第四話
《ザスタリス 黒教会》
この国を救った英雄、と言っても過言では無いだろう。
その女性は連日この黒教会を訪れ、人々の最後を目に焼き付け続けている。
エルフたる私は死ぬことを許されていない。死という概念そのものを奪われた、哀れな種族。
しかし彼女もまた、アンキルエイトによって蘇生させられ生き永らえた。
神はどこまで残酷なのだろう。
七歳にして前線に立ち、この国の騎士を葬った彼女。そして三年前、この国を救ったのも、また彼女。
神はまだ、彼女に戦えというのだろうか。
アンキルエイトによって蘇生されし真の英雄は、民のために戦い続けた。それが戦士ならば喜ばしい事だろう。死ぬまで戦い続ける事に意味を見出せる人種ならば、それを栄光だと高らかに叫ぶだろう。
だが彼女はそれとは無縁の存在だ。
いくら強力な魔術師と言っても……今となっては、中身はただの少女なのだから。
「……シンシア、少し休みなさい。もうその方は……」
「大丈夫です……シスター」
病に蝕まられ、つい先ほど旅立った男性の手を握り続けるシンシア。
薄く開いた教会の扉からは、まだ冷たい風が滑り込んでくる。
「シスター、私は……一体何者なんでしょうか……」
男性の安らかな顔を眺めながら、シンシアはそう呟いた。
彼女には……記憶が無い。あの竜星の学院との戦の後、アンキルエイトの力によって蘇生した彼女は、自分の人生の大半の記憶を失っていた。
「何者と言われましても……。貴方は貴方よ。心優しいシンシア」
「……悲しい筈なのに、涙が一滴も出ないんです。とても悲しい筈なのに、まるで人の死に慣れているかのように……」
シンシアは静かに男性の手を置き、その体に毛布を掛け直した。
私とシンシアが初めて会ったのは、彼女が七歳の頃だ。まさに帝国がザスタリスに攻め込んできた時、血まみれの少女が一人でここを訪れた。
胸に帝国の勲章を掲げた少女。悪魔と言われた彼女は、訪れるなり私へと
「ここは病院ですか? 傷の手当をするところですか? もしそうなら潰して来いと言われました」
無表情でそう言い放つ子供を前に、長年生きてきたエルフたる私でも、背筋が凍ったのを覚えている。
私はその少女へと、ここは病院ではない、と伝えた。彼女は小さく頷きながら音も無く立ち去って行った。
それから数度、帝国が撤退した後もシンシアは時折ここを訪れた。最初は生きた心地がしなかったが、ここで働かせてほしいと願い出た彼女は、贖罪を求めているかのように見えた。
そして今、彼女は再びここを訪れている。
黒教会、永遠に朝の訪れない地。まるで彼女の人生のようだ。彼女の心は未だに冬のままなのだろう。そしてこれからも永遠に。
「シンシア」
すると教会へと一人の男性が新たに訪れた。彼女を迎えにきたのだろう。この国の第一王子。
「そろそろ帰ろう。皆心配している」
「……はい」
あのシンシアが……まるで子猫のようだ。
本来の彼女はこうだったのかもしれない。魔道など歩まず、ただの一人の少女として育った彼女は、人一倍大人しく優しいのだろう。
第一王子はシンシアの手を引き、馬に乗せ私へと会釈を。私も深々と頭を下げ、二人を見送る。
もうじき、春がやってくる。
※
王宮へとシンシアを連れ帰ったアレス。あの戦から三年。ザスタリスはまるで、あの戦が嘘だったかのように平和に包まれていた。帝国からの和平を受け入れ、今ザスタリスは長い冬から抜けようとしている。
記憶を失ったシンシアは、アレスの婚約者として受け入れられた。アレスは内心、シンシアは拒絶されるかもしれない、そう思っていた。確かに最初は皆の反応は冷ややかな物だった。記憶を失っているとは言え、シンシアはかつて帝国との戦争で猛威を振るった魔術師。
しかしシンシアの王宮での振舞は、アレスの予想を大きく裏切った。決して悪い意味では無い。アレスはシンシアを、ちょっと粗暴な女の子、と評価していた。しかしシンシアは元宮廷魔術師。王宮での振舞は完璧だった。記憶を無くしているのに、礼儀作法や乗馬、料理から楽器演奏までも熟した。時折みせる帝国風の所作も、最初は苦笑いされていたが今では「お茶目」なシンシアと微笑ましく見られる程。
三年も経てば、シンシアは貴族、平民を問わず親しまれる人間となっていた。
そして今年の春、ザスタリスは新たな王の誕生を待ち望んでいる。その隣には、帝国の元宮廷魔術師。
もはや異論を唱える者など居ない。それは紛れもなくシンシアの人柄ゆえの成果。
それだけに、アレスは悔やんでいた。
シンシアともっと早く出会っていれば、と。
※
真夜中の王宮、アレスはシンシアに乞われてザスタリスの古い神話を語っていた。
そして気付けば、シンシアはいつのまにか寝息を立てている。アレスは頬を緩ませながら、シンシアへと毛布を掛け直した。そしてその寝顔を見つめながら、物思いにふける。
「……思えば、あの時と立場が逆転してしまったな。君は俺の記憶をすぐに戻してくれたけど……」
あの牢屋の中で、シンシアと出会った事を思い出しているアレス。
記憶を無くし、森をさまよったあげく牢屋へと放り込まれた。
「あの時……一瞬だが記憶を戻された事を後悔した。君と敵対する立場だと知った自分が、憎くて仕方なかった……」
シンシアの頬を撫でるアレス。
それに反応するかのように、シンシアは寝言でアレスの名前を呼びながらその手を握る。
「君の記憶は……戻させない。絶対に……。辛い記憶だ、思い出す必要もない」
記憶を失った直後のシンシアは、夜中に魘される事が続いた。
連日、何かに謝りながら酷く魘されるシンシアを、アレスは抱きしめ慰めてきた。
「もう、いいじゃないか……もう……彼女を解放してくれ……」
三年経った今では、魘される事はほぼない。
だがアレスの心に、まるで血のようにこべりつく物がある。
もしも、シンシアが記憶を取り戻してしまったら。
「このまま……どうか、このまま……」
アレスはシンシアに握られた手を両手で包みながら、顔を伏せ祈る。
するとそんなアレスの頭を、いつのまにか起きていたシンシアが撫でた。子供をあやすように。
「……シンシア、起きたのか?」
小さく頷くシンシア。
そのまま再び目を伏せ、アレスの頭を撫でながら、アレスが話した神話の英雄伝を今度はシンシアが歌うように語る。
それはまるで子守歌かのように。
アレスの意識は、深く夢の中へと落ちていった。
※
翌朝、アレスは珍しく寝坊をし、様子を見に来た侍女に起こされた。
そして目をあけると、ベッドの上に居た筈のシンシアが居なくなっている。
「シンシア……? シンシアは何処だ……?」
「あぁ、黒教会に行くと……」
侍女の言葉にホっとするアレス。
黒教会に行くのは既に日課となっていた。
また日が落ちる前に迎えに行かなくては、とアレスは思うが
「でも今朝のシンシア様、少し雰囲気が違っていて……なんだか少し勇ましかったですね」
「……何?」
アレスの心にこべりついた血が、広がっていく。
まるで心に突き刺さった刃が、深くねじ込まれるように。