語り合わねば。3/3
「さてと、今日使う分と燻す分を分けるか」
心機一転、広々としたアウーリア五跡大平原の片隅にて魔力で作られた簡易な調理台に向かい合い、肩を回しながらイミトが呟いた。
「かなりの量、何の肉?」
調理台にせっせと馬の肉を運ぶデュエラを尻目にイミトへセティスが尋ねる。覆面を半分外し呼吸している為に独特の呼吸音は無く、彼女の声はハッキリと響いて。
「しーっ、なのですセティス様。その話は、今はダメなので御座います!」
「? ……分かった」
すると、それを聞いたデュエラが慌てて布に覆われた顔越しに口へ人差し指を立てて諫める。事の経緯が分からないものの、デュエラの様子と彼女が顔布の面を向けて確認した囲いのある方向を鑑みて、疑問をアッサリと引いたセティス。
無論、さして興味のない事案であった事もその理由であろうか。
「適当に話を始めるが、お前が戦った男な。お前はどう思った?」
そしてイミトも面倒な話から意識を逸らすべく、拙速に本題へと移り、セティスの注意を向ける問いを放った。
セティスが戦ったマリルデュアンジェ姫を狙ったとみられる敵騎士セグリス。まだまだイミト達は知る由も無い事だが、女神ルーゼンビュフォア曰くの本名——アーティ・ブランドについてである。
「——、アナタの推測通り、私の仇の可能性が高い。アレは私の事を知っていた。つまり術者の可能性も高い」
セティスは少し考え、言葉を整えて敵騎士が逃げる際に用いた、魔力感知を阻害する魔道具に感覚を乱される前の記憶を基に端的に答える。その間にイミトは、調理台に肉の塊の一つを運び、まな板の上に乗せていた。
そして片手を持ち上げ、慣れた様子で黒い包丁を作り出す。
「ん。俺もそう思う。俺の方は別に確証がある訳じゃないがな」
準備を整え終え、デュエラもまた全ての肉塊を調理台の端に運び終わると、イミトは小さな息を吐き、目の前の肉塊に包丁を入れながら再び話を再開する。
「デュエラが顔面を蹴ったんだが、明らかに人間じゃない様子だった。まるで魔物が化けていたみたいな、そんな感じだった。だろ、デュエラ?」
しかし、滑らかに切れ味鋭い刃を動かしながら語るイミトの言葉を他所に、セティスは奇妙な感情を味わっていた。
目を失い、魔力感知を駆使する事によって生きてきたセティスが感じている世界の景色で、《《それ》》はあまりに美しく動き、肉塊を通過し切断しているはずが、まるで絹糸を紡ぐように、楽器で旋律を奏でるように、煌びやかな光を放つ。
腕は勿論、足運びに至るまで体の一つ一つに込める力には一切の無駄がなく、的確かつ丁寧に切り裂かれていく肉は快楽に震えてさえ——いるようであった。
「ううー……今思い出してもアレは気持ち悪い感覚だったのですよ。グニョっとしてて、この骨の無い生肉と同じ感覚だったので御座います」
「あ、悪いデュエラ。クレアの方に待機しといてくれ。雲行きが怪しい」
「え、あ、はいなのですイミト様!」
デュエラが悪感情を思い出して震え、イミトがデュエラや他の事柄に気にせずに作業を続けていたならば、きっと魔力感知伝いに感じる世界に魅入り溺れてしまっていただろう。
「——……私は、アナタの考えが聞きたい、イミ……イミト」
ハッと我に返ったセティスは、覆面を深く被り心を誤魔化しながら息を吸い心を整えてから、イミトに問う。囲いの近くへと向かうデュエラに敢えて神経を尖らせながらの問いであった。
「そうだな。俺も考えてる途中で、これから話すのはあくまでも仮説なんだが」
そんな事は露とも知らず、肉を切り分ける作業を再開したイミト。眉根を寄せつつ、真剣な面持ちで言葉を紡ぎ始めながら傍らに置かれていた長方形の器に切った肉を並べていく。
「まず、あの術者は只の人間じゃない。クレアが言ってたが、たぶん只の魔物でも無い」
そして器の端まで肉が並ぶとその上に更なる器を作り、また肉を切り始めていって。
「だとしたら考えられるのは……俺やクレア、そしてさっきのカトレアと同じ」
ひと固まり斬り終えるとデュエラが運んでいた新たな肉塊に手を伸ばし作業を続ける。それの繰り返し、単純な作業のはずだった。
「——禁忌を犯した半人半魔。ということ?」
だが堪らずセティスは声にした。二つの意味で、である。
「ああ。多分だが、スライムとかの軟体生物と混ざってるんじゃないかね」
「居るんだろ? スライムの魔物。クレアもチーズの時にそんなこと言ってたから」
セティスの介入にイミトは頷き、作業の手を止める。
「……なるほど」
「多分だがクレアの体を利用する際に使われた実験体か、その後に残った技術を利用して作られた兵士とかだと思うんだが、まぁこれはあくまでも妄想に近い陰謀論だな」
そして彼は考え込んだセティスに目を配り、包丁を一旦置いて首に掛けていたタオルで汗を拭い、一息を吐く。
「後は、あの姫様の命を狙ってた所を見ると政治中枢で暗躍してるのは確定だな。レザリクス・バーディガルの部下ってのも、あながち間違いじゃないだろう」
「うん……それは私もそう思う。だから、あの人たちに付いて行けばまた出会える可能性もある。期待」
交わす会話の最中、チラリと見つめる先には囲いの内側でクレアの説明を聞くカトレア達。セティスもイミトの後を追い、覆面の前面をそこへと向ける。
カトレアの件で蔑ろにされてはいるが、マリルデュアンジェ姫の今後について当人たちを他所に考えを巡らしているようであった。
「この時点で、魔弾石一個くらいの価値は普通にあるとは思ってる」
そしてセティスはイミトへと覆面を向け直し、恨めしく言い放つ。未だ自身の所有物を勝手に使用不能の状態にされた事を根に持っているらしく、それでも無理に自分を納得させようとしている様子である。
「ああ……魔弾石っていうのかアレ。お前が魔石を加工して作ったのか?」
「ううん。師匠が作った物。でも良い。他にもあるし、別の魔石があればまた作れるから」
「そうか……」
それでイミトが悪びれる様子を崩すことは無かったものの、セティスに対する質問の答えを聞き再び包丁の取った手を僅かに揺らがせてしまって。
「なぁセティス。お前の師匠の話なんだが……悪かったな」
そして包丁の刃を肉塊に差し込みつつ、唐突に彼は淡白な謝意を示した。
「え……」
意外だったのだろうか。イミトが雰囲気に滲ませたそれが、或いは唐突な話の展開が。セティスが不意の事に思わず首を僅かに傾げる中、
「俺のテキトーな予測で混乱させちまって」
「多分、熱が出たのは魔力感知が狂っただけじゃなくて、そのせいもあっただろ」
イミトは尚も言葉を続けた。淡々と肉を切り分ける作業を続ける傍らで、その真剣な眼差しには誠実さも滲む。目の無いセティスには感知出来ないものではあったが。
「……良い。可能性があるのは、本当の事。師匠を埋葬した時、私は既に顔を奪われていて、師匠の知識で偽装されていたら見破れなかった状態だった」
それでも、セティスには伝わっていたのだ。体育座りでイミトの作業を観察しながら、彼女は俯く。魔力感知の世界で彼の感情を解体される肉が代弁しているようで。
「遠慮が無くて、しっかり筋立てているからこそ、アナタの推測は、考えるに値する価値がある」
イミトを気遣うため、無感情なセティスは自身の本心を心の扉から這い出させイミトへと伝えた。拙く、体を揺り籠の如く前後に揺らし、照れ隠すように。するとその瞬間、イミトの持つ包丁の刃がまな板を叩く小さな音が響く。
動きが止まるイミトの手。そしてイミトは考え込むのだ。
「……んー、褒められて嬉しい限りだが、ちょっと待ってくれ。もしかして、まだ師匠の事を疑ってるのか?」
そうして思考を整えた後、振り返るイミトは尋ねる。少しキョトンとした顔色。
「ん。私、何かオカシイ事、言った?」
首を傾げるセティスも、まだイミトの言葉の意図を理解できず僅かに呆けて。
「そうか。熱があるから、気付かないのも無理ないか」
「いや……俺の勘じゃ、お前の師匠が術者って仮説は既に否定されてるんだけど、お前がそういうなら、まだ可能性は残っているのか?」
そんな彼女を尻目に、イミトは推論を再編し直すようにブツブツと独り言の如く言葉を並べ、包丁を持たぬ左手を唇に当てて思考を巡らす佇まい。
「いったい、何を——」
見かねたセティスは話を中核へ急かそうとしたのだが——、
その時、
「ふざけるな! そんな話が信じられるものか‼」
囲いの方から飛ぶカトレアの怒号に遮られ、セティスは驚き、身を少し跳び上がらせてしまう。
「あー……やっぱり、ああなるか」
そしてイミトも囲いの方に振り返っての呆れ顔。それでもさしてセティス程に驚いていなかったのはカトレアの反応をあらかじめ想定していたからなのであろう。
「セティス、悪いが、この話は後だ。先に訊いといた方がいい事があるんで、な」
彼は心底申し訳なさそうに、何より面倒そうにセティスへと謝意を漏らす。
「カトレアの胸に埋め込んだ、あの魔弾石に眠っている魔物について何か知っていたら教えてくれ」
——そして尋ねた。包丁をまな板の上に置き、両手をタオルで拭きながらセティスに向き合って。誰もが、語り合わねばならなかった。来る戦いに備えるべく、語り合わねばならぬ事が未だ多く複雑に絡み合っている。
「——うん。アレは凶暴な兎の魔物を倒して手に入れた物、らしい」
「いや。兎なのは、もう知ってる。クレアから聞いた」
「……話すの、止めたい」
セティスの嫌悪感を受けながらもイミトは魔力で椅子を作り、知恵の輪を解くと決めた眼差しでセティスの覆面を見つめ椅子へと座る。小さな微笑みが、やはり悪辣であった。
——。




