塵に燃えゆく。5/5
だが——、そんな彼女の折角の晴れ舞台。
「……ちっ、時間か。少し面白くなった所であろうに」
クレアの舌打ちが、水差しの予兆を語る。
と同時に、何やらとイミト達とは違う形の魔通石で会話をし始めた様子のバルドッサの姿があった。
「——ルーゼンビフォア殿、今回はここまでだ」
「ああ⁉ 何を言っているのです‼」
怒りが頂点に達したルーゼンビフォアに平然と戦いの中止を告げるバルドッサ。魔通石での短い連絡は終えた様子で、冷ややかに怒れる神の気配に言葉の水を浴びせ掛けて。
「ミュールズの騎士どもが動き始めた。それからアーティーの方も危機的状況にあると連絡が入った。今回の件は想定外の事が多すぎる、我らの負けだろう」
クレアが召喚したスライムが消えて始めている事を悟り、勘づいた事柄を遠隔通信の魔通石による報せで知ったバルドッサは、たった今まで見せられていたデュエラの強さも踏まえた現状。
岩の如く静かに分析し、状況の打開は不可能と判断したようで諦め混じりに首を振り、岩に変化していた体を元に戻し始める。
「それが何だというのです‼ 臆したなら一人で帰りなさい‼」
故に、事は一転して仲間割れの様相。感情の昂ったルーゼンビフォアは口調をも荒ぶらせて宙に浮かんでいた槍を掴み、盛大に振って風を引き起こす。
そこからは静かな睨み合い。彼らがこの場に現れた方法や戦闘手段から憶測すれば、空間転移、瞬間移動の魔法を使った術者はルーゼンビフォアであろう。
その彼女が癇癪を起こしている今、安全確実な移動手段を持たないバルドッサは考える。
——如何に、この不利な状況を脱却するかと。
しかし、もはやそれは杞憂なのである。
「……ルーゼンビフォアよ。もう今日は帰るが良い。今回は見逃してやる」
「——……‼」
思いがけない追い風が、バルドッサとルーゼンビフォアの間に割って入るのだから。
敵であるはずのデュラハンから顔面に浴びせ掛けられる塩の如く。
纏っていた鎧兜を黒い霞であったかのように霧散させ、クレア・デュラニウスが静かな声を発したのである。
「今の貴様らには予想以上に失望した。退屈だ、首を洗って出直して来い」
「ほとほとに我は嘆いておるのだ。僅かばかり楽しみにしておった此度の戦、貴様らが弱すぎて興も乗らぬ」
骸骨騎士の左腕を揺らさせ、前髪を整える最中にも何処か寂しげな声色で更に失望の色合いを表して。唾も溢れぬ程の退屈に、彼女は酷く相手を軽んじる。
「流石の貴様とて——分かっておるのだろう。現状の戦力の差くらいは」
「——……黙れ」
しかし実際問題、指摘の通りルーゼンビフォア自身も解っているのだろう。何度も握り直す槍を持つ手を悔しさに震わしながらの俯き。
「凡百の将と侮ったイミトに、ここまでしてやられ、切り札のバンシーも未熟……貴様自身も力が封じられているのか知らんが、同じく本気を出せぬ我を楽しませることも出来ぬ程度の力しか無い」
揺れた銀の前髪を透き通り、クレアが語る己の現状——あってはならない無様醜態に、噛みしめた奥歯。
「——……黙れ黙れ‼」
そこから舌を噛みそうになる程の危うい速度で、歯をギリギシと痛めつける顎の力を一瞬だけ緩め、放った叫び。林の木々が風に騒めく状況にあって、全てを吹き飛ばすような怒りだけはハッキリと響き渡る。
その時——、陽光が彼女の胸のポケットに納められていた眼鏡の硝子を煌かせ。
「期待外れも甚だしい。ここで、それ以上の力が出せぬと言い、まだ歯向かうのならば慈悲も無く斬り捨てるが、何かしら伸びしろがあるだろう?」
「——……」
強く握られる槍の長い柄。二度、三度と更に握り直し、まるで葛藤しているかの如く、クレアの問いにルーゼンビフォアは沈黙を貫いた。
確かにクレアが言うように彼女は賢明では無いのかもしれない。
されど、決して馬鹿でも無い。
それはクレアも認める所なのだろう。
「我らは貴様らから逃げはせぬ。もっと楽しませる実力を付けてから掛かってくるがいい。今の貴様らは殺し甲斐が無いのだ」
故に、彼女にしては珍しくとも言ってもいい程に、つらつらと今も尚、ルーゼンビフォアへ慈悲を掛け続けているに違いない。
無論それは、結果としては己の為という前提もあるのだろうが。
そして——、ルーゼンビフォアは結論を下す。
「——……ふぅ。後悔しますよ」
槍の矛先を天へと戻し、槍術の構え——臨戦態勢を解く挙動。
胸ポケットの眼鏡を手に取りながら息を吐き、彼女は美しい白絹の布でガラスを拭いた。
「させてみよ、と言っておるのだ」
「今回は退きます。しかし、ただでは退かない」
「——……ほう」
やがて眼鏡を掛け直し、未だ怒りに燃えた瞳を滾らせながら、それでもその感情を理性の檻に閉じ込めてクレアの興味を引きそうな意味深な物言いを残しつつ、踵を返してクレアらに背を向ける。
「……行きますよ、イミナさん。グズグズしない」
去り際、ルーゼンビフォアが僅かに立ち止まり振り返ったのはイミナが佇む方角。
背中を追うべきかを戸惑っていたイミナは、ルーゼンビフォアの命令を聞くや周囲の状況を確かめ、何処かに落としていた仮面を探しつつ諦めて急ぎ始めて。
「あっ……行ってしまわれるのですかイモウトサマ?」
そんな己と同い年くらいの——何かに怯えた少女の背に、心配そうな顔色で話しかけたのはデュエラであった。
その純朴な声に——ルーゼンビフォアの指示通りに動き始めたイミナだったが、己の意志と決断で足を止め、声を掛けてきたデュエラへと振り返る。
「——……アナタは絶対に殺す。兄さんの目の前で、バラバラに切り刻んでやる」
「お前も……お前らも、絶対」
その表情は、憎悪そのもの。明確な殺意と敵意と、行き場の無い恨みつらみを理不尽に世界に叩きつけたい欲求に駆られているような抑圧されている苛立ちが満面に現れていて。
「……アヤツの妹らしい強欲さよ」
故にクレア・デュラニウスは瞼を閉じて、お遊戯会の殺意を嘲笑うのだろう。
——イミトと似ていると思えば、殊更と余計に。
しかし、
「二度とあんなメンヘラ女には関わりたくないピョンが」
「狂気だけは紛れもなく本物でした。あのバンシーの力も相当に厄介でしたし……」
それは彼女しか知らぬ所。ルーゼンビフォアが魔法陣を地表に浮かび上がらせる場所に集まる敵を、しかとその目で見届けながら佇む一人の騎士と兎は、その脅威を各々と思い出し声を漏らす。
「——クレア・デュラニウス。いずれ……この借りも必ず返します——」
そして魔法陣を魔法陣たらしめている光の線から、次々と蛍火のような小さな光の粒が溢れる光景の最中、妖しく響くルーゼンビフォアの声。
やがて彼らは魔法陣の光の粒に包まれ、光が消える頃にはその姿を消えている。
「行ってしまったのです……イミト様のイモウトサマ……」
デュエラだけが、些か名残惜しそうではあった。
「アレにはアレの歪みや考え方がある。諦めろ、デュエラよ……家族というても色々とあろう。貴様は、あの兄妹の過去を知らんのだ」
そんなデュエラを一瞥し、遠くを見据えるクレアの瞳。そこに映るは彼女とイミトだけが知る過去の幻影。思い馳せる暇潰しに垣間見たイミトの記憶。
それから瞼を閉じたデュラハンも、骸骨騎士の踵を返させて虚無感が漂う戦場跡の静かすぎる静寂を眺めて。
「それにしても——……、気に掛かります。去り際に何かをするような口振りでしたが」
「うむ。しかし、こちらには今の所、異変は感じぬ——それよりも余力があるなら、爆風で吹き飛んだイミトの調理器具を回収でもして来い」
共に並び立ったカトレアの予感に同意はしつつ、気にしていても仕方がないとクレアは今、目の前にある厄介な問題を解決するように勧める。
「我らも、直ぐにこの場から離れるが無難だろう」
そして、城塞都市ミュールズの方角に頭を動かして膨大な魔力の残滓に目を配るクレア。
「……確かに、先程までの魔力放出は感知されて居るでしょうし、ここでミュールズの者たちに私が見つかるのは姫にあらぬ疑いが掛かる恐れもありますから」
「では、急いでイミト様の道具を探さねばなのですよ‼ カトレア様‼」
「え、あ、はい‼」
騒めく風が、虫の報せを運んでくるが如く流れてくる中で、慌てて黒い顔布を付けたデュエラがカトレアの手を引いて。
「——こちらに何もしかけて来ぬなら、間違いなくイミトの方で何かを仕掛けるのであろうな」
「ふふ、これも予想済みか。イミトよ、であれば——我も考えなければならんか」
その時、ふとクレア・デュラニウスは——訪れようとする平穏の中で、未だ嵐の只中に居る男の顔を思い浮かべ、ここからの更なる騒乱を想い、嗤うのだった。




