アルキラルの祝福。1/4
死後の世界に沈んだと勘違いしているカトレアが精神世界にて、とある出会いを果たした頃合い。魔獣化カトレアと戦闘を続けるイミト達は、ある事に気付き始めていた。
「少し、動きが変わってきたな」
先んじてそれを言葉にしたのは首から上の傍観者、イミトであった。クレアとの戦闘の中で、直線的で走り回るばかりであった魔獣化カトレアの一攻一避の行動が、段々と氷による囮や体術の連撃を使うなど複雑化し始めている。
「うむ。恐らくだが、魔物がカトレアの記憶を喰らい始めたのだろう」
「技術を手に入れ始めたって事か」
未だ軽々と片手の大剣を少し動かすだけで捌ける程度の攻撃ではあったものの、獣らしい攻撃とは明確な変化があり、それについて一考を巡らす二人。
「もう少し楽しんだら終わらせるぞ、イミト。異論は無いな」
「——……ねぇよ。最初から、な」
或いは、カトレア自身が魔獣化に抗い始めたのかもしれない。クレアの通告に際し、露ほどの希望をとイミトは探ったようだったが、最早カトレアの顔は完全に兎に似た一角獣の物へと変り果ててしまっている事から反論できる余地は無い。
「ふふ。貴様の軽口が落ち込む声は耳障りが良いものだ」
鎧の名残はあるもののカトレアの肉体は白銀の体毛に覆われ、増々と赤光放つ瞳でイミトを嘲笑するクレアを威嚇して。
『死ネェェェェェえ!』
再びケダモノ如く襲い来る魔獣化カトレア。巨大な氷で形作られた鋭利な爪を自らの手に作り、胸襟を広げて交差させる引っ掻きの構え。
「こやつの腕が、もっと高値であれば尚良いのだが」
傍から見れば常軌を逸した脚力による速度で間合いを詰めてくる魔獣化カトレアではあったが、クレアはやはり不満げに、いとも容易く突進の脇腹をすり抜け——辿り着く魔獣化カトレアの背後。
彼女は無意味に剣を払う。すると——、一瞬で背後を取られた事に驚き、振り返る魔獣化カトレアを他所に、何故か砕ける氷の爪。
クレアは、魔獣化カトレアの脇を通り抜けると同時に剣技を用い氷の爪を砕いていたのである。
「む——?」
余裕有り余る様子で大剣を肩に担ぎ振り返るデュラハン。けれど振り返った先、氷の爪は砕けれど心折れぬ魔獣の荒々しく息を吐く姿。パキパキと音を鳴らす空中で次に形成されるのは歪な氷の剣であった。
そして、
「今度は剣の構え、か……ご立派なもんだ」
イミトが目の当たりにするは人間の振る舞い。片足を後ろに少し引き、腰を深く沈め両手で氷の剣の柄を握り如何にもな突進寸前の体勢。
「大丈夫か? 痛いのはヤダぜ」
「戯言を。獣が剣の真似事など児戯にも及ばんよ」
息を吐き、魔獣化カトレアが間合いを測るように静寂に心を浸した頃合い、それでも首から上の鎧兜を左腕へと傾けたイミトにクレアは呆れの吐息交じりに余裕を吐く。
『——フシャアアアアアア!』
意を決した様子の魔獣化カトレア、突進の勢いは変わらないが氷の剣を振り上げて猛進してくる様は、確かに洗練されているようではある。
しかし、
「ほら見ろ、先と大して変わらぬ。まるで低劣なオーガの棍棒のようではないか」
「……」
歴戦の猛者であるクレアからすれば児戯にも劣ると評せる域は出ず、初撃を軽々と受け止めて欠伸をするように猛烈な魔獣化カトレアの乱打を最小限の動きで防いでいく。
目の前で展開されるそんな攻防を眼で追いつつ、イミトはカトレアの、否——哀れなケダモノの表情を眺めていた。憎悪に塗れ、よだれに溢れ、無力を憂う。ほとほと見るに堪えない光景に、彼は一瞬——、瞼を閉じようとした。
——致命的な失態、生まれ掛けた隙を見逃されることは無い。
《《ケダモノ》》の勘か、《《カトレア》》の経験か——。
「——⁉」
瞬間的に乱打が収まり、魔獣化カトレアは僅かに身を引き、腰を低くする構え。
「ちっ——」
刺突——である。迫りくる氷の剣先に、咄嗟に刮目するイミト。不意を突かれて硬直した体ではあったが、寸前で首を曲げ、紙一重で躱す。しかし崩れた体勢——、すぐさま魔獣化カトレアからの追撃の予兆。クレアが体を操っていなければ、喉を貫かれていた事だろう。
ここで初めて回避の跳躍、デュラハンは後方に跳び退き、魔獣化カトレアと距離を取るに至る。
「ふう……おいおいクレア、今のは危なかったぞ。俺にも気を遣ってくれ」
「すまん、すまん。首から上があるのを失念しておった」
「いや、絶対わざとだろ」
焦りの吐息に、冷や汗を滲ませたようなイミトの声。対照的にクレアは白々しくイミトを嗤う。あからさまであった。
「あと数ミリ反応が遅れておったら我が避けさせておったわ。戦いの最中に気を緩ませる貴様が悪い」
「首への負担を考えておくれよ、ったく……にしても今の一撃」
イミトの怠慢を看破し、諫めるクレア。実際、油断したイミトには返す言葉も無かったが、悪態を吐きながら別に気にすべき案件をも口にする。
「ほう、そこまで分かるようになったか」
「ああ。戻りかけているのか喰い尽くされたのか、どう考えてもこれまでの動きじゃない」
格段に鋭さを増した魔獣化カトレアの渾身の一突きに、小さく笑うイミトの声。
「貴様が気付かねば次の一太刀で殺そうと思っておったが、もう暫し様子を見てやろう」
「は……お優しい事で」
当の本人を見ると、だらりと両手をぶら下げて俯き、静かに佇んでいる。
『守、ル……マモ……守る』
「可愛らしい寝顔と寝言だ。好きな子の名前かね、まもる君ってのは」
獣の呟き、意志の片鱗。カトレアの心中に何かの異変が起き始めている事は明白。氷の剣を持たない空いた片手で頭を押さえ、頭痛に苦しんでいるようだった。
『守ルぅぅ兎ぅぅぅぅぅ兎う!』
それでも未だ——魔獣。暴乱する心に身を委ねるが如く、今度は精密さなど無く剣を振り上げクレア達を追った。まるで、最後の悪あがきであるように。
「——おかしな名の男が居るものだ、な!」
しかしそんな無鉄砲な突撃に圧され、遅れを取るようなクレアではなく、彼女は至極冷静に剣撃を防ぎ、受け流し、片足を軸に回転しながら蹴り飛ばす。氷の剣が先に地に堕ち、次に荒れ果てた平原に転がるは魔獣化カトレア。
「きっと文化圏が違うのさ。なぁ、カトレ——あー……後の名前なんだったっけ?」
一方、大剣を肩に担がされクレアの感想に言葉を返すイミト。更に挑発めいた言動を続けようと言葉を選ぶが、その途中に己の無知忘却に気付きクレアへと問う始末。
「うむ。言われてみれば記憶にない。口走っておったような気もするが」
或いは、それ自体に挑発の意味合いを持たせたのだろう。クレアもイミト同様に声を傾げさせての一考。無論、真にカトレアの性名を彼女たちが記憶していなかったのは言うまでも無いのだが。
「おい貴様、こちらにばかり名乗らせておいて貴様自身が名乗らんとは今更だが無礼が過ぎようぞ、恥を知れ!」
肉体を魔力によって自己修復しながら起き上がりつつある魔獣とカトレアを大剣で指し、クレアが糾弾する。
「無茶いうなよ。もうただのケダモノなんだから、なぁカトレアなんとかさん」
『ハジ……ハジ……兎う!』
そしてイミトがそれに続くと、彼らの目論み通りなのか異変は起こる。強烈な頭痛を抱えたと思えば、魔獣化カトレアの顔の一部が氷へと変わり、否、氷へと戻り、
苦しみ始め、やがて砕ける。
『ぅ兎ぅぅぅぅ兎わあああああ——!』
と思えば錯乱に惑い、次々に魔獣化した肉体が白銀の体毛に覆われていた姿から氷の彫刻と化し砕け散っていく。
『アア! アアア! わ、ワダしハ、カト、カトレア・バ、バニ!』
まさに狂ったようだった。目当たりにするカトレア達の葛藤の狭間、イミトは昔、かつての異世界で見た舞台演劇を思い出す。大袈裟に悲劇を主張する白々しさ。
「……みっともないな。どうしようもなく」
呟く冷めた胸中。
「ふん。それが好みだと貴様は言うのだろう?」
「別に好きではねぇさ」
イミトの気を察し、クレアが囁けども冷ややかさは残る。
そんな折、
「カトレア、目を覚まして‼」
『——⁉』
「……嫌いじゃないだけで」
姫の声、願い。冷淡にイミトが見下げるカトレアの葛藤、悶絶する表情がそれに注意を奪われる。姫は、砕けた平原の地の端に居た。
傍らに二人の従者を連れて。
『ヒメ——……姫、ヒメェェェェェ‼』




