セティス・メラ・ディナーナ。4/4
——、
そして引き戻されるように再来する現実な時間、
「何か起こす前に——溶けて消えろ‼」
「——そんな羽が舞ったからなんだというの……だ⁉ ぐああああああ‼」
朧げな意識の中でセティスが聞いたアーティー・ブランドの声。見知らぬ天井は闇の中に潜む赤いレンガの色合い。
「……夢を見てた。もう私には——料理を食べさせたい人は、居ないんだって」
フワリと軽い白羽の如く起き上がる体、未だに夢見心地の様相。
セティス・メラ・ディナーナは悪夢から覚めたように服の袖で目を擦り、朧げな記憶に対して血の涙を流した。
薄青かった髪は白く染まり、その上を赤が濡らす。
「償いたかったんだね、師匠」
徐に変貌したセティスが前に掲げた右掌。その先にはへドロヘドロしぃスライムの流動体。
その瞬間——、地に落ちていた幾百もの白羽が空へフワリと舞い上がり、やがてセティスの身体から溢れ出た魔力の風圧に煽られた羽々《はねばね》は、それぞれが意思を持つかの如く猛烈怒涛に飛行を開始する。
「ば、馬鹿な‼ 私の体の神経核を的確に撃ち抜いて——⁉」
アーティー・ブランドに痛みは無かったことだろう。しかし流動するスライムの身体を光線のように凄まじい速度の羽で貫かれた場所は、水風船かと思う程に弾け、下水道の自然の摂理へと次々に回帰していくのである。
「私の魔力感知には、アナタの全てが見えている。その分裂してる極小微細の魔力核と魔力核同士の神経のような繫がりまで——明確に」
「有り得ない——有り得るわけがな——ぐがああああ‼」
ポタリポタリとセティスの顔から床に零れる赤い雫が、まさしく怒りの涙と評せる程に敵を圧倒する疾風怒涛の猛攻撃。
縦横無尽に飛び回る羽に対処するアーティーの呻き声のような悲鳴が地下空洞に轟いて。
「私の視覚を奪った報い——アナタが視覚を奪わなければ、私の魔力感知は——ここまで成長しなかった」
だがセティスは躊躇なく追撃をするべく、足下に落ちていた狙撃銃を足で軽く蹴り上げて掴む。
「ならば——空間を歪めて——魔力感知を‼【空玩粘土‼】」
その追撃を防ぐべく、飛び回る白羽の対処をしながら半透明の上半身の両手を広げて魔力を駆使するアーティー。掌から揺らぐ透明の魔力を放ち、周辺の空間を掌握し、粘土細工のように歪ませる魔法。
けれど、その妨害魔法は——かつてイミトと連れ立った際に、片鱗を体感させられた事がある魔法なのである。
故に——、
「……今の私には、目がある。どう空間が歪んでいるかくらい、見える」
対策や、心構えは万全に近く。セティスは眼前の空間が歪まされようと気にも留めず今度は狙撃銃を構えて遠慮も無く引き金を引いた。
「——⁉ くそがぁぁぁぁ‼」
無数の羽と共に貫かれ、弾けていくアーティー・ブランド。
——しかし、トドメかと思われたその瞬間——
「ふっ。とでも言って欲しかったか?」
「うっ——⁉」
背後から槍のような水流に襲われるセティス。撃ち抜いたつもりが逆に撃ち抜かれた格好で、床に倒れ伏した少女の体。
「もう私は油断しない。貴様らを過小評価もしない」
「歪みに対応するばかりで地中からの警戒を怠った。次に相手を舐めたのは貴様の方だったなセティス・メラ・ディナーナ‼」
そして不意打ちを仕掛けたアーティー・ブランドは床の隙間から沸き上がるように半透明の肉体を再生させる。その声色は得意げで、魔法の効果の切れたはずの空間で、半透明の上半身は歪に笑った。
「そして——、結界内もっ、地中からならば攻撃できる‼」
更にアーティーは腹部脇腹を手で押さえながら起き上がろうとするセティスを横目に、霧の掛かったような結界を狙い振り返り、己の肉体の一部を床に押し流す。
「——はは……は?」
彼は、げでしかない得意げだったのだ。確かに、その瞬間までは。
「……ふふ、ふふふ。いつから、その結界が防御結界だと、そう思ってた?」
霧がかる結界を地下から容易く突き抜けたスライムの一部は、噴水の如く地下空洞に降り注ぐ。その無情は、まるで呆然とするアーティー・ブランドの今の心境を如実に表している様相で。
「いつから——土竜撃ちが、消えたと思ってた?」
腹部を片手で抑えながら起き上がったセティスに、呆然としたままに振り返るアーティー。
その実、得意だったのは彼女であったのだ。
「き、貴様ぁ……‼ 穴を掘らせて王子を弾丸で運ばせているのか‼」
瞬間、事の全てを理解して半透明の顔を負の感情に歪ませるアーティーを尻目に、背後になった霧の結界は霧散し、その先には深い闇へと通じていそう人気のもう存在しない大きな穴。
「忘れてない? この場所を見つけたイミトのスライムの事」
「……」
めくるめくと霧が晴れていくように明らかになる現在の状況。すべからく滑稽に踊らされていた事実に対して矜持を踏みにじられ、アーティーは怒りに震えた。
「追い掛けないの? 穴は一本道。今なら、急げば間に合うかもしれないのに」
「くっ——‼」
更に嘲笑と共に、セティスが新たに取り出した武器の形状——掘られている穴を見事に埋め尽くす程の魔力のエネルギー弾を放てそうな大砲をまざまざと見せつけられ、殊更に彼は顔を歪ませていく。
——恐らく、アーティーが本来の目的であるクジャリアースたちを追い掛ければ、背後から魔力の大砲が放たれ、彼は一網打尽に消し飛んでしまうのだろう。
「……イミトなら、なんて言うかな?」
「ああ——女の子の穴以外は、お嫌い? アーティー・ブランドーさん」
その目論見が悟られている事も踏まえて、彼女は嗤う。
だらりと首を曲げてから、本来の彼女の色では無い赤い瞳で——
「じゃあ、私とは——遊んでくれるんだよね?」
「このっ、クソガキがァぁぁぁ‼」
セティス・メラ・ディナーナが妖しく、嗤う。




