クレア・イミト・デュラニウス。4/4
それから、ひとしきり悪態と罵倒を吐き終えたイミトとクレア。全身の鎧を持ち上げる力も尽き果てた様子で地に伏しながらイミトは論争の結論を述べる。
「ったく……軽装で良いんだよ、軽装で」
「何が軽装よ……ふん、貴様のような露出狂にはもう何も与えん」
対してクレアは不貞腐れた様子で後頭部をイミトに向けている。ブツブツと不満を漏らしながら如何にも不機嫌そうだった。
「まぁ聞けよ、物々しい鎧姿でそこらの街に入って行ったら、目立つし警戒されちまうだろ?」
そんな拗ねた彼女を諭すべく、何とかといった具合で起き上がりイミトは座り込んで、フランクにクレアへ語り掛ける。
「……我はデュラハンよ。元から街など入れる訳が無い、人からどう見られようと関係あるまいて」
すると、未だ機嫌の直らぬクレアが頬を膨らませように言った。イミトは少しその子供っぽさが意外でキョトンと間を置いたが、そのことには突っ込まず胸に秘めて微笑んで。
「おいおい、デュラハンってのは、首と胴が繋がってない魔物なんだろ?」
それから呆気らかんとした尋ね口調。
「お前は俺を見てデュラハンに見えるか?」
「……貴様一人であれば、それは只の人間であろうよ」
イミトが何を言いたいのか、回りくどく言い回してくる言葉に興味を示しながらも素直に聞くことの出来ないクレアは好奇心と矜持の狭間で視線の綱引き。
やや好奇心が優勢なようである。
「じゃあ俺が兜を片手に抱えて、軽装で歩いていたらどう見える? 因みに中の見えない兜の中にデュラハンの頭が入っていたとして、だ」
「……」
そしてイミトに向き直る前に概ね理解したクレアは、考えを巡らすように黙す。確かにイミトの言う事にも一理ある。デュラハンとして戦場で生まれ、デュラハンとして戦場でしか人と相対する事の無かったクレアにとって、平常な人の街に踏み入ることなど考えもできない事だったのだろう。
首と胴が離れていてこそ、デュラハンである。そんなアイデンティティがイミトと繋がった事によって崩壊していることを今さらながらクレアは自覚したのだ。
「街に入れた方が情報収集も楽になるし、生活も楽になるだろう?」
「基本、働く気は無いが」
「ちょっと待て。今何と言った?」
ならば、今の自分はあまりにも中途半端な生き物では無いか。立ち位置の分からない妙な浮遊感にクレアは密やかに蝕まれていく。
「な? 軽装の方が良いだろ?」
しかし、イミトは笑った。イミトが笑った。或いは、まだ人間のつもりのように。
「……我はもう寝る。貴様も寝るが良い、明日は早いぞ」
そんな楽観的なイミトを目の当たりにしたクレアは、頭の後ろが痒くなる感覚と同時に考える事が馬鹿らしくなって。また不貞腐れたようにイミトへ後頭部を向ける。
「そだな、朝飯はまともなもの探そう。話はそれからだ」
「……」
すると、ひと段落着いたかとクレアの様子を見て安堵したイミトもガシャリと鎧を鳴らしクレアに背中を向けて体を横へ。
そしてそのまま瞼を閉じ、改めて始まってしまった人生について振り返り始める。
そんな折——ふとクレアの声がして
「所でイミト、貴様の利き腕はどちらよ」
「ん……? 右、だな」
「そうか……分かった」
喜べばいいのか、悲しめばいいのか、慌てればいいのか、そんな複雑な感情の最中に子守歌の如くどうでも良さそうな事を聞いてくるクレアに小さく微笑むイミト。
「さっさと眠れ」
「……ん。ああ、おやすみ。クレア」
そして、その言葉に久しい感覚に覚え、暫く感慨に耽りながらイミトは眠りについた。
——そしていよいよ、異世界での冒険が始まる。
——。
「よし、じゃあ行くか」
朝の息遣いが洞穴の奥にまで届いた頃、腰に両手をあてがい、意気揚々とイミトは宣言した。
「待て」
「ん? どうしたクレア」
しかし、背後ではそんなイミトをジトーっと見つめるクレアの顔があって。
「服の感想を言わんか貴様ぁぁぁぁあ‼」
「ぶへほ⁉」
開幕一番の強烈な髪の拳の一撃で吹き飛ばされるイミトにクレアは立腹していた。彼の要望を踏まえ、彼が眠りについた後で夜なべして作り上げた彼の新しい衣装に何の反応も無ければそれは怒りもするというものだろう。
「貴様の要望通り、せっかく軽装にしてやれば無視しおって‼」
「便りが無いのは元気な証だろ」
「何の話しておるボケナス‼」
イミトの新しい装束は、確かに軽装であった。右腕は肩を露出させながら最低限の布で覆い、胸部の鎧部分も重要な心臓部だけを守れる形。喉元を隠すようにある黒鉄、そのどれもが急所への攻撃を防ぐ最低限の武装である。
但し、
「いや、まぁ実際イイ感じだよ、この左腕でお前を抱えればいいんだよな」
左腕は彼女専用と言わんばかりに昨晩の鎧のままの姿であった事を除けばではあるが。
「……うむ。そこは譲れん。我は鎧に抱えられるのが一番落ち着くのだ」
そんな彼女の意図を汲み、イミトは改めて自身の装備を目視確認をする。何が彼を驚かせたかと言えば腰に付けられた小さなバックとブーツであった。バックは収納数こそ少ないかもしれないが最低限、旅に必要なものを小分けして整理できそうなポケットが幾つもあり、ブーツもサイズがあっていて絶妙な履き心地。
何より生地の肌触り、元々が髪の毛だと思えない程に好感触である。
「そうだ。お前、俺の体を操れたりするのか?」
買ったばかりの靴を履いて出かける在りし日の過去を思い出しながら。ふとイミトは思いつき、クレアに尋ねる。それに対しクレアは、
「ん、まぁ貴様が強く抵抗しなければある程度はな」
何処となく遠慮気味に答えた。
「なら、左腕は自分で操れよ。そっちの方が気も楽だろ」
「……言われるまでも無いわ」
やはりオカシな奴、クレアからすれば自分の体を他者に操られるなど気分の良くない事であろうに、と気遣っていた事柄を平気で口にするイミトに、意外というか異常なほどの寛容性をまた不覚にも感じてしまうクレア。彼女は、イミトを褒めるという行為にたいして感じる屈辱感を噛みしめる。
「じゃあ、改めて……行くか‼」
それでもそういう部分を無視するイミトは、改めて腰に手を当て宣った。
「「……」」
——が、まだ問題は残っていて。
「なぁ、その長い髪は何とかならないのか?」
「分かっておる……いいから早く我を持て」
洞穴中の地面を黒で覆うクレアの美しい髪の毛である。それでもクレアは簡単な解決策があるとイミトに自らの頭部を持つように唆して。
「あ、ああ……」
何をするのか分からないイミトは躊躇いながらも両手でクレアの頭部を持ちあげ、左の鎧腕で抱える。
すると——、
「はあああああ!」
「——お、おおおおおお⁉」
クレアの力を溜めるような声、そしてそれと共に洞穴で起こる異変にイミトから驚きの声が上がった。洞穴の地に堕ちていた髪が二人を中心に——、正確に言えばクレアを中心に渦を巻き始め、黒い煙へと変化し、壮観な光景をイミトの視界に刻んでいくのである。
——螺旋。黒い煙はクレアに収束し、渦を巻きながら彼女の黒髪の根元へと回帰し始め、みるみると二人を覆った暗雲を吸い込んで晴らす。見事に残されたのは彼女を封印していた白結晶の破片と、二人で一人のデュラハンのみ。
「ふふふ、この髪は我の魔力の結晶だからな、収納は自在よ。貴様の肉体にも魔力を少し分けておいた。感謝せよ」
その内の一人が仕事を終え、得意げに語る。洞穴の静寂は生命力に溢れた黒髪を失われた事でひと際、際立っていた。
「それにしてはお前、急に白髪が増えてるんだけど大丈夫か?」
けれど、イミトが最終的に気になったのは彼女の変化である。バッサリと短髪で前髪パッツンになったのは予想の範疇ではあったが、彼女の髪色が動物のシマウマのように白黒に染まっているのは想像だにしていなかったからである。
そして、
「これが我の本来の姿よ。貴様も髪が白くなっておる部分があるぞ」
「どれ、我の視界を共有させてやる」
クレアの言葉に嫌な予感を炸裂させたイミトを他所に、クレアはイミトの左腕を器用に操り自身の顔をイミトの面前に持ち上げる。
「うわ、マジだ……しかもなんで俺は横ジマなんだよ、設定が厨二くさいわー」
強制的な感覚の共有によって頭の中に浮かぶ映像には、色合いの変容した髪を頂くイミトの顔をリアルタイムで写し、イミトを変な気分にさせた。まるで鏡を見る様に自身の変化を確認するイミト。
「そのぐらい我慢せい。膨大な魔力を得たのだぞ? だいたい、その厨二とやらの何が悪いというのか」
「昨晩——貴様の記憶から調べたが、背伸びをした可愛げのある愉快な連中であろう」
「サラッと、人の記憶を調べたとかいうなよ」
そんなイミトの不満を諫めたクレアに対し、理不尽さを嘆いたイミトだったが言うだけ無駄かと諦めの溜息。
「ふん、では行くぞ。まずは食料などを探すのであろう?」
「第一目標だな、森を抜けて町か村でも見つけるのが第二目標」
「では——歩くが良い」
そして作りだした兜で顔を隠すクレア。いよいよ、ようやく、正真正銘の出発である。
「……はいはい。ていうかクレア」
「なんだ?」
「その兜は割と格好いいな」
「我は貴様と違ってセンスが良いからな」
テンポの悪いイミトとクレアの旅はこうして始まったのだった——。