第五話
神は無責任だ。救うだけ救っておいて、私に答えを残してくれなかった。
それともまだ足りないというのだろうか。世界から欠片が失われていく。
まるで物のように、命が零れ落ちていく。私はそうなりたくない、この世界から零れ落ちたくない。
なのに私がして来た事はなんだ。
何故私を生かした、生かすべき命は他にも沢山あっただろうに。
何故よりにもよって私なんだ。
もし、その答えを私が決めていいのなら。
私は選ぶ。彼になら……この世界から蹴落とされても、私はそれでいい。
十分すぎる、私の人生の成果だ。
※
黒教会の庭園、少しばかり丘になっている広場は、気候の変化を敏感に感じ取った花々が咲き乱れていた。シンシアはそこに一人佇みながら待っていた。きっと来るであろう者を。
「……シンシア、シンシア!」
愛しいと思える声が聞こえた。
この三年間、十分すぎる寵愛を受けてきた。だが幸福を感じれば感じるほど、シンシアは違和感を感じた。これで本当に良いのか、と。
「シンシア……?」
シンシアの元へと駆けつけたアレスは直観する。記憶が戻ったのだと。そこに佇むシンシアは、いつか見た戦場の少女のようだった。
アレスの脳裏に走る予感。それは抜剣せよと言うもう一人の自分の警告。
「一体……どうしたんだ、シンシア」
シンシアはアレスへと目を向け、魔力を解放していく。
花々が散り、まるで吹雪のように舞う。まだ冬は終わっていない、そう囁くように。
「私は……シンシア・アルベイン。第二十四魔道士団、副長にして宮廷魔術師」
「……シンシア……!」
「ガルド帝国の覇道は永遠、阻む者を消し去るのが私の役目。ザスタリス王国の第一王子、お前を帝国の敵とみなし……殺す」
明確な殺意。
空が割れ、巨大な碇が降りてくる。そして割れた空から、巨大な船が姿を現した。
シンシアの魔術が、アレスへと牙を剥く。明確な殺意がアレスを貫く。
「……シンシア」
「剣を抜け……」
「シンシア!」
「かまえろ! 死ぬぞ!」
巨大な船の砲台がアレスへと向けられる。そのまま雷鳴のような轟音と共に火を噴く砲台。大地を抉りながら、空気を震わせながら、その船スキーズブラズニルは世界を揺るがす。
砲撃はアレスには命中しない。ただ周辺の岩を撃ち抜いただけ。常人ならばとうに背中を向けているだろう。だがアレスはシンシアを見つめながら立ち尽くすのみ。
シンシアはそんなアレスを理解出来てしまった。
この三年間、二人は互いに理解し合い、距離を縮めてきた。
アレスは自分を殺す気など微塵も無い。それはシンシアも同じ。どれだけ殺意を剥き出しにしようにも、アレスを殺せる筈が無い。
それならば、出来る事はただ一つ。
「……ごめん、もう……私、駄目なんだ……」
シンシアは涙を流しながら、アレスへと笑みを浮かべる。
そしてアレスには聞こえない程の小声で、別れを告げた。
「シンシア……!」
アレスにその別れの言葉が聞こえたとは思えない。
だがアレスはシンシアに向かって走り出した。
スキーズブラズニルの砲台がシンシアを狙う。
一斉に、自らの術者へと火を噴く。
「……シンシア……シンシア!」
アレスの血が熱くなる。
体中に溶けた鉄を流し込まれるような感覚。
絶対に失いたくない者の為に、アレスは疾走する。
犠牲を伴ってでも守りたい、それが愛だと言わんばかりに。
轟音と共にシンシアの意識は途切れた。
最後の最後でアレスに抱きしめられる、そんな暖かみを感じた。
※
これで最後だと思っていたシンシアは、再び瞼を開いた。
目の前には青い空。花びらがこれでもかと散って、それはそれは幻想的な光景。
「……アレス?」
そして自分の胸で眠るように倒れているアレスの顔を、シンシアは覗き込む。
アレス、アレス、と呼びかけるシンシア。だがアレスは目を覚まさない。
「嘘だ……お前……ずっと私と一緒に居てくれるって……言ったじゃないか……!」
アレスを抱きしめながら泣きじゃくるシンシア。
しかしその時、天から声が聞こえた気がした。
シンシアは、初めて神の声を聴いたような気がした。
それは朧げな、夢のような気さえする。
砲撃で抉れた地面が再生し、咲き乱れていた花が再び復活する。
二人の周りから、徐々に花が再生していく。
シンシアはその光景に目を疑った。
宮廷魔術師として幾度も奇跡の秘術を再現してきた。
だが今起きている事はそのどれも当てはまらない。失われた物を復活させる術など、彼女は知らない。
「……シンシア……」
その時、アレスが目を覚ました。シンシアはアレスを花畑へと仰向けにさせるように寝かせ、今一度その顔を覗き込みながら息を確かめる。生きている、確かに。
「……アレス、お前……」
「シンシア……」
薄く目を開け、シンシアの頬を撫でるアレス。
そんなアレスの手を取り、握り締めるシンシア。
あの時とは違う。
ひたすら冷たい体のシンシアを抱いていた、あの時とは。
暖かい春の到来を告げるかのように、心地良い風が二人を包み込む。
「アレス……ごめん、ごめん……」
「……いいや……許さない」
アレスは力強くシンシアを抱きしめる。
もう離さない、そう言いたげに。
雲の隙間から日の光が二人を照らし、新たな季節が巡ってくる。
長い冬は終わりを告げた。
春の到来と共に、今、二人の物語は始まるのだ。
最後までお読みいただきありがとうございます。
シンシア、アレス、そしてこの物語に登場する全ての者に幸福を。