銀髪の羅針。3/4
「じゃあ、そろそろ行くか。クレアは誰が持つ?」
「き、貴様! 我を荷物扱いするでないと言うておろう!」
そんなこんなと有りながらクレアを支える緩やかな傾斜面の鞄に近づき、イミトは彼の普段の装備品である鞄のベルト部分を自らの腰に装着する。
「……我はセティスに掛けられた魔法を解析せねばならん。故にセティス、貴様が我を抱えよ」
クレアは実に不服そうな面持ちのまま、そうして未だに少しづつ燻製肉を味わうセティスへ向け指示。そして彼女はその小さな身を長い白と黒の髪で覆い隠し、拗ねたように漆黒の鎧兜の姿に隠れさせてしまった。
「んみゅ。分かった」
「あ、両手を出すのですよ、セティス様。クレア様は鎧で抱えられなきゃ居心地が悪いのです」
頷くセティスもようやく食べ掛けの燻製肉を全て口の中に放り、覆面を被り直してクレアの下へと少し急ぐが、道中デュエラに制止され、経験者からの助言の如き言葉にその足を止めた。
「……ん。そうなの?」
自らの両手を見ると皮の手袋。しかし、一行の旅の格好を魔力感知で確認するとそういえば皆が鎧を纏っている。イミトは左腕全体に、そしてデュエラは両手首から先に鉄鋼のような気配。
「デュエラは準備万端だったみたいだな」
「あ……へへへ。そ、そちらの荷物はワタクシサマが持ちますねイミト様!」
二人の会話と佇まいを見てセティスは納得した。デュエラが恥ずかしそうに顔を染め、燻製肉の容れ物に手を伸ばす様を尻目に、イミトの魔力で物質を作る力を思い出すセティス。
「ああ、頼む。じゃ、今度こそ出発だ」
「あの……私にも鎧……」
「我が与えてやる。早う、こちらへ来るのだ、セティス」
「あ、うん。急ぐ」
イミトが鎧を作るものだと勘違いしたセティスではあったが直ぐにクレアに諫められ、彼らは、ようやく今日の旅を始めるのだった。
——そして、そんな頃合いの事、
彼らを監視する瞳も一息ついたように閉じられていたのである。
「……ミリス様、彼らはようやく出発するようです」
遥か遠くの山の高き大樹の上、空中に足裏を置く銀髪の執事は耳に片手を当て独り言を漏らすが如く静やけき声で現状を伝えていた。
彼女の名は、アルキラル。
少なからずイミト達と縁深い者であった。
「歩行速度から見て、アチラ側とのタイムラグが致命的になりますが、如何なさいますか」
暗躍の影は地に写らず、荒ぶる上空の風にあおられながらも平然と彼女は指示を乞う。
「——……はい。かしこまりました」
そして一考の間も無く与えられた指示を受け入れた様子の後、動き出した遥か遠くの彼らの動きを眼で追って。
「神の仰せのままに」
天使。アルキラルは、この世界を管理する女神ミリスの従順な下僕である。かつてイミト達が女神ミリスとの会合を果たした折りに出会った、天使なのだ。
暗躍する影は地に写らず、神々の企みは未だ見えぬままなのである。
——。
故に、か。
「嫌な感じだな……ったく」
歩き出した一行。先鋒を歩き森の茂みを両手で払い避けながらイミトが不機嫌な声を漏らしたのは、アルキラルがミリスらしき存在と会話を終えた直後の事である。
「? 何の事?」
「気にするでない。貴様らとは、次元の違う話よ」
セティスは感じていた。自らが抱える彼らの頭部も言葉とは裏腹、ピリピリと神経を逆撫でされている事を。しかし、周囲に何かの気配は感じ取れず、これまでの会話の中にそんな状況を生む心当たりも無い彼女は首を傾げる他、無いのである。
無論、前を征く男と抱える頭部が丁寧に説明してくれる気配も無かった。
しかし、である。
「……大丈夫なのですよ、セティス様。このまま無視で良いのですよね、お二方様」
そんなセティスの行き場の無い不安感を拭うために声を掛けたのはデュエラ。私では心許ないであろうがという自虐的な困り顔な微笑みを向けて。
「「……」」
沈黙の中、二人のデュラハンはそんなデュエラに対し、真剣に目線を動かす。意外だったのかもしれない、デュエラが二人の不機嫌の種である存在の気配を察知している事が。
そして——、
「それは——些か寂しくはありますね。デュエラ嬢」
前方にある大樹の裏から唐突に姿現したる執事服のアルキラル。彼女は銀髪をなびかせる無機質な表情でイミト達を見下げ、首周りのネクタイを締め直していた。
「——誰⁉ あっ!」
目を失い、魔力感知等の特殊な感覚だけで暮らしているセティスが驚いたのは無理も無いのだろう。声ばかりが響き、魔力は愚か、生きている気配がない。姿形は確かにあれど、アルキラルはそのような存在なのである。
「こ、こらセティス‼ しかと持たぬか貴様!」
突然の出来事に慌てふためいたセティス。彼女に抱えられていたクレアは自身をスベリ落とされそうになり連鎖的に焦燥し、声を荒げて。
「ご、ごめん……」
「——昨日の今日で何の用だ、てん……いや、アルキラル」
そんな彼女らを心配そうに少し眺めていたイミトだが、彼は気を抜かなかった。前方に佇む天使に、敢えてその言葉を避けて話を続ける。状況が異常なのは、セティスだけではなく彼らにとってもそうであったのだ。
「正しい言葉遣いです罪人様。昨夜から立場を弁えて頂いて感謝しています」
——天使アルキラルは世界の秩序を守る為に異世界から転生してしまったイミトを監視しているだけの存在。それが事前にクレアと共に出していた結論であったのだから。
故に彼らは昨夜から気を遣い、出来る限り異世界から来た人間である事をセティスに悟らせないようにしていたのだった。
「何の用だ、と我らは聞いて居るのだがな」
しかし、監視者の彼女が姿を現す。神ミリスの使徒・アルキラルに態勢を整えたクレアが改めて鎧兜の奧から鋭い眼光を送った。
神の気紛れか、或いは明確な意志か——品定めるように。
「……少々事態が変わりまして。我が主の細やかな願いを聞いて頂きたい」
すると、アルキラルは安直に一息を吐き、意を決した様子で言葉を放つ。
「セティス、我をイミトの左手へ」
「う、うん」
それを皮切りにクレアも動いた。厳密に言えばセティスに指示を出してイミトの下へと向かう。そしてイミトの体も変化を始めていて。
「鎧を作るなら兜も頼むぞ、クレア」
左腕の鎧を起点に構築されていく漆黒の鎧。デュラハンとしての完全な戦闘態勢である。
「敵対の意思は有りません。あくまでも交渉、それだけです」
それを観かね、右手を左胸に当て姿勢を正すアルキラルではあったのだが、
しかし、クレアは語るのだ。
「貴様らの意思など関係あろうか、大事なのは——」
「貴様らが我らの機嫌を損なう言動をするか否か、それだけよ」
完全に鎧に包まれたイミトの体で魔力により作り出された大剣を片手で軽々と振るい、威風堂々マントをはためかせながら、天使、或いは背後に存在するであろう神に対してそう宣うのだ。
「我らと言ってくれるかよ、有難いね」
そしてイミトも続く。鎧兜の中で、彼もまた不敵に笑っていた。




