グルムンドの壁。4/4
そしてイミトは、そんな急変した馬車内の環境の中から這い上がる。
掴んでいた扉の縁から身をよじ登らせて——
「よっと、デス・ゾーンの維持は疲れるな。今回は移動しながらで範囲が広かったし」
一仕事を終えた疲労感に首の骨を鳴らし、進行方向である崖の上を眺めながら馬車の外壁の上に垂直に立ち、這い出た扉を閉めて歩みを始めるイミト。
「ふん。そのような気を回さずとも姫らは、今と同じように快適な旅が出来ていたであろうに」
そこに居たのは彼を呼んだクレア。彼女もまた御者台の外壁に黒い髪で作ったのだろう台座の上に鎮座し、鎧兜を纏ってセティスとデュエラが魔物と戦う状況を静観していたのである。
「それで? 今回は、あの二人に任せるんじゃなかったのか?」
だがそれも、彼にとっては予定調和だったのだろう。クレアの鎮座する振る舞いと物言いに対して驚く事もなく傍らに立ち、何事もなかったかの如く同じ世界の色を眺めて。
「あの二人の力量は充分に分かった。ここで見てばかりなのも退屈なのでな」
「勝手なもんだ。疲れているだろうからとか、休ませてやろうとか気の利く事の一つでも言ってやりゃ良いのに」
どうやら戦いたかったらしい。心の疼きはクレアの欲求かとイミトは悟り、両手を腰に当てて息を吐く。
「貴様のような薄ら寒い振る舞いは性に合わんという事よ」
するとクレアはイミトの鎧の左腕に髪を絡ませながら、髪で作っていた台座をイミトの背丈まで伸ばして普段のデュラハンとしての位置である左腕の鎧の腕に中に入り、
「違いねぇな、自分でやってて鳥肌が立つくらいだ」
更に左腕の鎧の肩部から黒い魔力で鎧を作りイミトの体を覆っていくのである。
その不穏な魔力の放出を察してか、
「——あの大きいのは、クレア様が倒すので御座いますですか?」
「流石にアレは、迂回すべきだと思う」
あらかたの魔物を倒し終えたデュエラに続き、箒で空を飛んでいたセティスも馬車の外壁に集まり辺りの様子を伺い始めて。
そしてイミトは満を持して尋ねるに至る。
「で、何なんだアレは」
——進行方向、視線の先の岸壁に貼り付いて触手を蠢かせる巨大な植物の正体を。
「地獄門と呼ばれる植物の魔物だ。中毒性のある魔素を含んだ独特の薫りを放ち、周辺の魔物を呼び寄せて生態系を狂わせる」
「つまり、平原が割と平和だったのと、ここらに魔物が多いのはアレが原因な訳か」
延々と続く岸壁とは比べようも無いが、視界を大部分を塞ぐ植物は岸壁に沿うように太い幹を渦巻かせ、そこから伸びる枝葉だろう無数に蠢く触手の先には数多の魔物を捕らえて浸食し、養分を吸い取っているようで。
「あそこまで大きいと魔法大隊くらいの火力が無いと駆除は不可能な、はず」
魔物や、この世界の環境について少なくともイミトよりは博識のセティスにそう言わしめる程に禍々しく不吉と魔力を纏う姿は、まさに自然界の災害。
絶望という名の脅威という他はない
けれども彼女もまた、災害。
「……止めても無駄だろうから止めねぇけど、狂わされて俺の体で触手プレイなんて気持ちの悪い事にはなるなよ」
「これでも半分は魔物なんでね」
「ふん。一瞬で片が付く間に薫りなど嗅ぐ暇は無い」
諦め気味に無意味だと思いつつ鎧兜に包まれながら冷や汗を流したようなイミトの、せめてもの願いをクレアは邪悪に嗤う。
「セティスとデュエラは馬車の中に入っておれ。誤って切り刻んでしまうかもしれんからな」
背後に控える彼女らに見向きもせず、見据えるのは敵の姿。
戦場で生まれ、とてつもなく長い時を戦場で過ごしてきた修羅の狂命が、今まさにその本性を露にしようとしている。
「は、はいなのです‼」
「——了解」
それを察し、背後の二人は特に異を唱える事もなく彼女の指示に従って。
「ちょ、待ってくれ‼ 今は——きゃああああ——うっ‼」
「あああああ、ごめんなさいなのですカトレア様‼」
「……外に居ては駄目?」
「——悪いが、おふざけはまた後でな」
「……了解」
「ごめん。少し、どいてて」
「あ、皆様‼ セティス様も中に落ちてくるで御座います、です‼」
急いで扉の中に降り立ったデュエラが、ひと悶着を起こしセティスが躊躇ったが、イミトの初めて見せる笑みを浮かべながらに醸し出す剣呑な雰囲気に彼女もまた渋々と扉の中に居りていく。
そうして馬車の外に残る二人のデュラハン。
「——……いいぞ、クレア」
完全に鎧に覆われた肢体。片腕に持つ鎧兜。二人で一人の双頭のデュラハンは静かに闘志を滾らせる。
「言われずともよ。レザリクスの陰謀を暴こうという貴様の気概に敬意を込めて、特別に少し面白いものを魅せてやろう‼」
動かされる右腕——掌が仰ぐは、天と眼前の魔物——地獄門。
クレアとイミトは、猛烈な勢いで馬車を足場に空高く跳んだ。
——渦を巻き始める魔力の奔流が、まさしく開戦の狼煙であり、
「【千年負債……】」
「おいおい……マジかよ」
「【一借断絶‼】」
「うらぁぁぁぁぁぁあ‼」
そして終戦の狼煙でもある。背後で尚もひた走る首切れ馬の前に出でて、突き出したる巨大な剣はみるみるとその背丈を伸ばし——硬い岸壁を抉りながら魔物の巨躯を裂いていくのだ。
それは——デュラハンの力を用いてイミトが発想した技であり、クレアがそこから派生させた技である。
ひとしきり魔物の肢体を二つに断じ、岸壁に巨大な剣を残して裂いたイミトらは予定調和の如く追ってきた馬車の外壁に戻り、会話を始めた。
「……ふん、貴様に出来る事を我に出来ぬ道理なし。美しくないやり方ではあるがな」
「そりゃまた、随分とピカピカに磨かれた敬意な事で」
「だけどまだ触手、動いてるぞ。どうすんだ?」
しかしそれでもまだ、岸壁に貼り付く魔物は剥がれる事もなくそこに居て、イミトの言葉の通り、攻撃をしてきた馬車の方向へと本能的に無数の触手を伸ばし始めている。
「痴れ者が……これは馬車の道を拓いただけよ」
そしてクレアの言葉の通り、馬は岸壁を跳ね、クレアが岸壁に沿うように突き刺した巨大な片刃剣の背を足場に替えるのだ。
——戦いは、まだ終ってはいない。
しかし、
「亀のように首を引っ込めておれ。貴様の首が飛んでも知らぬぞ‼」
「【デス・ウィップ‼】」
「おお……鞭、か? おおっと‼」
「首を引っ込めておれと言っておる。貴様の首だけが我の感覚とずれておるのだから」
クレアが剣の代わりに創り出すスペードの形をした無数の刃の並ぶ鞭により、
「そういえば貴様——、カトレアに魔物の名を聞いておったな。アレには何の意味がある」
「……なんの意味もないと言いたいがな。状況が落ち着いたら話すよ」
「そうか。ならばよい‼」
かつてグリムンドという英雄が守り抜いたという岸壁は無惨にも、彼女の程よい気晴らしをする運動場へと成り果てたのであった。
——。