稲妻の如く、そして——。1/5
場面は変わり、城塞都市ミュールズの地下水道。
スライムの半人半魔、アーティー・ブランドを圧倒する戦いを繰り広げていた魔女にも異変の時が訪れる。
「はぁ……はぁ……」
息が荒れ始め、片膝を地に落とす少女。それでも、しっかりと彼女の武器である狙撃銃を手放さないのは彼女の意地の表れか。
「ふふふ……先ほどまでの威勢が消えてきたな、セティス・メラ・ディナーナ」
対照的に圧倒されていたはずの半透明の液状の肥大化した身体から上半身だけ浮かび上がらせる人型は、これまでの苛立ちの報復を晴らしたように意気を取り戻し、波打ちながら流動する体を踊らせていて。
「この……‼」
苦悶の表情の中で精一杯に振り絞ったセティスの魔力の弾丸も虚しく、スライムの体内で勢いを殺されて吸収されてしまう。
いったい何故、こうなってしまったのか。
「——これが、人間と人間ならざる者の力の差だ」
「空気が……薄い」
その原因を推測ながら口にする両者。
「そう……最早ここは俺の分身体が出入り口を封鎖した空間——俺は貴様の弾丸を避けながら動き回り、空気や魔素を吸収、或いは封印し、もうじき独占する」
セティスがチラリと数ある出入り口を確認すれば、確かにアーティーの体の体積は初めよりも大きく見え、彼が言うように出入り口が通気口に至るまで薄い滑りを思わせる膜に覆われているようで。
極めつけとして、下水道に流れているはずの水流の音が消えうせた静寂がそこにはある。地下水道は完全に封鎖されてしまっているのだろう。
「呼吸もままならない真空の中で、人が生きれるはずも無い。地の利があった私の勝ちだ」
「後ろの穴も塞ぎ、私の分身がクジャリアース王子も追っている」
完全な劣勢、一転して追い詰められてしまった状況ではあるが、懸命に狙撃銃を立ち上がり、得意になっているアーティーの言葉に耳を澄ますセティス。
「仮に……あのイミトという男が間に合い、忌々しい塩で立ち回ろうとそれは時間稼ぎにしかならないだろう」
「よくやったと褒めておく。だが貴様らの苦労は、しょせん我らの目的の全てを瓦解する事は叶わない——……我らを産み出した貴様の師であるマーゼン・クレックを恨みながら、苦しみ、悔やみ死んでいくがいい‼」
波々《なみなみ》と自身の流動する体の上を揺蕩う半透明の人型上半身は両手を広げ、懲りもせずに勝利を確信した様子ではあった。
しかしながら、直ぐにはトドメを刺しには行かず、
「……師匠を恨むことは無い。私は、師匠に拾われた命、だから……師匠に感謝しても恨むなんて絶対にない。イミトにも、会えてよかった」
「イミトは——……ここに必ず来る。ここに来て、貴方を倒す。クジャリアース王子も守る。今の私の状況もイミトは昨日の内に想定していた」
息も絶え絶えに狙撃銃を構えたセティスの言葉を聞いたのは、恐らく身の内のトラウマに囁かれているからかもしれない。
「……なに」
勝利を確信したひと時に、人は最も油断する。
例え、相手が放っている言葉が死に際の負け惜しみに聞こえても、最後に振り絞った力が致命的な何かを引き起こす事もある。警戒するアーティーの意識は、セティスへと一挙手一投足すべからく集中されていた。
「私にとっての希望は、アナタたちの絶望。だから私は、絶望の灯が、より強く燃えるように——アナタの希望を少しでも削り取る‼」
そしてセティスも最後の一撃に己の想いの全てを狙撃銃へと込めていく。
だが——、その時だ。
「世迷言、を……——⁉」
「……?」
唐突にスライムの動きが止まり、真空のはずの大気が震えたような気配が走る。そして全身の毛が逆立ち、肌をヒリ付かせる静電気のような予兆。
「私の分身が一瞬で——……今の感覚は——まさか⁉」
何やらと遠くで起きている異常事態を目撃している様子の彼の動作に、セティスは事態の異常さを知る。そして思い浮かばせるのだ。
脳裏に、あの厚顔不遜に悪辣な笑みを溢す男の姿を。
「「——⁉」」
突如として開いたばかりの背後の落とし穴から静電気が激しく炸裂していくかの如き弾けた音が響き渡った地下水道で、見当違いに思い浮かべていた。
『クライド流剣技歩法——【雷派・稲光】‼』
そして——地下を封鎖していた膜を突き破る雷鳴と共に現れたのは、黄色と黒の髪が七対三の割合で染め別けられている荘厳な白鎧を纏う男。
「——アディ・クライド‼ なぜ貴様が——ここに居る‼」
その雷を帯びる男がセティスの背後の穴から爆風と共に現れ、地下水道に天高く跳び上がった姿にアーティー・ブランドもまた驚愕の声を上げる。
——男は、あまりにも速く、そして強い。
「……状況は把握した。【雷界樹・瞬現‼】」
空中跳躍の最高到達点に達したアディ・クライドは、地下水道の上空から左右に両眼を動かす眼球運動を一度のみ行い、周囲の状況を大まかに察し——、
落下の勢いそのままに右手に持っていた剣の柄を逆さ両手に持ち変えて、地下水道の床を稲妻の如く、貫く。
そこから始まったのは——まさしく災害。
「ぐぅ——おおお‼」
剣が貫き、砕けた地面から放たれる途方もない雷撃は、大樹の枝葉のように次々と地下水道の水や空気を吸収し肥大化していたスライムの巨躯を貫き、帯電し——散り散りに切り刻み、蒸発させていって。
だが、そこかしこに当たり散らす雷鳴の嘶きが耳を突き、咄嗟に片耳を抑えたセティスが身を縮める中、不思議と雷撃はセティスを襲わない。
「……君がセティス殿だな。間に合って何よりだ」
そうしている内、剣を床から引き抜いたアディがセティスの前に現れ片膝を地面に着いて微笑みを浮かべながらセティスの無感情な顔色を窺って。
「お初に御目に掛かる——私は、リオネル聖教が聖騎士団所属、第一編成部隊副長——アディ・クライド。此度の騒乱の助太刀に参った」
帯電に苦しむアーティーや雷を帯びたままの剣を傍らに、胸に左手に当てて挨拶をした彼は颯爽と振り返り、浴びせられた雷撃に伏したアーティーに向かい合う。
「「……アディ・クライド」」
苦悶の後の怒り。
アーティーが現れた助っ人の名を呼ぶ声に、その感情は如実に表れていて。
そして同時に彼の名を呼んだセティスの声には、十全な雷の魔力と共に彼の体に漲っている圧倒的な強者の風格に驚く感情が溢れていた。
——紛れもない傑物。他人を観察し、すべからく敵の手を読み尽くしたイミトが一目見ただけで【ヤバイ奴】と語った男。
その意味を、この瞬間——セティスも理解するに至る。
「私が通ってきた穴の空気は落ち着いてきている。その穴に避難しておくといい」
一方のアディ・クライドは未だスライムの半人半魔を意にも介さぬ様子でセティスに、その状況把握力を知らしめた。
「……そういえば、アナタの事をイミトに言うの忘れてた。アナタは、味方?」
「——はは、敵に見えると言われたのは初めてだな。ここにはイミト殿に頼まれて馳せ参じた——残念ながらスライムに友達は居なくてね」
更には、セティスが漏らした声に心外と笑い声を上げる余裕まで見せつけ、何処か彼に似ているとセティスは感じる
「クジャリアース王子も無事だ。ここに来る前に、私が最優先で城に送り届け、他のアルバランの者たちの救助要請もしてきた。私は、《《速さ》》には定評があってね」
セティスが知る由もない外の現状を端的に伝えゆくアディ。背後の穴から吹き入り込む髪を揺らす風すらも彼の味方であるようで、一目で直観できる程に神や世界に愛された逸材。
セティスは、確かにこの男は敵に回すとヤバイ奴だと思ったのであった。それ以外の表現が見当たらないと。
そして今、彼の敵となった男は——
「……何故、ここに貴様が居るのだ、アディ・クライド‼ 貴様には北方の魔物狩りを命じていたはず‼」
目の前の現れた脅威に激しく動揺し、思わず口を滑らす始末。
「——その口ぶり……まるで君が私に命令を下したように聞こえるが」
「……‼」
「もしや、僕に北方の魔物の討伐指令を出したレザリクス様も君が化けていたのかな」
「……」
これまでセティスの言葉や仕草を警戒して注意を集中していたあまり、他の者に対する警戒心が疎かになり、セティス達に企みを暴かれた事や予期せぬアディの登場が重なり、吐露してしまった吐露してはならぬ秘密。
揺らぐ心が済し崩し的にこれ以上の秘密を語らぬよう、グッと言葉を押し殺すアーティー。心なしか、床を埋め尽くさんとするスライムの身体が縮こまり、後退ったようにも見えて。
「さぁセティス殿、ここは僕に任せて貴方は、穴の中で休息を」
「——……分かった」
やがて改めてと仕切り直すように試し振った剣、その雷鳴の光る真剣の面差しにセティスはアディ・クライドがこの場を任せるに足る人物だと悟り、セティスは狙撃銃を抱えて背後の穴へと一時避難を開始する。
「さて、事情諸々《もろもろ》を含め——答えてもらおうか、禁忌を犯せしスライムの半人半魔‼」
その好青年の不敵な笑みに、アーティー・ブランドは半透明の歯を噛みしめる。




