不死の英雄 ーGood night my dearー
一部グロテスクな描写があります。
苦手な方はご遠慮ください。
世界から光が消えていこうとしている。
光がなくなった世界では、影は闇へと姿を変える。
僕がいるこの場所は、もうすぐ戦場になる。
死なない体を持つ者同士の、戦いの地に変わる。
≪……僕が不死の体を手に入れたのは、死ぬのが怖かったからじゃない……≫
闇の中で、最後の灯火である月が紅く、血を流したように染まっていく。
紅い色がどす黒く澱み、そして最後には闇へと溶けていく。
もう、この世界に光はない。
滅びの魔女が、この地に姿をあらわす瞬間を、僕はただじっと待っていた。
300年に一度復活するその魔女と、僕が対決するのはこれでもう……5回目だ。
闇の中に、闇よりもさらに黒きものが集まり始めた。
滅びの魔女だ。
僕も彼女も、姿は300年前とおなじ。
お互い歳を取らない。ずっと変わらない。
≪……僕が不老の術を覚えたのは、老いていくのが怖かったんじゃない……≫
魔女が先に仕掛けてきた。
大きな虚無が口を開けて、あっという間に僕の右腕を、肩の先から食いちぎっていった。
痛みは感じない。
死なない体が僕に与えてきた苦痛は、こんなものじゃない。
腕が消滅したことなんかに気を取られるわけにはいかない。再生している時間も力も無駄にはできない。
僕は残っている左手で、術を発動する。
滅びの魔女と同じ、虚無を呼び出して、魔女のまわりを囲む。
声のない叫び。空気の歪む振動。それが魔女の悲鳴。
いつ聞いても、嫌な気持ちにしかならない。
魔女を覆っていた黒い影が虚無に消えていく。ここまでは300年前と同じだ。
前回はここまで追いつめたんだ。
少しずつ、1500年の歳月をかけて、僕の魔力は滅びの魔女の力に近づいていった。
もう少し。もう少しなんだ。
≪……僕が英雄になったのは、滅びの魔女を憎んでいたからじゃない……≫
僕は生み出した虚無のまわりに結界を張る。
虚無が拡散しないように。
滅びの魔女が消滅してしまわないように。
彼女をもう少しだけここに留めるために。
消えない虚無に囚われた魔女が、世界を引き裂くような悲鳴をあげる。
先に保護呪文をかけておいたから、魔女の叫び声を聞いても、僕の耳はまだ聞こえる。
でも時間の問題だ。すぐに僕の耳は潰れてしまうだろう。
その前にケリをつけなければ。
真っ黒だった滅びの魔女の中から、わずかな白が現れた。
僕は夢中で叫んだ。
「……ディア! ディア!! 返事をしてくれ!」
滅びの魔女の影が薄まり、1500年ぶりに見る、愛しい人の顔が目の前にあった。
僕は左手を伸ばし、彼女の顔に触れる。
すると、僕の手の肉はあっという間に腐りはじめ、骨だけを残してずるりと落ちた。
でもそんな苦痛は、ディアの顔が見れたことに比べれば――、触れられたことに比べれば……、ないのも同じだ。
「ディア……! やっと会えた! 今度こそ助けるから! 絶対助けるから!」
ディアは表情を苦痛に歪めたまま、ゆっくり首を振った。
「もう、いい。……殺して……お願い。私のことはもう……」
「そんなこと言うな! 絶対に助けるから! くそ! 何が足りないんだ! どうしたら君を元に戻せるんだ!!
ディア! 知っていたら教えてくれ! お願いだから……!」
ディアの体を強く抱きしめる。
わずかに香る彼女のにおいとともに、滅びの魔女の瘴気が僕の肺を灼く。
もうすぐ声が出せなくなる。呪文が唱えられなくなる。
僕の体も、崩れていく。
「龍脈……つないで。均衡を……」
そこまで声に出すと、ディアは激しく大気を振動させ、滅びの魔女と共に虚無の中に取り込まれていった。
滅びの魔女であるディアは、再び300年の眠りについた。
僕は崩れ落ちる。
僕の力が消失し、結界が壊れる。
ディアを飲み込んだ虚無が、世界へと拡散していった。
わずかばかりの腐った肉をつけた、骨だらけの僕の体が地面に転がる。
僕の眼球は魔女の瘴気のせいで、とっくに溶けてなくなってしまっていた。
もう……何も見えない。
でも、きっと月の色はもう、血の色ではないだろう。
もう滅びの魔女は、あと300年は現れないのだから。
僕は消失した目の奥で、きっと真上にあるであろう白く輝く月を思い浮かべた。
そして、白く美しい彼女の顔を――。
ほとんど空洞になりかけている僕の中に残っているのは、久しぶりに聞いたディアの声――。
龍脈。つないで。均衡を。
龍脈をつなげば、人の負のエネルギーは淀まずに流れるようになるのだろうか。
もう誰かを犠牲にして、人間の邪悪な心の受け皿にしなくてもよくなる世界になってくれるのだろうか。
そうなれば、ディアは元に戻せるのだろうか。
ディア、僕の声……聞こえてるかな?
ディア……お願いだから、殺してなんて言わないでよ。君はまだ一人じゃないんだよ……?
1500年も経ってしまって、世界はすごく変わってしまったけれど、まだ僕がいるから。
だから僕をひとり残して、いなくなったりしないでよ。
お願いだから……僕を、君のいない世界に置き去りにしないで……。
ああ、眠い……。
僕は少し眠るね。
起きるころには、体がちゃんと元に戻っているといいな。
おやすみディア。また300年後に会おうね……。
次こそ必ず、君を――――。
きみと――。
この物語のラストは、ありません。
この二人がこれからどうなっていくのか……。
それを決めるのは、読んでくださったあなた次第。
お読みいただき、ありがとうございました。