カトレアの不安。1/3
「ふふ。剣ならばそこにあるぞ、カトレアとやら。気に入らぬなら掛かってくるが良い」
囲いの外にある凄惨な光景を前に怒りに震える女騎士カトレアへ、囲いの外にある小高い台座に座し、クレアの頭部はそう言った。
浮かべる笑みは黙々と姫の愛馬の解体を進めるイミトの狂気めいた行為に対するものか、単純にカトレアの動揺を愉しんでいるだけの愉悦か、或いはその両方。
「しかし忠告しておくが、こやつは料理というものに対して揺らがぬ信念を持っておる。邪魔をするならば助かるやも知れぬ命を捨てる覚悟はせよ」
口頭と視線で誘導した先には装飾豊かな銀の鞘に収まるカトレアの剣。意味深に告げる言葉の後に彼女はまた悪辣に笑い、瞼を閉じる。
「煽るなよ、クレア。ったく……面倒が増えた」
すると背後でユラリ立ち上がったイミトが吐息を吐くように言葉を紡いで。額の汗と血飛沫の後を拭う右手には赤の滴る黒き凶刃。
カトレアは、自らの脳に血が駆け上る感覚を味わう。
「……この外道どもが——‼」
クレアの忠告など何のその、自身の剣が眠る黒い囲いへ向かうべく体を動かしたカトレア。
けれど、先回り。囲いに立て掛けられていたカトレアの剣は蹴り倒され、素足に踏み付けられる。ヒラリ揺らめく顔布。
「——やめるのです、ます、カトレア様。イミト様は何も間違ってはおられないのですよ」
デュエラであった。メデューサの彼女は顔布越しにカトレアと対峙し睨み合う。そして悪ぶるばかりのクレア達の擁護を口ずさんで。それから何かを悟るべきと少し顔を別の場所へと向けた。セティスが眠っている方角である。
「それに病人は他にも居るので御座います……お静かに、なのですよ」
額に濡れた布を当てられ、顔こそ見えないが熱にうなされるセティス。彼女の看病をしていたデュエラは切なげに怒りを込み上がらせていたのだろう。
「お馬様は……シャノワールさんと言いましたか、あの子は、もう手遅れだったので御座いますよ」
真剣な声色でカトレア達にも気を遣いつつ、言葉を並べるデュエラ。カトレアはデュエラの言葉の奥にある圧と病に倒れているセティスへの配慮で気圧され、歯を噛み締める。
「……ふん。貴様らの乗っていた馬車は燃え、馬は足をやられておった」
続くのは、デュエラに免じて挑発を折ったクレアであった。彼女も渋々とイミトの判断を支持するに至るまでの根拠を述べ、過去を思い返すように下へと視線を動かした。
けれど——、
背後で泣き啜る姫を前に、騎士である彼女が引き下がれるはずも無い。
「だから何だと言うのだ! まだ助かる道もあったろう、そのような事をしていい理由にはならん!」
右手でクレアらの言い分を振り払い、改めて怒号を上げたカトレア。とても感情的で、理論も何も無い。そんな彼女をブザマだと思ったか、イミトも交えクレア達は冷たい目を向ける。彼らは、あくまでも冷徹であった。
「アホらしい……貴様、足を折られた馬を担ぎ、馬車馬の如く働くつもりであったか」
「それとも我らにそれを強いるつもりだったか?」
徒労の息を吐き、仕方なしといった風体で語るクレア。
「地図を確認したが、ここから近くの村まで普通に歩いて一日は掛かる。先に村へ向かい助けを求めた所で、お馬さんは魔物の餌になるのがオチだろ」
「それか——魔物に堕ちるかの二択よ」
理路整然とイミトも続き、カトレアを説得する言葉を積み重ねる。カトレアは言葉の重圧に気圧されつつあった。返す言葉を捻り出したいとまた噛みしめた歯が、如実にそれを語っているのだ。
そして——、
「……だからと言って、姫の目の前でなど許されるものでは——‼」
考えた挙句、彼女は逸らす。完全に否定出来ない現実から、言い訳がましく。
故に——なのかもしれない。
言い訳を言い放とうとした直後、ゾワリと肌に纏わり着く悪寒。
彼女は言葉を失った。
「許さなくていい。許されなくていい。恨め、永遠に」
「そうして生きれば、それでいい」
「——っ⁉」
とても静かに呟かれた言葉の後に開かれた双眸。クレアの背後、イミトの瞳の奥にある不気味な狂気に畏怖したのだ。人生を掛けて血だまりのドブ泥を歩き回り、振り払えなくなった悪臭にウンザリしきった瞳の色合いと不機嫌を爆発させたような魔力は、紛れも無い死の気配を予感させる。
覚悟の差を理解してしまった背筋の寒さに、カトレアが無意識に後方へとたじろいでしまう程に。
「この件についての話は終わりだ、カトレアとやら。右を見てみよ」
そうしてカトレアが首元に刃を突き付けられ冷や汗の吹き出す感覚に苛まれる中、片瞼を閉じていたクレアは助け舟を出すように言葉を放つ。
するとイミトの威圧は我に返った様子でその見えぬ姿を徐々《じょじょ》に減らし、また物言わず馬の解体作業へと戻っていく。
——安堵である。故に、カトレアはイミトへの警戒を滲ませつつ無意識にクレアの助け舟に乗り、視線を右に向けたのだろう。
しかし——
「我から見て、だ。馬鹿者」
無意識ゆえにカトレアはクレアの促した方とは違う方を向き、諫められる。
「あ、あれは——‼」
そして改めて首を振り向かせると、胸が張り裂けるような光景を目の当たりにするのだ。
「貴様らの同胞よ。従者を含め土に埋め、丁寧に弔っておる」
囲いの外、林道を背に盛り上げられた土に剣や木が突き建てられ、野の花や拾った小石で彩られた墓の群れ。それが姫を共に守っていたカトレアの仲間や姫の従者を祀ったものだと言う事はカトレアには直ぐに理解出来た。
だからこそ、彼女は崩れ落ちたように愕然と両膝を地面に落としたのだろう。
「——人間の死骸を食う程、飢えてないからな」
イミトの無感情な声がカトレアの耳の中で虚空に鼓膜を震わせる。
「そんな、馬鹿な……」
受け入れることなど、直ぐには出来ない。騎士の気持ちを察し、駆け寄ってきた姫に抱えられて尚、気持ちの整理が着かないカトレア。慟哭するような瞳孔をマリルデュアンジェ姫は共に悲しみに暮れる顔で見守って。
「まだ息が合った者も居たがな。どのみち手遅れであった。手当ては施したが治癒魔法を使える者がおらんかった故」
「何が……いったい何がどうなっていると言うのだ‼」
心臓を圧する感情を吐き出すカトレアにとって最早クレアの弁明など音でしかなく、彼女は理不尽な災厄に対し、拳と共に怒りを地に叩きつける始末。
——けれど、感情的なカトレアに共感を覚えるのはその場には姫だけなのである。
「そりゃ俺達も聞きたい事なんだが……うし、解体終了っと」
「デュエラ、肉の血を洗うの手伝ってくれ。量が量なんでな」
地を抉るほどに叩きつけられた拳が震える中、張り詰める空気の隙を突いて一仕事を終えたイミトが屈んでいた体を起こし、息を突く。
「は、はいなので御座います、です!」
そんな彼の頼みに慌てて振り返りデュエラも駆け出し、囲いを軽々と飛び越えていって。
「蓄えてた湧き水をこんなに早く使い果たすとは思わなかったが。仕方ない」
「ん、湖の水ではいかんのか。何の為にデュエラに汲みに行かせたのだ」
何より、魔力で片手に収まる大きさの黒い器を作り出して水を注ぐイミトが漏らした独り言に、クレアも堪らず興味を移すのだ。カトレアは、唖然とした。
「衛生管理だよ。水だって何の処理もしなかったら病気の素になる事がある。湖の水質はあんまり良く無さそうだったからな」
「ふむ。難儀なものよな」
そして器の水を飲み干した果てに軽く交わされる質疑応答。瞬間、カトレアの怒りは頂点に達した。
「何故だ……何故そんなに平静でいられる! 貴様らは一体、何者だ!」
「「……」」
叫ばれた人間の怒りの問いに、二人のデュラハン。クレアは背後のイミトに台座ごと振り返り、イミトはクレアの傍らに立って彼女を見下げ、互いに目を丸くし目を合わせ見つめ合う。
それから僅かに沈黙を置いてカトレアにそれぞれ振り向き、こう言った。
「「バケモノだろう、どう見ても」」
唖然とする他ない。血塗れで意味深く笑むイミトと、真剣味帯びる冷たい眼差しを持つ頭部だけのクレアが言い放った一言に、カトレアが期待する人間らしさなど何処にもなかったのだから。
「ぷくっ……お二方様、声がお揃いで御座いますよ」
「——……」
付け加えれば、彼らの重なった為に不思議な響きを持ってしまった一言で笑いを溢すデュエラもまた、そうであったのだ。
「ふふふ。まぁ少し落ち着けカトレアとやら。状況など幾らでも説明してやる、貴様が落ち着いて素直に話を聞くのであればな」
愕然とするカトレアの滑稽な表情から怒りがまた波打ち始める頃合い、その変化を観察し終えたクレアがそう弄ぶが如く語ると、
「姫様も、いつまでも泣いてないでそこに居る騎士様に微笑んでやれよ。せっかく命賭けで助けたのに、寂しくて切なすぎるだろ」
イミトはマリルデュアンジェ姫に嫌味たらしい笑顔を向けて、鼻でも笑って再び作業へと戻っていく。
二体の怪物を前に、か弱き人に何も成す術も無いように、
「……カ、カトレア」
「……姫」
彼女らは互いに身を寄せ合って。
それを尻目に空へ小さく笑んだイミトは颯爽と、こう呟くのだった。
「さて——また燻製と、それから何を作ろうかね」
——。




