地下に潜む怪物。1/5
——時は進んで地下水道。
汚水の薫りが漂う、煤に塗れた穴蔵に——その女神は降り立った。
「——思ったより時間が掛かったな。クレアとの戦いが楽しかったようで何よりだよ」
地下帝国の主の如く、真っ黒の椅子に足を組んで頬杖を突きながら待ち受けていた魔人が、現れたる三人を迎え入れ、悪辣不敵な眼差しで余裕の佇まいを見せつけて。
「……相馬意味人」
女神は懐かしき魔人の真の名を憎らしく呼んだ。
「久しぶりだな、ルーゼンビフォア。意味奈も元気……そうとは言えないか、そんな血だらけで大丈夫なのかよ? カトレアさんの返り血じゃねぇよな」
しかし挨拶も早々、魔人の視線は女神の連れに向けられて、肩の力を抜いた厚顔不遜な面差しで新品の仮面を付けている少女の風体に想いを馳せ、
「んで、そっちの男は初めましてだな。デュエラは強かったろ」
「「……」」
敬虔な身なりの宗教家を嘲笑う。
仏にも神にも縋らぬ、天上天下唯我独尊。組んでいた足を解き、足下に置いてあった敵から奪いし戦利品を中に納めた筒の容器を踏み付けて、気に入らぬ足心地に筒を軽く蹴り倒す。
「——……その反応、まるで私たちが来るのも計算の内だったようですね」
地下水道の床に転がる何も語れぬ筒の容器の哀れを一瞥した女神は、魔人の罪を量るように眼鏡の位置を懐かしく指で整え、白けた眼差しを魔人へと向ける。
「まぁな。クレアに泣かされてたら、八つ当たりに来るだろうなとは思ってた。現状を考えれば、クレアより普通に俺の方が殺しやすいからな」
ほくそ笑む魔人は再び椅子の背もたれに背を預け、女神の問いに答えた。暗躍し、糸を引く悪人の如く、胸のポケットから取り出す黒い遊戯盤の駒。
それを遊びに誘うように女神の足下に放り投げた魔人。
「セティス・メラ・ディナーナはクジャリアース王子の呪い解除、厄介な聖騎士アディ・クライドはレザリクスの偽りの救助に勤しんでいる頃合い。クレア・デュラニウスたちは、アナタたち自身が仕掛けた人型スライムに対処するミュールズの騎士たちの警戒が強まり、表立っては動けない」
その足下に転がる駒に目もくれず、胸の下で腕を組み、現在の状況を語る女神は苛立った。
未だ椅子に鎮座する魔人の態度に、何の緊張感もなく現在の状況を全く不利だと思っていない様子に腹を立てていく。
「——……状況は最悪のはずなのに、その余裕。まだ何かしら卑怯な小細工でもあるのでしょうか。後学のために聞いておきたいのですが」
それでも過去の反省からか冷静に理性を保ち、相手のペースに乗らぬように徹する女神。
「ねぇよ。あったとしても、教える訳もないだろ」
そんな女神の様子を鑑みて、これ以上は会話での収穫は無いなと、ようやく魔人は椅子から重い腰を上げ、腰裏に装着している鞄から一際大きな虹色魔石を取り出した。
「ああ……でも、そうだな。これが、最期の魔石だとは言っとく……地獄門って魔物のとっておきでな」
もう直に訪れる衝突——この時の為に用意したサプライズに、魔人が浮かべる得意げな表情。その動作に警戒し、女神の背後に控えている従者たちも各々《おのおの》の戦闘態勢を整える。
「【不死王殺し】」
地下水道の中央で、虹色の大きな魔石が内に秘める魔力を喰らい——悪の枢軸の如く溢れ出る黒い魔力。それは濃密な威圧を放ち、先ほどとは別人のように気配を荒ぶらせた。
「じゃあ、始めるか——三対一で構わないぞ、俺は……オタクらみたいに公平で平等な戦いをなんて負け惜しみのパワーワードは使わねぇから」
しかし鳴らした首の骨、準備運動は済んだと掌に黒い渦を灯して創り出す黒い槍——不敵な笑みは相も変わらず。
今まで世話になった椅子を悪辣に蹴り倒し、槍を振る空間を整えて器用に槍を操りつつ右肩に担いだ後、掛かって来いと相手に見せてつけた左手の人差し指と中指を挑発的に前後させる。
「……生意気な。イミナさん、お望み通り兄の相手をさせて上げます、行きなさい」
対する女神も白い光から神々しい槍を創り出し、背後に控える魔人の妹に指示を出す。
「——はい。ルーゼンビフォア様……」
すると背後に控える仮面の少女は待ちかねていたと、意気揚々《いきようよう》に鞘から刀を引き抜いて、その白刃の鋭さを地下水道の煤塗れの空間に煌かせた。
——始まる。因縁浅からぬ女神と魔人、或いは兄と妹の魂を削り合うような戦いが。
否——、
「おっと、言い忘れてた。もう始まってるから、頭上注意な」
「「「——⁉」」」
既に戦いは始まっている。魔人イミト・デュラニウスの背後に倒れている椅子が黒い霧として霧散した瞬間が、その始まりであった。
「【貧民圧殺】」
椅子に繋がれていた見えづらい黒い糸も消え失せ、地下水道の天井から落下する棘の付いた巨大な黒い鉄球。それを咄嗟に紙一重で各々《おのおの》と別方向に回避する女神ルーゼンビフォア一行。
イミトの貧民圧殺は軽々と重力加速を帯びて床を砕き、床のレンガの瓦礫を散らす。
「——良い反応じゃねぇかイミナ。お兄ちゃんは嬉しいね」
「——兄さ……くっ‼」
その最中、動き出したイミトは分断孤立した敵の塊の中から、お望み通りと抜身の刀を持つ妹のイミナにその槍を振り下ろし、刃に槍を受け止めさせる。
「悪いな。もう一緒に死んでやれる程、折角の異世界……世の中に退屈はしてなくてな」
「——兄妹喧嘩に水を差してすみませんね‼」
感動の再会を演出しつつ、不敵な笑みで別れを告げる魔人。その得意げな背に迫るルーゼンビフォアの白い槍。
「いいえ、お構いなく——っと‼」
「がはっ——……⁉」
対するイミトは槍を抑えている力の込められていたイミナの刀を素早く受け流し、槍を地面に突き刺した後で——それを支柱に背後から迫る白い槍を紙一重で躱しつつ魔力も込められた後ろ蹴りを放ち、ルーゼンビフォアを腹から突き飛ばす。
「男らしく戦えってのは、前時代的だよな——猫、踏んじゃった‼」
そしてイミトはルーゼンビフォアが僅かに嗚咽し、宙に浮いた隙に蹴りを放った勢いそのままに、未だ地面に突き刺した槍を支柱として巧みに使い、刃を構え直すイミナを牽制しつつ、
地表と水平に回転した後に——螺旋の流れを途中で途切れさせて地面へ目一杯の力を込めて両足で地面の床を盛大に踏み砕く。
「ぐお——っ‼」
そこに隠れ潜み、迫っていた岩の魔物との半人半魔バルドッサの存在を暴くイミト。
「地面に潜る奇襲ってのは、警戒されてない時にやりな」
「【デス・ゾーン‼】」
そしてバルドッサの奇襲を未然に防いだイミトは、敵に囲まれている現状に際し、魔力によって圧力を掛け、時間と距離を相手に付与し行動を遅らせる特技を用いつつ、態勢を整える為に背後へと跳ぶ。




