姫の悲痛。4/4
——。
一方、その頃である。
「はぁ、はぁ……まさか邪魔が入るとは」
無事にイミト達一行から逃げおおせた男騎士は林の中の木に寄り掛かり息を吐いていた。デュエラに蹴られた頭は、未だに粘土の如く歪に潰れたまま。
「無様な姿、ですね。アーティー・ブランドさん」
そんな彼の前方、林の影から光を反射する眼鏡。聞こえたのは女神ルーゼンビュフォア・アルマーレンの声であった。
「——誰だ⁉ 追っ手か!」
「大丈夫ですよ。我々は味方です。彼らはアナタの本名を知りませんよ」
「うっ——いつの間に⁉」
そしてアーティーと呼ばれ振り返った男騎士の背後、彼に刃を突き付けるは先程の仮面の女。
「……」
「ふふふ。少し、お話をしましょう。ね、イミナさん」
「はい。ルーゼンビュフォア様」
仮面を外した笑顔の彼女こそ、かつての世界で今はデュラハンである彼と共に暮らしたことのある実妹、イミナなのであった。
ルーゼンビュフォアは、眼鏡を意味深に駆け直す仕草で得意げに世の運命を嗤っている。
——。
そんな暗躍を肌で感じつつ暫くの時が過ぎた後——居場所を林から広々とした平原に変えたイミト達。魔力で作られた黒い囲いの中で静かに眠るカトレアを前に、膝を抱えて蹲る姫を横目にイミトは溜息を吐く。
「まったく……いつまで泣いてるんだか」
「それは貴様が悪かろう。我の毛が逆立つ程の残虐ぶりよ」
囲いの外で慈悲も無く呆れ果てて頬の汗を拭うイミトに、傍らの黒い台座に乗せられたクレアが確信を持って、こちらも呆れ果てた様子で言葉を流した。
「イミト様ぁ! 水をイッパイ汲んできたので御座います、です!」
「近くに湖があって助かったな。一応、沸かしてから飲み水とかに利用するからそこに置いといてくれ。後はセティスの事を頼む」
「了解なのです、ます!」
そこに別行動をとっていた新たな顔布で顔を隠すデュエラが背に幾つかの容れ物を背負い、手を振りながら合流する。荷物を置き、一息ついた後で、にこやかにイミトに笑い掛けるデュエラだが、興味は囲いの中のカトレアから少し離れた場所で同じく眠る覆面を外しているセティスの姿。
それに気付いたイミトの指示で彼女はセティスの様子を伺うべく囲いを飛び越えて。
その僅かな地響きの所為だろうか。
「う……こ、こは……」
「カ、カトレア!」
微睡みに苛まれつつも目覚めるカトレア。真上に昇りきった陽の光の眩しさに目が眩み、片手で影を作る。姫が真っ先にその変化に気付き、蹲っていた体を解き放ちカトレアの下へと急ぐ声。
そんな姫の叫びを耳に、遅れてイミト達もそれを確認する。
「姫……? ——はっ! ご、ご無事で御座いますか!」
そしてカトレア、彼女は姫の涙に濡れた顔を見て完全に覚醒し——自らの記憶を脳裏に走らせ飛び起きるに至り、姫の肩を掴み様子を疑う。
「わ、私に大事は有りません。それよりもアナタは⁉」
我を忘れた様子で自らの安否を確認するそんなカトレアを温かい手に手を重ねる事で姫は落ち着かせ、今度は自分の番だと一部始終カトレアの変化を目の当たりにしていた姫が体に異常は無いかと少し焦り気味に問う。
その慌てぶりは、何故だか危機感の果てに居たような混迷のカトレアを圧倒するほどの迫力があって。
「わ、私は……——⁉ 傷が、治っている⁉」
そうしてようやく彼女は気付いたのだ。痛みは記憶の中にしか存在せず、驚きのあまり傷があった箇所に不注意に触れても違和感すらない。そんな奇跡の如き戦慄を覚えるカトレアの驚きに、ピクリと耳を反応させたのはクレアだった。
「それは違うな。治してはおらん、付与し変質させただけよ」
しかし、彼女の訂正はカトレアの耳をすり抜ける。言うまでも無い事だが
「……生首が喋って——それに……先の冒険者殿」
頭部だけの存在であるクレアを視界の収めるはカトレアにとって初めての事。それでもクレアの存在感に唖然としながらも、他の者たちのように驚きの声をさして強く放たなかったのは元来の性格の為でもあるだろうが、喋る生首の傍らに自分たちの窮地を救った冒険者の姿があったからである事も間違いではない。
けれど、
「悪いが、今はまだアンタの相手をしてる暇が無い。少し他と遊んでてくれ」
囲いの外で再び作業に勤しみ始めたイミトは言葉通り忙しかった。カトレアの様子を一瞥し、黒い囲いの向こうに隠れてしまって。
「イミト様、そろそろセティス様の額の布を変えた方がよろしいのでは?」
「ああ。好きにしてくれ」
デュエラが息荒く眠るセティスを気遣い、イミトの指示を伺うも上の空の返事が返ってくるばかり。セティスはアーティーとの戦闘後に倒れ、発熱に苛まれていたのである。
「取り替える度に取り替えておる気がするのだがな……」
魔力感知の乱調と精神的なものなのだろう。そう彼らは分析したが異常に過保護に接するデュエラに、病状が悪化するのではと危惧するクレアの溜息。
「いったい何が——」
状況はまるで呑み込めていなかった。カトレアは茫然と戸惑い、見ず知らずのイミト一行達の様子を眺めるばかりである。
そんな折、カトレアの怪我の無い様子に安堵したのかカトレアの肩へと抱き着く姫。
「か、カトレア……」
否、姫は震えていた。悪夢に苦しんだ夜を思い出したように。
「姫? どうされたのですか」
困惑したままのカトレアにはまだ分からない。彼女は様子のおかしい姫の肩を支え心配そうに尋ねる。
すると、姫は動揺に打ち震えた声で悲痛を訴えるのである。
「シャノワールが、わた、私は……とめ、止められなくて」
「シャノワール……シャノワールがどうしたのです⁉」
溢れる涙、鼻水を啜る姫。尋常ならざる事だと言うのは直ぐに分かり、脳裏の混迷を吹き飛ばすカトレア。
「ふはは。シャノワール。それが貴様の解体しておる馬の名らしいぞ、イミトよ」
そんな姫と忠実な騎士を前に、堪え切れなくなった様に笑い声を高らかに天に放つのはクレアだった。そしてその言葉にイミトも続く。
「……興味ないな。もう、肉だ」
その瞬間——カトレアは胸の中にゾワリと蠢くものを感じた。
「なっ——まさか⁉」
無意識に駆け出した体、再び泣き崩れる姫。
「な……なんという事を……」
囲いの外——カトレアは目撃する。自らの窮地を救った冒険者が血に染まる狂気の姿を——無残に解体されている途中の一頭の馬の姿を。
カトレアは、目撃したのである。
「それは——それはマリルデュアンジェ姫の愛馬なのだぞ‼」
「……何度も言わすなよ。これはもう、俺たちの食料だ」
「き、貴様ら……‼」
叫ばれた怒りに真剣な顔つきで言葉を返すイミトは実に冷淡。忠実なる騎士は守るべき姫の悲痛に胸の内を烈火の如く急速に燃え上がらせていく。
マリルデュアンジェ姫と女騎士カトレア。
こうして彼らは、神に導かれ彼女らに出会ったのだった。
——。




