それを彼は忌々しく——。4/4
けれど、小さくなった種火だとしても燃料を効果的に投下して行けば、それは如何様にでも火になろう。
めげずにイミトは会話を続けた。
「気に入るかは分からないが、それなりには持って来てるぞ。記憶を見えないようにされてるらしいが、俺が口で話す分には問題ないだろ」
「ほう……聞かせてみよ」
倦怠期の夫婦と言えば殺されかねない針のむしろな雰囲気を醸し出し、イミトの話に耳を傾ける黒兜の纏うクレア。
何を何からどう話すべきかと考えを巡らせつつ、イミトは馬車の座席の縁に腕を乗せて窓の外の遠くに見える巨大な積乱雲に視線を流し、彼女が一番に食いつきそうな新情報を並べる事に決めた。
「口にするのも恥ずかしい設定だけどルーゼンビフォアが地上に落とされたおかげで、神様の席が一つ空いたままになってるらしい……この世界を舞台に神になる為の戦いが始まるみたいだ」
「多分だがルーゼンビフォアを入れて五人。こことは別の世界の四人の神が選んだ天使が神候補だ」
それは、神ミリスがイミトとの会話の中——言葉の端々で与え匂わせた、これからの啓示を情報として整理したものである。
「……くだらぬ話だな。我らと何の関係があろうか」
「神になる条件は、多分だがルーゼンビフォアが没収されている神の力の争奪戦だ。それはリストにある魔物が死ぬ事で手に入る」
「——……なるほど。我ら——いや、我の命の奪い合いか」
食指をそそられながら未だ不機嫌に素っ気なく振る舞うクレア。しかしながらイミトの話に兜の前面を僅かに動かし、本格的に話の深層へと耳を寄せて。
「そういう事になるだろうな、有難い事に神様たちの宴の余興に誘われちまってるって訳だ。クソみたいなパワハラさ」
「ふん……その者らが我を愉しまさせるようなら文句も無い。此度のルーゼンビフォアは期待外れであったからな」
「アレもアレで負けず嫌いそうだから次は頑張ってくるだろ。もしかしたら他の神候補と手を組んで来る可能性もあるし、乞うご期待だよ」
馬車内で緊張と疲れた体を解きほぐし、気怠く鳴らす首の骨。未だ疼く存在しないはずの首の傷を撫でながら、腹の底に溜まりに溜まっていた溜息も吐き出す。
「……うむ。まぁ良かろう、他に言っておく事はあるか」
そんなイミトを横目に、クレアは様々な事柄に想いを馳せつつも話を進め、他に特筆すべき報告は無いかと尋ねた。そして空を駆ける馬車内の僅かな揺れで崩れた頭部の位置を鎧兜の隙間から髪を繰り出し操って、イミトが座す方角に顔を向けながら心地いい位置へと整える。
「次の目的地はジャダの滝だ。ふわぁ……俺が寝てる間にデュエラを説得しておいてくれると助かるんだけどな」
その仕草に微笑みつつ、言葉の間合いや話の流れから、こちらの疲労にや小なりとも気を配っているとイミトは察し、殊更に気怠さを強調して欠伸を一つ、押し出して。
「バジリスクの【マザー】の討伐も神の力とやらを取り戻す為の条件という訳だな? 貴様もしや、それらを横取りするつもりか」
「いや……それにはあんまり興味は無いが、そっちはレザリクス・バーティガルからのお誘いなんでね。デュエラと会った日に倒して本日、大活躍をした魔通石に加工したバジリスクが居たろ?」
「うむ……そのバジリスクとレザリクスに何か繋がりでもあるのか?」
実際、彼は今——とても眠かった。欠伸の際に目尻から零れた眠気涙を指で拭い、頬を軽く叩き、襲い来る眠気を押してクレアの邪推に丁寧に答えを返していく。
「あれの弔い合戦か何か知らないが、バジリスクが暴れてるらしい。お前をジャダの滝の近くに封印したのはレザリクスだからな、俺達が原因だとレザリクスが勘付いている事に違和感は無いだろ」
「俺達の動きを予測しやすくする為に餌を撒いてきやがったのさ」
「もしかしたら——バジリスク討伐にツアレストは鎧聖女を投入してるかもしれないってな」
「——メイティクス・バーティガルか。我の身体を利用し、生き永らえておる娘の存在をちらつかせたと」
それでも尚——回転する脳が導き出す未来予想図は理路整然と枠組みを作られ、邪な思惑や企みと悪夢に彩られて、一見すると確実に来る未来だと予感させるものではあった。
「悪いが、怪しまれかねないから情報の裏付けは出来なかった。が、無い話じゃない。なんたって、クレア・デュラニウスの本当の身体と力を持った女だからな。ここまで誰も討伐出来ていないバジリスクの軍勢を抑える切り札として扱うのも自然な流れだ」
しかしそれは、あくまでも淀み湧き上がる眠気に身を浸し、ウトウトと描いた絵でしかなく。
「確かに……しかし、娘の為に戦を起こそうというレザリクスが我らの行動を縛る為とはいえ、そのように早々に娘の居場所を吐くか? そこにメイティクスは居らんと考えるべきであろう」
「……まぁな。うん」
当然と、理論の破綻を招く綻びを見つけるに容易い。
その時まではクレアも、イミトが疲労の只中で思考を正常に回せていない物だと思っていた。
「? 珍しく歯切れが悪いな、何か思う所があるのか」
しかしながら理屈に反論した際のイミトが唐突にパチクリと目を覚まし、目を泳がせて言い淀んだ仕草言動に生じる違和感。
鎧兜越しに突き刺さる視線が鋭くなるのを感じたイミトであった。
「あーいや、その思う所を言っちまうと面倒な事になるんだよ、多分」
それは複数の意味合いで自らが犯した失態。無意識に脳が停止していた時間に起きた事故に、イミトはバツが悪そうに言うか言わざるかを悩み、頭を掻いて諦めを吐露する。
すると、
「——……あの腹立たしい神に何ぞ言われておるようだな、まったく」
「おおかた、貴様が神の所から持ってきた食材や調味料の代金代わりにバジリスクを狩って来いと言われたといった所であろう」
「ははは……正解」
イミトという男を取り巻く周囲の環境と人間関係やイミト自身の性格を加味し、それは容易くクレアに見透かされて。もはや逃げようもなくなった彼は自身のオイタを誤魔化すように嗤い、その後、クレアへ首を差し出すが如く反省の色合いで頭を項垂れさせたのであった。
だが——、
「愚か者が……まぁよい、貴様の話は分かった。今後については、また状況が落ち着いてから話す事とする。デュエラにも伝えておく、もう貴様は休んでおけ」
返ってきた反応はイミトにとっては意外過ぎる反応で。呆れ果てて物も言えぬと見下げられる事は想定内、しかし普段の彼女であればそれでは留まらず、髪を操って創り出す拳で殴っていた事だろう。イミトは、そう思っている。
「なんだ、随分と穏やかだな……機嫌が悪いって聞いてたから拳の一つでも覚悟してたけど」
故に今日初めて目の前で起きた想定していなかった出来事に呆気に取られ、イミトはクレアの鎧兜を茫然と眺めた。
むしろ懐疑的にクレアの身体や体調を心配する程に素朴な声で、彼は彼が呆けた理由を無意識に漏らす程に驚いている様子。
「呆れてそのような気力も湧かんだけよ、さっさと寝ておれ」
だが、心配しているのはクレアも同じなのだ。決して言葉にする事は無い彼女の、彼女らしい武骨な優しさが鎧兜越しに想像できて。
「——じゃあ、そうさせてもらうわ。その前に腹が減ったから保存食でも摘まんでくるかな」
思わず少し持ち上がる口角、その顔は見られたくないなとイミトは直感する。直感して馬車の座席から膝を支えに両腕で「よっこらせ」と立ち上がり、旅の道具やイミトの趣味である料理をする為の食材などが保管されている馬車二階へと通じる梯子へと向かった。
その時だ——、デュエラと同じくクレアも思い出す。
「む。そうか」
そして、その短文を放った声にも違和感がある事をイミトは感じ取って。
「……まさか、マジで道具とか残してた食料とかルーゼンビフォアとのアレで熱くなりすぎて全部ダメにしちまったんじゃないよな」
何となく、おおよそ、地下水道で再会した際のクレアやデュエラとの会話から——たった今しがたのデュエラの沈んだ面持ちから、何となく、おおよその察しが付いていたイミトである。
「——やはり気付いておったか。我らの魔力で包んでおった食料やらは無事よ。とはいえ、中がどうなっておるかは確認しておらぬ。まぁ見るが早かろう」
「嫌な予感しかしないんだが。涙腺にガムテープでも貼っておきたいね」
故にか否か——デュエラが杞憂していたようなイミトの怒りや発狂は無く、仕方ないかと諦め速い溜息が肩ごとフゥと零れるばかり。
「デュエラが気にしておる。後で声を掛けてやるが良い」
「んー。もう少し焦らすのも面白そうだし……まぁ、まだ気付かない振りでもしとくかな」
「全てを見透かしておるような顔をしおって。腹の立つ餓鬼よ」
「ふっ……格好いいだろ?」
——ガタガタと空気に回る馬車の車輪。
それはまるで、戦火に塗れず地下も崩れずに居る城塞都市に平和の到来を報せる調のよう。
「ほざけ。我の顔をそのアホ面で見るでないわ馬鹿者が」
「いや……ジャダの滝に行くのを拒否してミリスと戦うとか言い出すと思っていたから少し意外でな」
「ん……ほう、それは少し面白そうな提案ではあるな。考えもせんかった」
すべからく悪しきものを浚うように首無しの凶兆が、同じく首の無い馬の嘶きと共に街を去っていく。その者らと従者たちのそれぞれの表情に浮かぶは、如何なるものか。
——ただ、只一人。或いは二人。
「提案では無いぞ。俺は基本的に戦わなくてもいいなら戦いたくねぇんだよ」
「腑抜けめ。なれば少し、今回の褒美に言葉を貴様にくれてやる。やる気も出ようぞ」
「あ?」
巻き起こらんとしていた戦の熱き篝火を——、
暴風にて荒々しく吹き消した救国の魔人は——、
「我が今——デュラハンとして戦いたい者は貴様のみぞ、イミト・デュラニウス」
「貴様を見ておると、権謀術数に長け——我の力も相まってロクでも無い程に強くなった貴様の、型に嵌らぬ戦いには興味が尽きぬ」
——身に着けていた鎧や武器や兜を今は脱ぎ捨て——
「……」
「貴様の戦場における有り余る才を引き出し、完全に体を取り戻した我が貴様と戦えばどうなるかが見たいものだ」
「……は、愛の告白にしちゃヤンデレが過ぎるな」
——ただ嗤い、ただ嗤い合う。
「けど、お褒めに預かって光栄な事だけど俺に期待に沿えるような才能なんてもんはねぇよクレア様」
「他人が信用できなくて他人を疑って、猜疑心に苦しんで、自分が痛い目を見なくて済むように必死で考えて、臆病に震えながら辺りを見渡して、間違い探しを繰り返す」
「不安な心を、恐怖に怯えちまう心を安心させる為に、分からない事を無視して共感を拒んだり、他人を決め付けたり、他人の事を自分が理解出来てると思い込ませながら、自分に都合の悪い論理を踏みにじってるだけ」
「これは、才能とか実力とか秘められた力とか——そんな崇高な物じゃない」
「ただ……俺の幸せを奪う呪いの類なんだよ」
——しかし、それを彼は忌々しく呪いが為させた業だと語る。
自分は何も救わずに、ただ己の身を守り、欲望を果たす為に壊しただけなのだと。
——己すらを蝕む穢れなのだと。
「……それで生き永らえた者もおる。貴様は貴様が思う程に、下卑た男ではないよイミト。我の前では、くだらぬ見栄を張らず、貴様が思う功績を——その手にした栄誉を誇るが良い」
「この我に褒めて欲しいのだろう? イミト・デュラニウス」
それでも彼女らは、彼が救ったものを知っている。
業を喰らい、その身を壊しながらも喰らい尽くした事を知っている。
だから彼女らは笑うのだ。
「かっ——口の減らない高飛車な女だな」
「クレア様‼ 結界が近づいてきたのですよ、お願いしますなのです‼」
「ふん、仕方あるまい……イミト、早う我を運ばぬか」
「あ? でも今、鎧の腕を着けてないし作れないぞ?」
「——そのままで良い。早くせよ」
「……はいよ、了解。仰せのままに、と」
優しさを名乗る格好悪さを知ったかぶる、格好つけたがりの男の滑稽な言い訳を彼女らは微笑ましく笑うのだ。
断頭台のデュラハン~救国の魔人と和平の調~
第一部『和平調印』
完。




