第三話
《ザスタリス王国国境の黒教会》
親愛なるお兄様へ。
どうか、助けて下さい。
「どういう事です? 何故よりにもよって貴方が、我が国の王子を」
「成り行きだ。預かってくれ。やる事が出来た」
「待ちなさい、貴方は処刑された筈では? 何故生きているのです」
黒教会のシスターはエルフ。
決して死ぬことが出来ない種族。にも拘わらず、この教会は助かる見込みの無い病人や、死にかけの兵士が運ばれてきます。最後を看取る為に。
よりにもよってその役目を、死とは無縁のエルフに担わせているのです。永遠に続く死の螺旋、それを彼女達は見守り続ける。永遠に朝の訪れない地。ゆえに黒教会。
「直に竜星の学院から魔術師の大群が来る。使い手を見た。そいつがザスタリスの内乱を誘発していた」
「……貴方は何故……」
「光を編み出す魔術は貴重だ。それを武器として扱えるのは竜星の学院だけだ」
「そうではなく、貴方は戦おうとしているのですか? 貴方には関係の無い話でしょう、いえ、それ以前に何故貴方は生きているのです」
「私を追放した帝国の王様に聞くんだな。人使いの荒い爺め。私が気付く事を想定してわざわざ追放して生かしやがって」
どうか、彼女を助けて下さい。
僕が覚えている会話はここまでです。
帝国とザスタリスの間にある因縁は分かっています。
しかし帝国も一枚岩では無いのです。帝国の王はザスタリスと和平を結ぶ意思を持っていたのです。しかしをそれを良しとしない過激な分派が、竜星の学院と手を組みザスタリスを落そうと画策していた、彼女はそれを防ぐため、帝国の、国王の意思を一人で背負う事になりました。
この手紙が届く頃には、既に手遅れかもしれません。
黒教会のシスターは言います。かつて彼女は、幾千ものザスタリスの騎士を葬った悪魔だと。
彼女が選んだこの戦は、罪滅ぼしのつもりなのかもしれない、と。
しかし何故、彼女一人がそれを背負わなければならないのでしょうか。
一昨日前、国境に広がる平原の空が割れるのを見ました。
どうかお兄様、愚弟の我儘をお許しください。
この手紙を書き終えた時、僕も彼女と一緒に罪を背負いに行きます。
彼女に罪があるのなら、ザスタリスの第二王子たる僕にも、その罪はある筈だと……思うので。
※
そこはまさに地獄だった。オルビスからの手紙を受け取ったアレスは、騎士隊を率いて国境に広がる平原へと赴いた。その光景を見た者は等しく絶句する。平原に横たわっているのは皆魔術師。白き衣に身を包んだ者達。
その数、少なくとも一万強。そして平原の中央、岩の上に座ったまま動かない者が居た。一人だけ黒いローブに身を包む者。アレスは馬を駆り、その者の前へと。
「……まさか……」
馬を降り、恐る恐る顔を覗き込む。片膝を付き、その者の手を取りながら。
「シンシア……アルベイン?」
瞼は開いたまま、光を失っていた。既に手は冷たい。アレスが手を取った事で、少しずつその体は傾き、座っていた岩の上で力なく横たわる。
すでに彼女の魂はここには無い。アレスは自然と息が荒くなり、シンシアの遺体を見つめ続けた。本当にたった一人で戦ったのだ、ザスタリスの敵と。敵国である筈の帝国の宮廷魔術師、シンシアが。
呆然とするアレスへと、ミリアが近づいてくる。そしてシンシアの遺体を見ると、祈るように目を伏せる。敵国の宮廷魔術師、しかし命を救われ、国まで救われた。その武功は公けになる事は無いだろう。しかしミリアは誓う。自分は語り継ぐと。
「オルビス……オルビスは……?」
アレスはここに赴いたであろうオルビスを探し始めた。とても八歳の子供が書いたとは思えない手紙。しかしその筆跡は間違いなくオルビスの物だった。その手紙の最後に、ここに赴くと書いてあったのだ。事実、黒教会にオルビスの姿は無かった。
「オルビス! どこだ! オルビス!」
平原へと響き渡る声。だがそれに答える者は居ない。
「ミリア……オルビスを探せ! なんとしても見つけろ!」
「は、はっ!」
騎士隊を指揮し、オルビスを捜索しはじめるミリア。アレスはシンシアの遺体へと近づき、そっと瞼を下ろした。
「……あの時、もっとちゃんと礼を言えば良かったな……何故一人で戦った? 罪滅ぼしだと……? 馬鹿な……ならなぜ俺は生きている……」
一万の魔術師を相手に、たった一人で立ち向かったシンシア。その結果、その進軍を止め殲滅。だが彼女もまた、まさに命がけの戦だったのだろう。アレスは思い出していた。あの牢屋で見た、シンシアの表情は豊かだった。だが今はもう、笑う事も悲しむ事も、怒る事もしない。
「オルビス……お前は正しい……彼女に罪があるのなら……」
「アレス様! オルビス様はご無事です!」
騎士の一人がオルビスを抱え、アレスの元へと。オルビスは大きな傷も無く、ただ眠っていた。息もしっかりしている。
「アレス様、すぐに帰還しましょう、まだ敵がくるやも……」
「オルビスを連れてお前達だけで戻れ。俺は残る」
「……は? な、何を……」
「頼む……」
「で、できません! 何故そのような……」
アレスは少年のような顔でミリアを見つめ、頭を子供のように撫でまわした。
そして
「必ず戻る。我らが英雄を連れてな。それまでザスタリスを頼んだぞ、ミリア」
ミリアはアレスが何を考えているのか理解できた。理解出来てしまった。
歯を食いしばり、子供のように頭を撫でてくるアレスの手を振り払うミリア。
「この大馬鹿野郎! だからいつまで経っても弱いんだよ、お前は! 私より年下のくせに……私に勝てなかったくせに……勝手に成長して……だから男は馬鹿なんだ……」
ミリアはぐしぐしと目元を拭うと、再び騎士の顔に。
そしてアレスへと一礼すると、騎士隊を率いて去っていく。
それを見送りつつ、一人残されたアレスは、シンシアの遺体を抱き上げ、そのまま岩の上へと座り直した。
冷たい風が、二人を包む。
「初めて貴方を見たのは……俺が十五の時だ。あの時は小さな女の子が、大人に言われるがまま戦争の道具にされている、そう思って怒り狂ったな」
シンシアの前髪を分け、顔を見つめる。
「まさかあの時の少女がここまでになっているとは。ミリアにもよく言われるが、俺は間抜けらしい。今それを嫌だというくらい実感してる。なあ、髭剃ったんだ。間抜けだが素顔は中々だろう?」
物言わぬシンシアへと、語り続けるアレス。
「……牢屋で貴方と再び会った時、妙な気分になったんだ。記憶が戻ったのに、一瞬……戻らなければ良かった、そんな風に……」
シンシアの冷たい体を、抱き抱える。
「あぁ……何のために戻ったんだ、俺は。気付けば全部……貴方が……」
その手を握る。だが握り返される事は無い。
「……ずるいぞ。俺だって……」
もっと早く、内乱を引き起こしている者の正体に気付いていれば。
もっと早く、シンシアと手を取り合っていれば。
もっと早く……ここに辿り着いていれば。
「……神よ……これではあまりに不条理だ! 彼女を連れていくなら、俺も連れて行ってくれ! 俺にも戦場をくれ! 彼女と共に……戦わせてくれ!」
その叫びは寒空へと消える。
勿論、返答はない。ただ冷たい風のみが、アレスの体温を奪っていく。
「あぁ……魔道を歩む者に心を奪われるな……か。確かに……地獄だ。この地獄に永遠に居続ける事が罪滅ぼしならば……俺は喜んで受け入れる……」
するとその時、シンシアの懐から一枚の金属の板が滑り落ちてきた。
アレスの膝へと落ちるそれは、青く淡い光を放っている。
「アンキルエイト……? 何故……彼女が……」
その金属、アンキルエイト。
別名、聖女の涙。その金属を少量混ぜただけで、武具の類は祝福された物となる。祝福された剣は綻ぶ事はなく、また鎧は砕ける事はない。ほぼほぼ伝説と化している代物。
そしてそのアンキルエイトが今、淡く発光している。
それがどういった現象なのか、アレスには心当たりがあった。
それは神話の、英雄が没した話。その英雄が持つ剣に、アンキルエイトが混ぜられていた。そしてその剣が淡く光り、死んだ筈の英雄は……
「……ぅ、ごふっ! えふ! ドッファ! やめろ……シチューに人参を入れるな……」
アレスの腕の中で息を吹き返すシンシア。
冷たかった体は熱を取り戻し、顔に赤みがさしてくる。
「……真の……英雄……」
アンキルエイトが蘇生させるのは、神話世界の選ばれた英雄のみ。
アレスの腕の中。
シンシアは夢の中でシチューをおかわりしていた。