開戦。5/6
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その頃合い、朝食をつつがなく終えた彼らもまた明白に動き始めていた。
「これはマリルティアンジュ姫……」
突如として来訪したマリルティアンジュ姫を筆頭に、中央議会城の内部に存在する来客用の一室の扉の前、警備中のアルバラン王国の護衛騎士二名はそれぞれに胸に手を当てる敬礼を掲げる。
「アルバランの皆様。警護、ご苦労様です——クジャリアース王子が体調を崩されていると聞き、お見舞いをと思いまして馳せ参じさせて頂きました」
「それから、こちらのイミト様が昨晩の非礼を詫びたいとの事でお連れした次第です。クジャリアース王子にはお会い出来ますか?」
表向きの用向きを口にして普段通りの社交的な微笑みアルバランの騎士たちに向けるマリルデュアンジェ。背後には無論、今回の騒動の全てを掌中に収め、戦争へ誘う暗部の企みを児戯へと変えたる悪辣なる主犯、イミト・デュラニウスも控えていて。
——本来であれば、どうであったのだろうか。
ふとイミトは考え、まじまじとアルバランの騎士たちを観察していた。
「……クジャリアース王子には、今は謁見することが出来ません。申し訳ありませんが、如何にマリルティアンジュ姫であっても和平調印式まで誰も通すなと命を受けておりますので」
訝し気に顔を見合わせるアルバランの騎士たちのその後の返答。
面会拒否。
さもすれば余程に体調を崩しているのかもしれない。
しかしながらイミトの想定には、もう一つの可能性もあった。
ここからは、隣国の領分。ここで外交問題となりかねないツアレスト王国の王女であるマリルティアンジュが押し入る事は出来ないだろう。
「そうですか……イミト様?」
それ故に、役者の交代。否——、脚本の進行なのであろう。
イミト・デュラニウスは前に居たマリルデュアンジェ姫の傍らを沈黙のままに横切り、アルバランの騎士たちの面前へと立つのである。
そして彼は、
「——頬にゴミが付いていますよ。アルバランの護衛騎士が、そのような醜態を晒し続けるのは良くありませんね」
自身の左頬を人差し指で軽く突き、見つけたというゴミの位置をアルバランの騎士に告げたのである。
——しかしながら、罠と言う他は無い。
「ああ……それはお気遣い痛み入る」
「おっと、申し訳ない。右の頬でした」
何故なら元より、彼の顔にゴミなど付いておらず、イミトの右手には——透明に煌く砂粒で塗れていたのだから。
「「「「——‼」」」」
「……サムウェル殿、急ぎ姫を連れて下ってください、それから騎士団長たちに報告を」
そこから事態は、なだれ込むが如く一気呵成に動き出す。
何のことは無い動作から巻き起こった異変、事象に、悲鳴を上げそうになるメイド達やマリルデュアンジェ、蒼白に染まる同行していたツアレストの騎士たち。
刹那、ただ一人——、その異変を想定していた男のみが背後に居たサムウェルに冷静に指示を出す。
「あ、ああ‼ 姫、こちらに——お前は騎士団長に報告だ」
すると突然の異常に思考が飛んでいたサムウェルの脳に、イミトの静かやな声が馴染み、サムウェルもようやく姫を守る為に身を乗り出し動き出した。
「……どうされたのですか?」
しかし、異変が起きている当の本人たちは、未だ何が起きたのか分からず、慌ただしくなった目の前の一行に茫然と首を傾げ声を漏らすばかり。
その時——、
ボトリと粘着性のある液体が廊下の赤い絨毯に音を立てながら濡れ染めていった。
「——右頬の化けの皮が剥がれていますよっ、と‼」
しかしその音にアルバランの護衛騎士が目を落としたその瞬間、矢先——、イミトの右拳がアルバラン国の騎士服の腹部を突き抜けんばかりに飛び抜かれて。
「——ぐう‼」
護衛騎士の一人は有無も言わされずに背後にあった扉へと背中を叩きつけられて倒れ込み、項垂れたのである。
となれば、そのような蛮行を真横で見ていたもう一人の護衛騎士が黙って見ている筈も無し。
「何を——ぐああああ⁉」
突然の蛮行に戸惑いつつ、イミトに飛びかかろうとした護衛騎士であったが、しかしながらその寸前——、振り返るイミトが着ている服のポケットに入っていた白透明の粒子を顔面に浴びせ掛けられて悶えてしまう。
目潰しを受けたかの如く両手で顔を抑えるアルバランの護衛騎士。
だが、違うのだ。それは決して目潰しでは無い。
いや、もしも常人であったのならばそれは只の目潰しで済んだのかもしれなかった。
「き、貴様……何をし……たうるるる……」
しかしアルバランの騎士は常人ではなく、粒子を浴びせ掛けられた顔が時を経るごとに爛れ崩れ、液状と成り果てて顔を抑える指の隙間から溢れて零れていく。
——スライム。
「……塩を浴びせただけですよ。スライムに塩を与えると水と固体に分離する」
姫たち一行が、騎士たちによって安全な場所に連れられていく足音の傍らで、ボソリとイミトはそう呟いた。塩の結晶に顔を溶かされ倒れたアルバランの騎士だった男の顔は、蒼白い顔つき溺死体の如き別人の顔へと変わり果てる。
——スライムによる変装、擬態と言った方が良いだろうか。
溶けた顔の裏に本物の顔。
否——、
「ああ、いや違うな。塩を浴びせてやったのさ、スライムの性質を知らねぇのか? スライムのくせに」
首筋に指を二本当てて血液の流れを確かめるイミトの様子を鑑みるに、溶けたスライムこそが本体。死体を操り、人に化けるスライムの忌むべき力。
「兎にも角にも、ようやく下準備を終えて、楽しい楽しい開戦の時間だ。アーティー・ブランド」
こうしてイミトもまた、ルーゼンビフォアが眼前に現れたクレアと同様に開戦の狼煙の如く——ただの液体になったスライムをバシャリと踏み付けて、着慣れぬ服の左片袖を捲り上げながら、目の前に存在するアルバラン国の王子が宿泊する部屋の扉の前で舌なめずりを始めるのである。
彼らしく表現するならば、全ては——最早、まな板の上の出来事。




