無自覚の犠牲。1/4
闇の中から生まれ出が如く——眠るように失われていた意識が蘇り、ゆるりと開いた双眸にまず初めに映ったのは、縦横の格子柄が仕掛けられた見知らぬ天井。僅かなシミも汚れも無く、手入れが行き届いている。
「イミト。目が覚めた」
小さな魔石越しに、握られた左掌。その繋がる手の先に視線を流せば無感情な顔色で、ジッと顔を見つめてくるセティスが居て。
「ああ……ここが地獄じゃなければな。すげぇ体が怠いわ……魔力を使い過ぎも使い過ぎて」
空っぽの右掌で頭痛を抱えた様子の顔を覆い、目が覚めた事を言葉にしたイミトは贅沢な羽毛布団の残虐な心地から背中を離して起き上がり、腰に殊更に罪の心地を感じさせる。
「——完全に飢餓状態を超えた危険な状態だった。直ぐに私の所に連れて来られなければ、消滅も有り得た」
するとセティスは安心したような小さな息を払い、魔石を握らせていた手を解いて、さしものイミトも知らぬだろう己が寝ていた時の流れの中で起きていた危機を端的に説明し始める。
よくよく周囲の景色を見渡して確認していけば、見覚えのある室内。昨晩に夜を明かした十二の城が塞ぐ都市、城塞都市ミュールズの中央に存在する中央議会城の一室。
「サムウェルに感謝しなきゃな……クソッタレな騎士団の医者に半魔だってバレたんじゃねぇか?」
概ねの状況を朧げな気怠い寝起きに襲われながら、尚も頭を抱えつつ、思考が回り始めさせて杞憂を並べ始めるイミト。ツアレスト王国の国教でもあるリオネス聖教の教えに置いて禁忌とされる人間と魔物の結合——隠してはいても医者の目から見れば、イミトの身体がどのような状態か明るみになると察しが付くのは容易で。
無論、それを考えるのはセティスも同じ。
「……昔、魔物に呪われたのが原因の特異体質だって誤魔化しておいた。私たちの旅の目的が、その魔物を探す為とも嘘を吐いて」
「なるほど。そいつぁ、気が利くね」
淡々と悪びれる様子もなく衣服の乱れを整えながら、ここまでに起きたのであろうイザコザを匂わして、補足していく。
そして彼女はベット脇に置いてあった水差しの下へ立ち上がり、透明の硝子のコップに中身の水を注ぎイミトへと手渡しながら話を続けた。
「イミトが地下の崩壊を塞いだのも功を奏した。敵意が無い事はサムウェルと、アルバラン側の王子が弁護してくれて、今は軟禁みたいな状況」
「和平調印式は?」
「つつがなく終わった。今は城の外も中も宴会の大騒ぎ中」
寝起きで渇いた口を湿らす分だけ軽く飲み、イミトはジッとコップの水面を眺める。思い出すのは神との会合で飲んだ澄んだ水、同じく水は澄んでは居ても清浄さは比べようもなく。
確かに感じる現実感に、気怠さは増して。
「……そうか。めでたいこった……な——ちっ」
けれど彼は気怠さに耐えつつ、立ち上がらなければならない。
セティスが佇む方向とは反対の方角へ向けてベッドから這い出て、立ち眩みを覚えながらも彼は力が露骨に抜けていると思える両足を咄嗟に踏ん張り、堪える。
「まだ動かない方が良い。この結界の中で魔力の流出は抑えられているけど魔力神経がズタズタになってる、飢餓は越えても欠乏した状態は暫く続くと思うから」
その症状は想定内と、セティスは無感情は眼差しで彼女なりの起伏の無い心配の声色でイミトを観察する。それでも彼女はベッド沿いに回り動いて、イミトをベッドに戻そうとした。
「いや……そうも言ってられないだろ。早く逃げるぞ」
だが、イミトには明確な理由があった。体の不調を押してでも、ベッドで寝たままでは居られない理由が。
「逃げる? 今はアルバランの王子も味方に付いてる。半人半魔とバレていても、そう易々とはツアレストも目立つ動きは出来ないと思うけど」
現状に不信を抱かないセティスは、悪夢でも見た寝起き早々にイミトが寝惚けているのかとすら思っていた。
しかし——イミトは、寝ているのはお前だと言わんばかりにツンと質問で返す。
「——アディ・クライドはレザリクスを救出したか?」
傍らに置いてあった上着を羽織り、凝っている首の骨を鳴らしてベッドに座り込む。
その問いが意味する事の厄介さを匂わして——重々しく。
「? 確かに、レザリクス・バーティガルは近くの教会で捕まったフリをしていたみたい。それが何? ただの無関係を装うアリバイ作りじゃないの?」
「違うな。問題なのは、いつからレザリクスが捕まってたかってのが重要になってくる」
「外から見た俺とレザリクスの関係は、間にクレアの存在があっての関係だ」
首を傾げ、眉を僅かにひそめるセティスを他所に、教鞭を振るい始めるイミト。手には持っていないが、彼の眼は盤面を眺め、己の駒が動くべき最善手を考察しているようでもある。
「正体を隠していた俺が、昨日の夜にレザリクスと話したのはクレア・デュラニウスとの縁があっての知り合いだったからって建前なのさ」
「……もし、昨日の夜の——その前からレザリクスが捕まっていて、イミトと話していたのがスライムの半人半魔だったらって話?」
そんなイミトが語る言葉を、冷静に整理しつつ——セティスも考え始める。
イミトが危惧している事態、その穏やかな教え説く言葉の一つ一つが人々の深淵を暴く道の霞を晴らしていくような不穏な感覚に襲われて。
頬に流れる、冷や汗一筋。
「ああ……ロクでもねぇ事に、スライムだった場合——俺がクレアと関係があるなんて事はスライムには知る由もない事だ」
「じゃあ、なんで俺と歴戦の英雄レザリクス・バーティガルに化けたスライムは、昨日の夜、俺と会って話をしていた?」
「……」
そうして繋がっていく点と点。その暴かれて実体を形作っていく気さえした陰謀策手、本当に敵が企んでいそうな予測。思考の片隅にも無かった閃きに、セティスの肌は無意識に悪寒を感じて戦慄を覚える。
「ツアレストやアルバランが、どう考えて動くかは分からないが、最悪——ツアレストに入り込む為にスライムと示し合わせた狂言だと追及される可能性もある」
「……飛躍し過ぎな気もするけど、レザリクスはそこまで考えてイミトと話をした?」
——或いは、それは狂気の沙汰。
考え過ぎの被害妄想にも思える世迷言。けれど、今日のここまで——イミトという悪辣な魔人が語る言葉に間違いは無かった。
深読みだと思う楽観視と、イミトに対する信頼が葛藤し、思わずセティスは戸惑い、イミトから視線を逸らして未だ悪寒が走り続ける腕の肌を擦った。
しかし、悪質な陰謀論を跳ね返す程の根拠や論理をセティスは持たない。
「レザリクスがそれを考えてる可能性は高いな。被害者って奴には、いつの時代——どこの世界でも優しい眼差しが降り注ぐもんさ。甘ったるくて病み付きだ」
「確かに——その可能性は否定できないかもしれない。私は、レザリクスの救助には立ち会って居ないから」
やがてイミトへの同調、周囲への疑心を強めたセティスは、未だ納得できかねる様子を滲ませつつ遠く窓の外を眺めるに至る。
その時——イミトの予測を裏付けるように——
『イミト様の言う通りかも知れません』
彼女が現れた。




