怒れる兎と泣く女。3/4
「ああああああああああああああああああ——‼」
「——水⁉ いけない‼」
頂点に達した怒りや苛立ちに雄叫びを上げると共に、膨大な魔力の気配を溢れさせるイミナ。その魔力は美しいエメラルドグリーンのような色合いで、湧き上がる泉の水の如く溢れ、或いは荒ぶる津波の水龍が如く押し寄せて。
「……一緒に死んでもくれなかった。死んでくれるって約束したのに‼」
「なんで、なんで私は生まれ変わっても全部を奪われて滅茶苦茶にされてるのに——なんで、なんでなんでなんでなんでお兄ちゃんだけ、いつもいつも普通に恵まれて、人に恵まれて、幸せになろうとしてるの‼」
それらは狂ったように泣き喚き吠え続けるイミナの感情に呼応し、距離を取ったカトレアを飲み込もうと林の木々や地面など目に入らぬように抉りながら暴走し、襲い掛かってくる。
「これが——……バンシーの水の力……ん、ユカリ?」
「——……」
カトレアは、バンシーの魔力と呼ぶべき水流を無論、回避しようとした。
しかし動かない体、原因は明白。
共に同じ体に宿る魂が、それを望まないからである。
「おい、どうしたユカリ‼ 体を動かさせろ‼」
見る見ると押し寄せてくる魔力の水流に危機感を募らせ、呆然と黙ったままのような魂に叫ぶカトレア。
「全部、壊れて死んでしまえぇぇぇぇぇ‼」
その瞬間——、怒りの濁流に手応えを感じたイミナもまた、声の全てを喉から絞り出し尽くし叫んだ。
しかし、
「……わかりみが深い、ピョン」
「「——⁉」」
フゥと吐かれた息が一瞬にして水流の魔力の表面を凍らせ、押し寄せてきていた水流を受け流す分厚き壁となる。
——氷結大兎——ハイリ・クプ・ラピニカ。
それが彼女が呼ばれていた魔物の名。
夏に近い春の日差しの只中に、降り注ぐ霜と雪の結晶。吐く息は白く——時を経るごとに足下の地面から薄青い冷気を広げ、凍えさせていく。
「私と同じで、よほど前世に酷い罪を犯したピョンね」
やがて水流から身を守った壁が砕け、剣を握る女騎士は赤い瞳に寂しげな色合いを滲ませて。
そのひと時の静寂は、永遠に続くのではないかと思える程に静かであった。
「そんな氷なんかで‼」
だが、戦いは続く。第一波の波を防がれ、ムキになったイミナの叫びが再開の合図。またしても止めどなく水の魔力が溢れ、砕け散っていた氷を飲み込み流れ出し始めたのだ。
それでも彼女は動かなかった。否、この時はもう——彼女らと言うべきなのだろう。
「——……でも私とアナタの違う所は——私は前の世界で誰かを道連れにして死にたいなんて思った事は、全く無かったって事ピョン‼」
激流の迫りに対して微動だにせず、前に突き出す左掌。
刹那——掌から放出された膨大な魔力は迫ってきていた水流を一瞬にして凍り付かせると、かつては水流だったそれは荘厳な全盛期のままに時を止められてしまったかのように荒々しい氷のモニュメントに成り果てて。
そして——自重の圧で無為に砕けて崩れいき、訪れたのは話の繋ぎに、物の哀れを世界が雄弁に説く前の如き、静寂。
「……ユカリ」
「ちょっとムカついたピョンから、本気で力を貸してやるピョン……カトレア」
氷の魔力と共に溢れ出てくるユカリの感情。
——それは怒りか、憤りか。
「——なんでお前みたいなキモイ女が人間のままで、私が兎なんだピョン‼」
「……言葉が分からないので詳しくは分かりかねるが、この剣に宿る氷の力から貴殿の想いは伝わる」
どちらにせよ、その感情に触発されて高鳴る胸の鼓動——義憤に駆られたカトレアは再び意気揚々《いきようよう》と剣を構え、敬意を以って魔物が抱く人並みの感情を小さく笑った。
「共に行こうか、ユカリ・ササナミ‼」
「——……暑苦しい感じがするピョン」
故にか、これまでの如何なる時よりも言わんばかりに心と体が軽く、晴れやかに氷結の世界の中心でカトレアは昂った様子であったが——しかしそれに反比例するように、彼女の心は気怠さを感じても居る。
兎にも角にも、角が生える兎と人の半人半魔。
「お前らが、みんな死んじゃえぇぇぇぇぇぇえ‼」
第三波の波しぶきが押し寄せる中で彼女らは走り出し、
「我らの氷で——その理不尽を砕き斬る‼」
ユカリに負けてなるものかとばかりに冷気を纏う剣で、カトレアは水流を次々と切り裂き氷の道を切り拓いていく。
「死ね‼ 流れろ‼ 苦しめ‼ 泣け‼」
「近づくなぁぁぁあ‼」
互いに怒涛の攻め、一歩も引かずに攻撃を繰り広げる水と氷の鬩ぎ合い。
「【氷柱楽々《つらら、らら》‼】」
「——……っ⁉」
しかしその実——、今は二対一の様相。突如として剣技と並行して施行される魔法。
氷柱が無数にカトレアの周囲に現れ、イミナへと襲い掛かる。
それは命中こそしなかったが、イミナに僅かの隙を産まさせた。
「クライド流剣技歩法——【水派・氷地滑り《ロヒューラル》】」
その隙を突き、カトレアの剣技が炸裂する。
特殊な歩法で滑るように相手の背後に回り込む技は、カトレアの水の魔力とユカリの冷気が相まって一瞬にして彼女らの身体をイミナの背後へ彼女らの双眸を回し送り——
そして剣は、鋭い突きを放つ構えへと至る。
「イミト殿に恩義はあれど——」
「【刺突氷柱‼】」
「——姫の願い、和平の邪魔に遠慮は無い」
背後からの一閃、瞬く間の出来事。
イミナの腹を赤い血を纏いながら突き抜ける剣の切っ先。
その先は——まるで氷の華が咲いたように。
不意を突かれたイミナは刺突の勢いに釣られ、宙へと浮いた。
けれど、この世界の巷では——こんな伝承がある事を忘れてはならないのだ。
——戦場ではデュラハンに怯えよ、街ではバンシーを恐れよ、と。




