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誰が為に振る舞うか。2/4


「捧げて参りました。次は何を手伝えばよろしいでしょうか罪人様」


 給仕を終えたアルキラルが厨房へ戻ると、タオルを頭に巻いた料理人のイミトは椅子から立ち上がり、昆布で出汁を取っていた寸胴鍋を見下ろしていた。


「ん……そこにある野菜とか、パッと洗っといてくれ」


気が付けば自身が揃えた食材が綺麗に仕分けされており、イミトが振り向かずともどの野菜を洗えばいいのか容易に察せられる状態である。



「……出汁は沸騰させたらいけないのでは?」


その手際の良さに感心しつつ粗を探そうとアルキラルが目を向けたのはイミトが作業を進める寸胴鍋。一転して沸々と湯気を放ち出していた鍋から薫りを出し始めた出汁も、彼女の気を引いた一因だったのだろう。



「昆布を浸しているときは雑味が出るからな、取り出したら少し沸騰させて調節する感覚かね」


「それは、鰹節というものですか」


料理の豆知識を披露しながらイミトが手に取っていた木の屑にも見えるそれを昆布を沈めていた寸胴鍋に入れ、湯に馴染ませる様子がアルキラルには不可解に見えて。


「ああ——昆布ベースの鰹節の出汁だ。そっちにあるのが鶏ガラスープ、こっちは簡単な粉末タイプの奴だけどな」


「……」


しかし直ぐ様と嗅覚に飛び込み始めた薫りに、思わず彼女は口元に手を当て納得し、自らに課せられた野菜を洗うという作業に取り掛かり始めた。


その背にスラリ、イミトが目を配った事に気付かずに——


そして、

「なぁ、一つ聞いて良いか?」


おもむろにそして初めて、自分からアルキラルへ話しかけるイミト。彼には、少し確かめたいことがあり、その機会をひそやかに伺っていたのだ。


それは途方も無く、荒唐無稽なものである。


「なんでしょうか。神の規約に反しない事ならばお答えしますが」


無論、未だアルキラルがそれを知る由も無く、彼女は蛇口から水を吐き出させつつ素知らぬ顔で聞き返す。或いは彼女は『神の規約』というものを口実に、始めから何一つ答えるつもりが無かったのかもしれない。


 けれど——、


「お前、デュエラの母親か?」 


その何の気なしに放たれる言葉の、余りある荒唐無稽さには冷静沈着な、さしものアルキラルも手を止めずには居られなかった。


「——もう一度、言っていただけますでしょうか」


そして彼女は立派な白ネギを片手に、冷静ではありながらも思わずそう訊き返す。


「いや、別に良い。そうだったらいいな、と……そう思っただけさ」

「……」


菜箸で湯に浸した鰹節を優しく掻き回すイミトは、そんなアルキラルの視線を肌で感じイタズラな笑みで微笑むばかり。彼自身の佇まいも、それが荒唐無稽な考えだと思っていると語る。


それでも——彼は尋ねた。


「俺だってハッピーエンドが好きなんだぜ? 天使に仏教を語るのははばかられるけどよ、生まれ変われたアイツの母親が未だにデュエラの事を想って、ミリスに救いを求めた」


「なんて。泣ける話を想像して、鼻歌歌うくらいの神経はあるさ」


とても楽しげに、何より羨ましげに首を傾げ、虚しくも飄々と、その理由を語る。


「まあ、それをハッピーなエンドと言うのかは人それぞれなんだろうけどな」


「……」


が、アルキラルには解らなかった。その意味が。


「——私は、生まれた瞬間から私で御座います。偉大なる神のしもべ……アルキラル。それ以外など存在しては居ません」


少しの沈黙の後、改めて野菜を流水にあてがうアルキラル。彼女は遠回しにイミトの問いに否定で答え、イミトの横目の視線を尻目に次の野菜、次の野菜と適度に水で磨いて。


「そうか。残念だな、どうやら蹴られ損だったみたいだ」


「次は野菜切るから、お前はそこの新しい鍋に油を入れてくれ」


黙々と厨房の二人。イミトは、ひとしきりアルキラルの様子を確かめた後で今度は儚げに笑んでヒタリ瞼を閉じた。そして寸胴鍋から役目を終えたらしい鰹節を取り出し、次の指示をアルキラルに与えた。


「……はい」

「鍋の半分くらいに入れ終わったら、そこのトレーに小麦粉を敷く感じで。水気を切っといた豆腐を揚げるから」


「それから茶碗蒸し用の湯飲みの用意を頼む」

「はい。了解いたしました」


にわかに騒がしくなる厨房。二人は、作業を踏まえつつ互いに互いを探る。イミトはアルキラルの心の動揺を、アルキラルは未だ自身の存在を疑う雰囲気を持つイミトに自分を決め付けられまいとして。


淡々と作業をする傍らで、実に密やかに心理戦が始まっているのである。



「少し急ぐぞ、そろそろアッチの七輪でマツタケが焼ける気がする」


「それが急ぐ理由になるので?」


「クレアが呼ぶんだよ。それが急ぐ理由だ」



しかし、イミトにはもう一つ、危惧している事柄があった。



——。


「アナタに一杯、私にイッパイ♪」


それは、とてつもなく上機嫌にますの中のコップに日本酒を溢れるほどに注ぐミリス、などでは決して無い。神であるミリスの煩悩におぼれる様をいぶかしげに眺めているクレア・デュラニウスこそがイミトが危惧している存在なのである。


「一緒に飲む相手が居ないのが寂しいところね」


「そうだ。デュエラちゃん、飲んでみる? まだ法の外に居るんだから歳も関係ないし」


楽観的な寂しさを声にしながら、わざとらしく思い付いたかのように両手を合わせてデュエラへ提案するミリス。


「え……あの……ワタクシサマは、その」


酒、というものに興味を持ちつつも酒に誘われたデュエラは戸惑った様子。モジモジとしながらクレアに助言を求めたいのか、彼女の顔色をチラチラと伺って。


すると、クレア・デュラニウスは深い溜息を一つ吐き、


「やめておけデュエラ。酒など人間の堕落の象徴よ」


かつて何かあったのかと思わせる態度で瞼を閉じ、酒という飲料を拒絶する言葉を呟いた。


「あら、酒の味を知っているみたいな言い様ね」


それに反応するミリス。テーブルに両肘を突き、手を組んで話に対して前のめり。


「……ふん。酒の味など神に頭を下げられようが覚える気は無いわ」


クレアはミリスの嫌味ったらしい問いに、明確には答えなかった。或いは、答えたくないと明確に示唆して。ミリスもまたそれを察してか、


「それは残念♪さぁてさて、そろそろ焼けてきたわねぇ、良き薫り、よきかほり」


それとも七輪の上でにわかに香り立ち始めるマツタケに惹かれてか、話を中断して焼き物の様子を伺う。その点については、クレアと意見が一致したようだ。


「それは一体どのようなキノコだ。貴様ら二人、イミトも御執心のようであるが」


箸でマツタケをいじり倒したい欲求とたわむれるミリスの有り様に、ようやく心に溜めていた質問を投げかけるクレア。すると、心ここにあらず——


「んー? ああ、そうね。あの罪人さんが居た世界で高級とされているキノコなのよ」


「強い香りが特徴でね。昔、彼の世界で食べた時に美味しかったから、あの森に持ち込んでみていたのよね。すっかり忘れていたのだけど」


注意散漫に質問をそぞろな回答で流し、マツタケの水分の浮いてきた表面を眺めるミリス。


「もういいかな……醤油を垂らして、と」


彼女はワクワクと肩を微笑ませつつ、テーブルに用意していた黒で満たされる醤油瓶を手に取った。そして七輪の上で傾け、舌なめずりしながら黒いしずくを垂らす。


「——⁉」


ジュワアっと炭火の温度で液体が蒸発する音響と共に巻き起こる香ばしい焦げた醤油の香り、それは直ぐにクレアにも届く。操れる白黒髪を波立たせる様は無意識で、まさに彼女が感じた衝撃を見事に表していた。


「醤油が焼ける香りも素敵♪」


しかし、やはり一方のミリスはそれどころでは無い様子で他の何にも気を留めず、小瓶をテーブルに戻すや次は取り皿と箸で完全に食に対して臨戦態勢の佇まい。


そして——、

「はい。クレアちゃん」


ささっと巧みに箸を用い、一切れの焼きマツタケを皿に乗せて物を分け合う慈愛の笑顔を以ってクレアの眼前に置くミリス。


一見、それは彼女の優しさのようであった。


「……貴様、何のつもりだ」


それでも、目の前で湯気立つ得も言われぬ薫りを放つマツタケを前に、クレアは訝しげに流し目でミリスを見上げた。


何故ならば、

「あら、そういえばクレアちゃんは食事をしないんだったわね」


「白々しい……」


神が知らぬはずも無い。クレアが酒の味を知らぬことさえ、彼女は知っていたのだから。


「じゃあ、これはデュエラちゃんに」


ひとしきりの嫌がらせを終え、自己満足に浸るミリスはつぎにデュエラへとテーブル伝いに焼きマツタケの乗った皿を流す。ハラハラしていたデュエラは、また慌てて戸惑ったのは言うまでも無い。


「え……あの、ワタクシサマは‼」


「よい。それは貴様の分よ、デュエラ。イミトもそのつもりで用意しておるのだろうて」


またもクレアに気を遣い、遠慮しようとしたデュエラを静やかなクレアはいさめる。イミトの思惑を示唆し、デュエラが断りづらい状況を作りながら。


そうして彼女が次に行った行動は、


「イミト‼ 貴様、一度ここへ戻れ‼」


イミトの予想通り、彼を呼ぶことであった。イミトの味覚を経由すれば食事をしないデュラハンもマツタケの味を味わうことが出来る。


「ふふ」


それを知るミリスが微笑み、察したデュエラが安堵するのを尻目にデュラハンが声高々に片割れの肉体を呼ぶと、厨房から聞こえてきた返答は——


「あと二十秒待てー‼」


コチラも声を大に、作業に追われながらも急ぎ放たれたような言葉。どうやら彼は炒め物をしており、手も目も離せない状態であるようだった。


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