平和の柱。1/4
静寂が訪れた地下水道。
「……奴らは消えたか。つまらぬ」
何処かの通路から、静かに座り込むイミトの下へと彼女らは降り立つ。
「そういうなよ。もう散々やったんだろ? それに今、あの連中を叩いたって弱い者いじめで世間様に叩かれるだけだっての」
美しい女の頭部を鎧の付いた両手で抱える黒い顔布を纏う少女の登場。一見すると不吉な組み合わせのその風貌に、地下に潜む怪物は呆れ返るように親しげに言葉を放つ。
「イミト様‼ お怪我は無いので御座いますか⁉」
すると美しい女の頭部との冗談交じりの挨拶を交わすのを見て、座り込むイミトに近付き、彼の容態を確かめる少女は顔の見えぬ不吉を纏いながらも純朴な声色を慌てふためかせて。
「おかげさまで、掠り傷くらいで済んだよ、デュエラ。ここまでクレアを連れてきてくれてありがとうな、助かった」
そんな彼女の気遣いに手の届く距離まで近づいた少女の頭を撫で、小さな微笑み。
「いえいえ、クレア様の指示なのです。それより……ここに長居もあまり良くないと思うのですよ、来る途中に通路を守っていた結界とか仕掛けを壊してきたので」
少女はその暖かい手に安堵し、へへへと照れ笑ったが、直ぐ様にハッと我に返って現在の状況を思い出して立ち上がり、周囲を警戒する様子を見せる。
「恐らく、来た道は既にミュールズの兵が集まり封鎖されておろうな。召喚した目暗ましの雑魚スライム共は貴様の想定通り被害も無く、ほぼ全ての殲滅を終えておるぞ」
そのデュエラとの会話を起点とし、クレアはイミトとの情報交換を始めた。城塞都市ミュールズに渦巻いていた陰謀の収束——その後処理に追われているかの如く、語られるこれから。
「そうか。どうする? この上に、お前のお目当てのレザリクスも居るぞ」
「——……別に良い。今、我が地上に出れば、和平どころの騒ぎではあるまいよ。それは貴様の本意では無かろう」
イミトの問いに見えぬはずの地上を見据え、因縁深き魂を感じるクレア。その眼差しに、イミトは自傷しているかの如く一瞬、寂しげな顔色で小さな鼻息を吹く。
しかしながら、それは裏の顔。
「そりゃ助かる。あー、疲れた……カトレアさんはどうしたよ」
直ぐ様に表情と気分を切り替え、気怠く疲労の声を垂れ流しながら背後に少し倒れ込み、床に後ろ手を回して両手で体を支えて話を進めて。
「手筈通り、嘆きの峡谷の落ち合う地点に向かっておる。問題は無い」
「嘆きの峡谷が待ち合わせ場所とか、何度聞いても嘆かわしいこったな」
そして返ってきたクレアからの答えに、安堵しつつも事前に用意していかのような駄洒落を皮肉めいた口調で言い回し、鼻で笑うイミト。
「——そろそろ騒動を調べにミュールズの者どもが来るだろう。我らは行く」
「ああ、一応……気を付けろよ。見つかっても殺したりするなよ、面倒だから」
すると、呆れた様子のクレアも鼻で息を吐き時間も迫っている事も相まって、最低限必要な情報を交わし終えた二人は、それぞれに釘を刺しながら別れを告げて。
「分かっておるわ馬鹿者が。何故そう貴様は甘いのだ」
クレアは自身の黒い髪を操り、クレアを抱えるデュエラの頬を叩き、彼女に進む方向を指示しながらイミトへと言葉を返す。
「貴様が本気を出しておれば、そこらに奴らの死体の一つでも転がっておったろうに」
「なんだ、殺して欲しかったのか? 俺は、お前の獲物だからって遠慮してたんだが」
「嘯け。我が許可を出しても殺さんのであろうが」
クレアの指示通りに進み始めたデュエラが気を遣って足を止め、僅かに抱えている首を振り返らせて、へらへらと嗤うイミトに呆れ果てて息を吐くクレアに見せる。
対して、そんなクレアの反吐を吐くような言い分を耳にし、イミトも眉を下げて自嘲の呟き。
「——……屈辱を抱えて生きる事も罰だからな。そう楽に殺してやるほど、俺は優しくはねぇんだよ。お優しいクレア様とは違ってな」
皮肉めいた笑みを浮かべながら徒労の息を吐くイミトは、背後に掛けていた体重を元に戻して猫背のように項垂れて、その拍子に垂れた前髪の長さを確かめる。
「くだらぬ誤魔化しよ。しかし次も奴らに成長が見られぬようなら我は遠慮せんぞ」
「その可能性は無いと思うけどな。あのルーゼンビフォアの顔……アレは何か強さを取り戻す方法があると見たね、俺は」
「……その口振り、また大まかな察しは付いておるのか」
やがて来る未来を語り合い、鋭く流れるクレアの視線。肩の力が抜けた予言ではあったが、ここまでの和平調印式に渦巻いていた陰謀を掌中に治めていた男の実績、先見の明に対してクレアの興味が引かれる。
「まぁ、二つくらいはな。邪魔も出来ない方法だし、暇な時の話の種にでもしとく」
「そうか。まぁ良い。此度は、僅かばかり楽しませてもらった。次も期待しておこう……行くぞ、デュエラ」
それでも、勿体着けて片手を挙げながら視線を逸らし、はぐらかすイミトの態度に興味を早々に切り上げて迫る時に急かされるように瞼を閉じるクレア。
そして二人は。、これからに乞うご期待と互いの顔も見もせずに笑い合う。
その時、水を差すようにクレアを抱えていたデュエラは——ある事を思い出していた。
「は、はいなのです‼ あっ、でも……その前に」
クレアの指示に従いつつも、僅かに求める時の猶予。その顔には自身の胸の内にモヤりと淀む罪の意識を打ち明けたい想いと、時が無い事を悟っているが故の焦りとの葛藤があった。
「どうかしたか?」
そんな不穏な様子に眉をひそめ、デュエラに疑念の視線を送るイミト。
デュエラの謝っておきたい事とは、ルーゼンビフォアとの戦いで消失したイミトの調理器具の事である。
だが——、
「ワタクシサマたち、イミト様に謝らなければならない事が——」
「デュエラ。時が無い……あの件に関しては後にせよ」
「え、で……ですが……」
その事について打ち明けようとした矢先、クレアの声に制止されて。
「……凄い気になるんだが、時間が無いのは確かか。俺は和平調印式を見届けてから戻るから、早く行け」
更にイミトも後回しだと、優先順位を指定され、戸惑うデュエラは決断を迫られる。
どうしたものか、バツの悪さを誤魔化す為に右往左往と視線を泳がす中で、二対一の多数決。
自身が抱える胸のモヤモヤを抑え、デュエラは息を飲んだ。
そして——
「は、はいなのです‼ では——ゴメンナサイなのです‼」
デュエラが地下水道を駆け出そうとしたその瞬間——
「——お待ちください」
唐突に彼女は現れる。
「「「——‼」」」
何も無かったはずの空間が突如として歪み、中身の無い卵の殻に包まれているような気配——流麗たる振る舞いで進み出でる燕尾が踊る執事服を着た銀髪の麗人。
これみよがしに己を主張するような吹き荒み始めた空気の流れ、白い羽が宙を舞う。
羽の生えた天使が、そこに居た。
「アルキラル……ていうか次から次に……いい加減、この穴蔵下水道から俺を開放して欲しいんだが」
その彼女の名を、その唐突な登場の感想を述べるように怪訝な声色で呟くイミト。そこから座っていた重くなっている腰を上げつつ、気怠く首の骨関節をポキリと鳴らす。
「天使様が、こんなドブ臭い穴蔵に何の用だ? ホームレスでも救いに来たのか?」
今にもアルキラルに斬りかからんとする気配を溢れさせたクレアを視線で諫めつつ、天使と聞いて想い抱く印象とは正反対の冷ややかな眼差しに今回の御用向きを尋ねる構え。
すると——アルキラルはそれを自覚した上でか、静かに瞼を閉じて、己の冷淡さをも封じ込める。




