平和の柱。4/4
そのような心理戦の只中、いや或いは神との共闘。
「ふふっ——その鰤の煮付けも美味しいわよ」
「これでも和食の修行してたんだ、みりゃ分かるさ」
二人は妖しく笑って、それぞれの飲み物を飲む動作を捗らせる。平穏を装いつつ、滑稽な道化に化けて作り上げるサーカスの調。開演間近の演目に、彩り添える下準備。
「因みに、ギリギリで鰤って所だな。こいつぁ出世魚だから」
「——魚なら私の世界の魚も負けていないわよ。アナタがどう料理をするか楽しみな所だわ」
箸で摘まみ上げる照り焼き鰤の白身。美しく仕立て上げられた静やかな熱量、美食の誘惑を感じさせて。その味を嗜みながら、ミリスが放つ愛情が生む負けん気をイミトは笑う。
「空魚に砂魚……海にも知らん魚が居るんだろうな。期待に胸が躍ってるよ」
そしてその自身の性分をも嗤いながらの悪辣な表情に、燦爛と煌く未知なる世界に対する好奇心。
他人の見聞にて垣間見た自分が知らぬの食材に興味をそそられ、想像を巡らせる。
「そういや、普通に神様のアンタが魚やら肉やら食べてるけど、人間を食う神様とかも居たりするのか?」
しかし、ふと思い至った食に関連する素朴な疑問。鰤の照り焼きを肴に酒を舐めるミリスを始めとした神々の食生活についての話。
するとミリスは少し考えた。
或いは、答えるべきか躊躇ったのかもしれない。
「……普通に好んで食べる神も居るわね。あ、私は食べないわよ? 安心して」
「ああ……いや、別に摂理として文句もねぇよ。俺はな」
優しく諭すような表情で、素知らぬ顔の表情で、俯き気味に水を啜るイミトへ小首を傾げて僅かばかり、苦い顔で冗談めいて答えを放つ。
その答え方に、またもイミトは鼻で笑って確かに食事中にする話では無かったと自重した。
けれど、何故かミリスはその話題に真摯に向き合い続けて。
「菜食主義の神も居るし、そもそも何も食べない神も居ます」
「魔法を許さない神や異世界転生を断固として嫌う神、世界に干渉する神や不干渉な神、生き物の造形や地形……創る世界は千差万別。ホントに神それぞれね、人間と然して変わらないと言ったら怒る神も居るでしょうけれど」
否、或いはそれも遠回しの情報。いつの間にか食事の話から思想の話に移り変わり、
「それに付き合わされる人間の……生き物の哀れたるや、だな」
イミトの他人事の如き皮肉を漏れ出させて。
面倒な、度し難い世の道理に——吐いた息は重く、奪われた気力は大きい。
「ふふ、愛がある事には変わりは無いわよ。愛の形が、それぞれに違うだけ。神の皆が、自分たちの創る世界こそが一番だと誇りを持っている。付き合ってあげて欲しいものね」
「だったら加護をくれ、と言いたい所だがな。アンタの世界とやらが産んでくれた良い出会いがあった……今は、そこそこな力もある……楽して手に入れた力だから負い目はあるけどな」
しかし酒と水と己に酔ったかのように瞼を閉じた静かな笑みが互いの表情に浮かび、仕方なしと大人びて寛容な酒席に穏やかな時が流れゆく。
桜吹雪がまた新たに散り咲いて、命の芽吹きも巡りゆく。
その時——、ミリスはイミトに語る。
小さな盃を御膳に戻し、着物の袖をフユリと踊らせ整えて、座り直した真剣さで彼の顔を真っ直ぐに見つめて。
「確かに……アナタは他人より恵まれた力を持った。けれど運も多分にあるけれど、それは与えられたものでは無く……アナタの選択と行動、巡り合わせが勝ち取った力。負い目を感じることはありませんよ、罪人さん」
「これからも、懸命に生きなさい。その小さな一歩で、小さな双眸で私の世界を見渡して選び取って行きなさい。楽しんで生きなさいな」
「アナタの旅路が幸多き人生であらん事を」
宴もたけなわ、贈られる神の祝詞。舞い散る桜は荘厳に吹雪き——彼女の祈りを華やかに彩る。
或いはそれもまた、神の力が為せる御業か。
「……神らしい話だけど、幸を与えてくれる気配が無いのが何ともな」
「ふふ、私は傍観が大好きな神様ですもの」
しかしイミトの嫌味によって一転、肩の力を抜き戻し、親しみを込めた皮肉笑い。
ミリスは再び、天使アルキラルが盃に注いでいた酒を手に取り、袖が御膳の上の肴に汚れぬように抑えつつ片手を高く掲げる。
「乾杯。ルーゼンビフォアにも、その言葉……掛けてやれよ」
それに吊られるようにイミトも自らの手で水瓶から御代わりしたばかりのコップを掲げて付き合って、水の中の氷を鳴らす。
「優しいのね。彼女の討伐リストの最重要項目がアナタ達なのに。それで——……その身を賭して和平調印式を守ったアナタは次にどこに向かうのかしら?」
「酷い話さ。オードブルが終わったら、次はスープのはずなんだがな」
そして話し始めたのは、男の次なる旅路について。
「悩ましい事に、どうにも蛇のステーキが完成しちまいそうなんだよ。火が通り過ぎると硬くなっちまう」
「ジャダの滝……デュエラちゃんの因縁の土地ね」
「お誘い頂いちまったし、他の連れの様子を見てから行き先は考えるよ」
これまでの意趣返しに冗談を織り交ぜながら次の目的地候補を暗に示すイミト。
だが——、それを候補にする事は許されざる事だったのかもしれない。
「……ふふ。そうね、でも……そうも行かないのよね」
「あ?」
イミトの甘い見通しを意味深く笑うミリス。
今までの裏を読ませようと表面の言動が有耶無耶に霧がかり揺蕩っていたミリスとは明らかに違う——ハッキリとした目的がある事を予感させる言い回し。
イミトは思わず眉をしかめる。
そして彼女は語った。語れぬ思惑や預言を匂わす作業を終えて——語れる理の範囲内を、酒を片手にゴキゲンに軽快に、語るのである。
「罪人さんが考えてる通りの事、起こっちゃっているのよねー」
「ああ……なるほど、お涙が零れそうな話だな」
そこでイミトも大まかに察した。
桜吹雪が舞う中で、イミト自身も想定していた最悪の事態。
桜の雨の隙間を掻い潜り、一匹の蜂が神の御許に羽を震わせ現れて。
ミリスは訪れた蜂を人差し指に泊める——そして暫くその蜂を見つめ、時は来たかと浮かべるは小さな微笑み。
「うん。だから——神の厨房から調味料を窃盗した罰として、バジリスクの討伐。お願いね」
「なんとか仲間を説得して頂戴。出来なかったら、私から天罰を与える事にするから、そのつもりで」
「因みに、ここでの記憶はクレアちゃんには見えないようにしとくから安心して」
「そりゃ、有難い事だが——こっちの——」
「じゃあねー」
——時に神は、身勝手で気まぐれである。乾杯の矢先、イミトに交渉の余地も与えずぬ酒を持たぬ右手を掲げ、悪びれる様子もなく親指と中指の第一関節の腹をピタリと合わせ——
「あ、ちょっとま——て……って——……」
指を盛大に打ち鳴らす。無意識に胡坐から立ち上がり、その指鳴らしを止めようとしたイミトではあったが、気が付くと懐かしきドブ臭い地下水道の真ん中で独り——滑稽の何かを追い掛けていたような不格好で立ち尽くしていて。
ああ、懐かしき——地下水道。
「くそったれ……ロクでもねぇなホントによ。せめて、この下水道の外まで送れっての」
強制転移された状況を即座に認識したイミト。薄暗闇のドブ臭さに現実を思い返し、ドッと疲労が込み上げて彼は悪態を吐きながら背中から大の字に倒れ込む。
「……——」
遠く目の前にあるのは、見知らぬ天井——激しい爆発や衝撃に耐えてきた薄暗いレンガの檻。
そして——地鳴りのように地面を伝い、大勢の足音が鎧を鳴らしながら迫ってくる気配がした。
「イミト殿‼ 皆、イミト殿が居られたぞ‼」
「……サムウェルか。外面、面倒くさいな」
地下水道の中央部の空洞へと繋がる通路に、ようやくミュールズの騎士たちは辿り着き、倒れ込むイミトを見つける。恐らくは、忌々《いまいま》しいあの神のシナリオ通りなのだろうと。
更に、イミトは勘づいた。
パラりと何処かから独りでに転がった瓦礫の小石の音に囁かれて。
「——ちっ……道理で。それで——ここに戻したのか。気が利いてるったら」
嵐の前の静けさは——ミュールズの騎士たちの足音に掻き消され、それは突如と訪れる。
「マズイ‼ 天井が崩れそうだ、イミト殿、早くこちらに——‼」
——崩壊。只でさえ古びた歴史ある遺物の整備されて居なかった様子の地下水道のレンガ造り。
そこに今日一日で、爆発、衝撃、湿度に高熱と、如何ほどのダメージがあった事だろうか。
満を持して訪れた最悪の試練、因果。
地上の重みに耐えきれなくなって次々に自壊し、瓦礫を吐き出し始めた天井に、未だ大の字のままの姿勢でイミトは息を吐く。
「人の為に何ぞ働くもんじゃねぇな【千年負債……】」
「【倒産忌避‼】」
嘆くように嗤い、微笑む。
「——あ、あ……」
「折角のクソみたいな平和の日に……下水の臭いを外に出しちゃ台無しだもん、な」
溢れ出る穢れた魔力は、ミュールズの騎士サムウェルが腰を抜かすのを他所に地下水道を埋め尽くし、数多の平和の柱として——皮肉にも、僅かな時を支えゆく。




