこを終えたロッテが声をかけてきた。優希は断るつもりではなかったが、ロッテは笑顔を顔面に固定したまま、
絶対に断らせないですよぉ?
とでも言うように凄んでくる。
優希は警官に銃を突き付けられたアメリカの万引き犯のような顔をして両手を挙げる。
「わかったよ。でも報酬の例の薬もちゃんとくれよ?」
もちろん、とロッテが頷くのを見て、優希はシロを抱え上げると、地面に放した。
かがみこんでシロの目を見つめる。
「今までありがとうな、シロ。お別れだ。こんな場所で無責任に放す僕に言えた義理じゃあないけど、幸せにな」
向こうへ追い立てようとするが、シロはその場から動こうとしなかった。
どうにかしてシロを離れさせようとしている優希の足元に光り輝く魔法陣が現れる。
「おい、なんだこれ」
驚く優希の耳に、テーマパークのアトラクションのスタッフのような調子でロッテの声が聞こえる。
「ではお兄さん、いってらっしゃーい」
「おい待て、まだシロが!」
慌てて魔法陣から放り出そうとするも、シロは優希のズボンに爪を立ててしがみついていて離れない。
ロッテを見る。彼女は能面のような顔でこちらを見ているだけだった。それもすぐに魔法陣の光に塗りつぶされて見えなくなる。
光が収まったとき、男と猫の姿はその場から消えていて、残っているのはゴスロリを着た幼女だけだった。その姿も空中へ溶けるように薄くなっていき、やがて見えなくなった。
最期の瞬間、彼女は呟いた。
「優希さん、どうぞお元気で」
一滴の雫が地面で弾けて消えていった。